Wikipedia‐ノート:ネタバレ/log9
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log6(2010-08~) - log7(2011-08~) - log8(2013-01~) - log9(2016-09~) (edit)
目的や特筆性について言及する箇所の改定提案
[編集]- 現行
- 一方、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)を参照してください)。
- 提案
- ただし、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。作品の中の些末な細部まで網羅するのではなく、物語の全容や重要な特徴を読者がバランスよく理解できるよう解説すべきです。(詳しくはWikipedia:あらすじの書き方を参照してください)。
上記の改定を提案します。もちろん個々の記述の前提としては特筆性がある訳ですが、あまりに一般論寄りであり、この流れで言及するのが最も適切かというと疑問です。--Hisagi(会話) 2016年9月6日 (火) 14:27 (UTC)
- 賛成 です。結局のところよく分からない現行の記述に比べ、すっきりまとまっていて良いです。--せちせち(会話) 2016年9月9日 (金) 02:36 (UTC)
- この文書の趣旨は「ネタバレに配慮することによって読者の理解を妨げるべきではない」ということで、「話をはじめから終わりまで全部書け」ということではないと思います。「物語の全容」(全内容)のような言い方をすると後者に傾くように思われるのでこういう言い方を入れるのは不賛成です。入れるなら「全体の構造」とか「全体的な流れ」とかで。
- 現行の文章はたしかにちょっとおかしなところがありますが、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)はフィクション関連の記事を書く上での基本方針ですから、当文書内で関連性に触れておく必要はあると思います。ウィキペディアのフィクション記事は物語の内容を記すためにあるのではなく、現実世界における社会的な意義や位置づけを知るためにあるもので、あくまでそれに資するものとしてあらすじや登場人物といった内容の紹介・解説が含まれている、ということを書いておかないと、ただネタバレを気にせず話の内容を書くことを勧めるだけの文書になってしまいます。--頭痛(会話) 2016年9月10日 (土) 15:47 (UTC)
- 関連性というか、位置づけとしては、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)⇔Wikipedia:あらすじの書き方⇔Wikipedia:ネタバレ になるのだと思います。評価・影響力・特筆性という観点で考えると「あらすじ」を書くこと自体が否定されかねませんし、なにより現行の文面は意図が理解しづらいです。関連項目にも一番に挙がっているくらいでよろしいのではないでしょうか。この文面を紹介するのは不適切でしょう。大げさに言えば、「○○法施行令」みたいなものの解説の中で憲法が出てくるようなもので。
『ただネタバレを気にせず話の内容を書くことを勧める』のはそれで良いと思いますが? あらすじというのは一連の流れであって、評価・影響力・特筆性という観点からあらすじに載せるポイントを選んでいては名シーン集・名ゼリフ集・小ネタ集のようなとんでもないものになってしまいますし、ネタバレ云々と併せてそのあるべき姿を明記しているのはあくまでWikipedia:あらすじの書き方なのです。--Hisagi(会話) 2016年9月11日 (日) 16:22 (UTC)- コメント 参照するガイドラインについては、そこはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)のままで正解だと思います。フィクションのあらすじに限定した話であればWikipedia:あらすじの書き方でも良いですが、作品の批評・製作過程の説明や作家の記事も全て対象に含む必要があるので。
- そういう意味では、改正案の2文目の表現だとあらすじだけに限った話のようにも読めるので、現行の文面をもう少し活かしつつ説明順序を入れ替える感じで良いのでは無いかと思います。--ディー・エム(会話) 2016年9月11日 (日) 17:34 (UTC)
- コメント 無理に1段落でまとめる必要はないのでは。提案の文章ならWikipedia:あらすじの書き方に誘導したほうが分かりやすいですし、別途“記事全体についてはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)を参照してください。”と追加するのでいいと思います。フィクション記事の書き方と、あらすじの書き方は分けて説明したほうが分かりやすくなるのではないでしょうか(そうなると主は記事の書き方で、あらすじの書き方は従になりますが)。--せちせち(会話) 2016年9月12日 (月) 03:54 (UTC)
- 関連性というか、位置づけとしては、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)⇔Wikipedia:あらすじの書き方⇔Wikipedia:ネタバレ になるのだと思います。評価・影響力・特筆性という観点で考えると「あらすじ」を書くこと自体が否定されかねませんし、なにより現行の文面は意図が理解しづらいです。関連項目にも一番に挙がっているくらいでよろしいのではないでしょうか。この文面を紹介するのは不適切でしょう。大げさに言えば、「○○法施行令」みたいなものの解説の中で憲法が出てくるようなもので。
- Wikipedia:ネタバレを読んだ人がただ「Wikipediaではネタバレを気にせず話の内容を書くことが勧められている」とだけ理解して、方針上どのような文脈においてそれが許容されているのかを理解しないままなのであれば片手落ちです。法律であれば法的効力が発揮できればいいのですから根拠となる憲法の条項にいちいち触れる必要はないでしょうが、Wikipediaのガイドラインはそういうものではないでしょう。Wikipedia:ネタバレを見る人が関連項目まで読んでくれるとは限りません。現行の文面は確かに意図がわかりにくいですが、それは修正を考えれば良いと思います。--頭痛(会話) 2016年9月14日 (水) 04:44 (UTC)
案を修正しました。
- 現行
- 一方、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべきです。ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)を参照してください)。
- 提案2
- ただし、ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。創作物に関する記事は、現実世界の観点を前提として評価や影響力、特筆性を踏まえて解説するべきです(詳しくはWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)を参照)。あらすじは些末な細部まで網羅するのではなく、物語全体の流れや重要な特徴を読者がバランスよく理解できるようにしてください。(詳しくはWikipedia:あらすじの書き方を参照)。
これではいかがでしょう。--Hisagi(会話) 2016年9月30日 (金) 16:50 (UTC)
こんな感じではどうですか?--頭痛(会話) 2016年10月2日 (日) 13:08 (UTC)
- 一方、創作物の内容をあらゆる細部にいたるまで網羅しようとすることもWikipediaの目的とするところではありません。創作物の記事は、その作品が現実世界においてどのような意義をもつのか、その社会的な位置づけや評価・影響力を解説するために作られるべきものであり、ただ作品内容を詳細に書き連ねただけの記事を作成することは歓迎されていません(Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)参照)。その上で記事に物語内容の詳細を含む際には、作品を未見の読者にも物語の全体像がつかめるよう留意し、あらすじの重要な部分を故意に隠したり、登場人物等の解説にトリビアを羅列したりしないようにしてください(Wikipedia:あらすじの書き方などを参照)。
ネタバレ除去への対応について
[編集]先日、記事「君の名は。」(履歴)において、執拗な「ネタバレ除去」の差し戻しにあたった方の一人が、「編集合戦」を理由にブロックされるという事例がありました。このガイドラインでは「除去することは認められません。」と規定していますが、「WP:SW違反の記述除去」を理由に差し戻すことは認められない(ネタバレ除去は荒らしには該当しない)ということのようです。
「認められない」とここに掲げつつも「認めないといけない」というのはなんとも理不尽な話ですが、対処した管理者は「ノートで話せ」と繰り返すのみで、「ネタバレ削除」を宣言したうえで序盤以外をばっさり削除する行為にも、ノートで議論していないから是非を判断できないとし、容認し歩み寄れと主張しています[1]。無茶苦茶ですが、ここではその管理者の扱いについては置いておくとして、ガイドライン側の対応を考えたいと思います。
そもそも前提として「ネタバレ除去」を行う者が一定数存在することは想定されていて(それゆえにこれがある訳で)、そして大半は「ネタバレがあることに納得しない」ところまで想定すべきでしょう。かといっていちいち記事のノートで「あらすじの正当性」を立証しなければならないという馬鹿な話はありません。で、前置きが長くなりましたが、
- 「ネタバレ除去」への対応の仕組みづくり(警告テンプレの作成、対応方法の明文化)
- 「ネタバレ除去」を荒らしと定義(その差し戻しをブロック対象外とすることの明文化)
を考えたいと思いますが、いかがでしょうか。--Hisagi(会話) 2016年9月6日 (火) 15:05 (UTC)
- コメント 当該の編集合戦が好ましいものでないという点は同意いたしますが、一般論まで話を広げるとなると、そのあらすじ除去がWP:VやWP:SW違反の内容整理なのか、それとも単純なネタバレ隠しなのか、その区別が曖昧なケースも想定する必要があり、機械的に荒らしと判断するのは無理があるだろうと思います。
- 「あらすじの一部除去について意見の相違が生じた場合には、ひとまずは除去せずにノートで合意後に除去」という流れが良いのではないかと思います。
- それと、いちおうプロジェクト:映画のルールでは劇場上映中のあらすじ記述はOKとされているようですが、現在のウィキペディアの要求水準からするとちょっと際どい感じはします。もし今後、作品の上映期間が終了してからパッケージ製品が発売されるまでの間にWP:Vであらすじが除去された場合には、それはウィキペディアの方針上むしろ正当な編集ですから、荒らしとはみなせません。--ディー・エム(会話) 2016年9月7日 (水) 14:22 (UTC)
- そうですね、確かに、今回のように「ネタバレ除去」を堂々と宣言しているのは多くなく、理由の明記なしとか、検証可能性とか著作権を言い訳にしたネタバレ除去というのも多いですから、「ネタバレ除去」を禁止するというよりは「結末や後半部の除去」を禁止するほうが客観的といえるでしょう。
なお、上映終了後・パッケージ製品発売前についても、パンフレット、小説、台本、設定資料集、その他関連書籍や雑誌記事などに全容(結末まで)が記載されている場合も多々あり、「検証可能性を満たさない」とは限りませんので、多くの場合は、あらすじの除去は「荒らし」になるかと思います。--Hisagi(会話) 2016年9月7日 (水) 16:47 (UTC)
- そうですね、確かに、今回のように「ネタバレ除去」を堂々と宣言しているのは多くなく、理由の明記なしとか、検証可能性とか著作権を言い訳にしたネタバレ除去というのも多いですから、「ネタバレ除去」を禁止するというよりは「結末や後半部の除去」を禁止するほうが客観的といえるでしょう。
- 今回のケース、私も編集合戦・3rrとして対応したと思います。ネタバレ回避自体は社会での比較的一般的なマナーとして認知されていると思いますので、荒らしと定義するのは無理で、ノートや会話ページでの注意、下の節で検討されているようにネタバレを禁じていないことの周知徹底、しか方法がない。今回の双方ブロックは、1回でも除去した人の会話ページに注意が書いてあればまた結果が違っていたんではないでしょうか。警告にもかかわらず繰り返すなら(ネタバレ除去そのものではなく)対話拒否を理由としてブロックするなどは可能だったと思います。
- とはいえ今回のようにネタバレ除去編集が殺到するようなケースだと対応する労力の問題もありますので、警告テンプレはあると便利だと思います。--cpro(会話) 2016年9月8日 (木) 00:21 (UTC)
- ここで議論すべきことかわからないのですが、ネタバレに関して一点、困っていることがありますのでお伺いしたいと思います。作品じたいの項目にネタバレが書かれているのは普通のことかと思いますが、作品以外の項目でネタバレが発生していることがあります。たとえば以前、聖バーソロミュー病院の項目で、ここで撮影された『SHERLOCK(シャーロック)』のキーとなる展開についてうっかりネタバレがなされていたことがありました。いくらなんでも一見、無関係な項目でネタバレが発生するのは不要な記述と言えるだろうと思いましたので、私が削除いたしました。作品以外の項目でネタバレがなされている場合は除去してもOKなのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?--さえぼー(会話) 2016年9月11日 (日) 08:05 (UTC)
- さえぼーさんの提示された事例については、ネタバレかどうかで判断するのではなく、その記事を形成するにあたってその記述が必要かどうかで判断するべきではないでしょうか。「ネタバレだから不要」という理由付けではなく、要は「○○という映画のロケ地になった」という記述だけで充分なので除去相当という理由付けであるべきだと思います。--F@ST(会話) 2016年9月11日 (日) 10:50 (UTC)
- 判断基準はネタバレかどうかではなく、その記述が(その記事に、その文脈に)必要かどうかのみを考えるべきでしょう。不要ならば除去すべきですし、仮に作品以外の記事であれ、必要な記述であればネタバレを避けることはありません。--Hisagi(会話) 2016年9月11日 (日) 17:38 (UTC)
「Wikipediaにはネタバレがある」ことを周知させたい
[編集]議論は終了しました。--せちせち(会話) 2016年10月25日 (火) 06:43 (UTC)
上のHisagiさんの提案に乗っかる形になりますが、井戸端に投稿しようとまとめていた内容をこちらに記載します。そのまま賛成意見としても良かったのですがHisagiさんの提案内容とは違うので別節にします。
「このページにはネタバレがあります」ではなく「Wikipediaにはネタバレがあります」ということをもっと周知させたいです。最近私の周囲で、具体的にはシン・ゴジラと君の名は。で「あらすじがネタバレだった。なぜオチまで書いてあるんだ」というような意見をたびたび見かけます(私はどちらの記事にも関わっていません)。私(編集者)としてはあらすじが最後まで書いてあることは当たり前で、むしろ最後まで書かれていないものは加筆すべきと思っていますが、他の方はそうではないようです。ネタバレテンプレート廃止の議論の際「免責事項に記載してあるから改めて告知する必要はない」という意見があり当時は納得した覚えがありますが、現状それでは不足しているのは明らかです。あとから知りましたが君の名は。での編集合戦を見るに、編集者にも周知されているとはいえないかもしれません。
一方で「調べ物ならWikipediaを読めばいい」や「Wikipediaの情報は信頼できる」といったことはわざわざ告知せずとも周知されていると思います(それが合っているかは置いておき)。「Wikipediaにはネタバレがある」こともこれと同じように周知できないものでしょうか。
以上が転記分で、ここからは新たに。要は「ガイドラインがあってもそれが知られていなければ意味がないので、今あるものを周知させよう」というのが私の考えです。具体的には最新の出来事テンプレートのような形で(記事に免責事項を載せないの回避)、注目される新しい作品の記事にWikipedia:ネタバレとWikipedia:内容に関する免責事項へのリンクを設置するもので、モバイル版にも対応していることが望ましいです。Hisagiさんの提案を土台作りとすれば私の提案は暗黙の了解作りです。無茶苦茶なことをいっているのは承知なのですが、これをコミュニティ側のアプローチでどうにかできないでしょうか。--せちせち(会話) 2016年9月7日 (水) 02:46 (UTC)
- 全面的に同意します。まさにシン・ゴジラ公開間もない頃、その辺どうにかできないかツイッターであれこれ考えてました[2]。すでに歴史・教養であるシェイクスピア作品の結末が載っていることは想像できても、公開中の作品のネタバレが載っている百科事典なんて紙の時代にはなかったわけで、無警戒にネタバレを見てショックを受ける人を責められません。
- 封切り直後から2週間ないし1か月程度の映画に対して時限テンプレートを貼ることを考えていましたが、ほかに対象として考えられそうな分野ってなにかあるでしょうか。--cpro(会話) 2016年9月7日 (水) 04:00 (UTC)
- コメント 結末までの内容が書かれたセクションのタイトルを「あらすじ」「ストーリー」から「結末までのあらすじ」「結末までのストーリー」というタイトルに統一してはどうでしょうか。ネタバレ回避テンプレートと同等の効果があり、ネタバレ回避テンプレートと違って、WP:SWの「記事全体の構成から考えて作成するのが自然であるような場合にだけ」というガイドラインにも反せず、「百科事典的ではない」という問題を回避できると考えます。ただし、この方法が使えるのは完結した作品に限るという問題があります。--Kanohara(会話) 2016年9月7日 (水) 04:38 (UTC)
- コメント 基本的に「あらすじ」とは物語全体の概略を指しますから、冒頭だけの場合に「冒頭のみのあらすじ」と書くのであれば意味的には成り立ちますが、「結末までのあらすじ」だと表現的に違和感があるように思います。
- 「君の名は。」の編集合戦はブロック破りアカウントの連投によるものですから、ネタバレ関係の周知不足とは無関係と考えられます。
- そういった個別の特殊事例はさておき、一般論としては、そもそも「あらすじ」と明記してある場所に物語のあらすじが書いてあって腹を立てるというシチュエーションが理解し難いのですが、なんであらすじを読みたくない人がわざわざ「あらすじ」を読むのかがわからない。冒頭だけ知りたければ冒頭だけ読んで、頃合いを判断して読むのをやめてもらえば良いだけだと思うのですが。それに「なぜオチまで書いてあるんだ」といって怒る人って、そのあらすじが結末まで詳述してあると判断できてるということは、その作品を既に視聴済で物語の結末を予め知っているということですよね。もしウィキペディアの記事のあらすじ節に「ゴジラが現れて暴れてすったもんだして倒された。」と書かれていたとしても、私を含めて映画を見ていない人にはそれが物語の結末までの説明なのか、それとも物語の重要な核心を省いた途中経過のあらすじなのか判断がつかないので(たとえば、人類に倒されたかと思われたゴジラが再度暴れ出して世界が壊滅する物語の序章にすぎないかもしれないので)、何も知らないのに「こんな重要なオチまで詳しく書きやがって」などと文句の言いようがありませんから。あるいは、作品の内容を知らないままに「ウィキペディアのあらすじは結末までネタバレが書いてあるに決まっている」という強固な先入観を持たれていて実際の内容とは無関係に個人の思い込みでクレームを付ける人もいるかもしれませんが、そういう方に対しては「ウィキペディアのあらすじにはネタバレが書かれていますよ」と改めて力説する必要もありませんし。
- ミステリー作品の犯人や犯罪トリックなどを記述する必要がある場合に、あらすじ節の書き出しに「以下、犯人や犯罪トリックを含めてあらすじを概説する。」といった一種の断り書きを付記するようなことは必要に応じて構わないと思いますが、そこまでミステリー要素の強くない作品にまで気を使うほどでは無いような。--ディー・エム(会話) 2016年9月7日 (水) 14:27 (UTC)
- 感覚的にはまったく仰る通りなんですが、それが一般の方々には、そしてjawpの管理者にさえ「通じない」現状があって、ネタバレ除去を差し戻すとブロックされるという恐ろしい事態があったゆえのこの話です。--Hisagi(会話) 2016年9月7日 (水) 16:47 (UTC)
- ディー・エムさんと同じく、Kanoharaさんご提案の「結末までのあらすじ」はたいへん不自然な表現のため、強く反対します。(Pinejamの件はご存じないですか)--Hisagi(会話) 2016年9月7日 (水) 16:59 (UTC)
- 「ネタバレ」の指すものは「結末」「オチ」とは限らないです。たとえば、私は映画『猿の惑星』を見たことがなく「宇宙船が不時着した惑星は類人猿に支配されていた」程度の認識しかなかったんですが、このパッケージ画像を見て瞬時に「あ、これはひどいネタバレだ」と認識しました。物語を楽しむ上で重要な驚きや意外性を大きく損なうであろう記述ってけっこう分かってしまうものです。--cpro(会話) 2016年9月8日 (木) 00:45 (UTC)
- Template:Future electionのような時限表示テンプレートの導入に賛成です(Future electionは消す日を書いていますが、本件はテンプレを貼った日を書くべきかも)。気になる人が気になる場所にだけ貼るという形で。どうせ貼った人は剥がしてくれないでしょうから、自動消去というのは管理上都合が良いと思います。
- 活動範囲外の者が意見するのも申し訳ないのですが、Wikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱いが「論評を理解するためにネタバレが書ける」としか読み解けません。もし新作のうちからネタバレOKということであれば、「将来の論評に備えて~」などとしてこの規約を強化していただけますと、編集上の対立時に説得しやすくなります。--Triglav(会話) 2016年9月7日 (水) 15:45 (UTC)
- 論評云々とか新作云々は単に誤解です。ここで話しているネタバレというのは、Wikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱いにおいて、「物語全体の構造を説明するのに必要なもの」として言及されているものです。--Hisagi(会話) 2016年9月7日 (水) 16:59 (UTC)
- ガイドラインの周知にはもちろん賛成ですが、(文面こそ違えど)昔のネタバレ注意テンプレの復活のようにも取れますし、慎重に議論したほうが良いかと。実際、対象分野や対象期間をどうすのかというのが大きな問題になります。文面も抑止力としての効果と直結するでしょう。そしてなにより、WP:SWそのものが形骸化させられた状態のままそれを周知することはまずいと思います。--Hisagi(会話) 2016年9月7日 (水) 17:11 (UTC)
- 提案者なのに離れていてすみません。まずはご意見ありがとうございます。
- 返信 (cproさんの発言 2016年9月7日 (水) 04:00 (UTC)宛) 対象となる分野は大雑把にプロジェクト:フィクション#関連プロジェクトかなと考えています。中でも問題になりやすい(と個人的に思う)のは今回のような映画とテレビアニメ・ストーリーのあるゲームあたりでしょうか。以前関わった記事だと漫画でも揉めるところは揉めているようでした。
- 返信 (ディー・エムさん宛) あらすじは発表上の時系列で書く必要はありません。発表上では終盤で開かされる重要な内容(ネタバレ)を、Wikipediaでは冒頭に書いたほうが分かりやすいこともあると思います。それも特殊なケースかもしれませんが、一律に冒頭だけ読んでやめればいいとはいえないでしょう。長い作品のあらすじなど節名ですでにネタバレの場合もありますよ。(返信ここまで)
- さて、 「あらすじ」という言葉の意味についてもちょっと置いておきます(いっそ「物語の顛末」とでもしてはどうでしょう)。周知しなくていいとなればテンプレートを作る必要もないので、まずは周知すべきかどうか・周知されていないと思うかどうかに論点をしぼります。といっても現状大きな否定意見は見られませんし、主に周知方法についてでしょうか。提案しておきながらあれですが、周知する方法は#ネタバレ除去への対応についての提案のような地道な方法でもいいとは思っています。--せちせち(会話) 2016年9月9日 (金) 03:09 (UTC)
- コメント この節の主題である「Wikipediaにネタバレが当然に存在する」ということをどう周知するか、という観点からすると、地道にネタバレかどうかを区別せず全て記していく(もちろん必要な分量で)ということを続けるしかないのではないかと思います。編集に携われば、そういうもんだ、と理解できますが、「インターネットに存在するウェブサイトの1つ」としてWikipediaを利用しているほぼ大半の閲覧者にとっては、知りたくなかった事実まで当然に書かれている場所だと最初から認識することはできないでしょう。Wikipediaのページをいくつか見るうちに、「Wikipediaにはそういう情報まで書かれているんだ」と認識してもらうしかないのではないでしょうか。記事の冒頭に目立つように注意書きを貼るとなると、それはそれで別の反発を喰らいませんでしょうか(既に述べられていますが、ネタバレ注意テンプレートの件であったり、そもそも記事の冒頭にテンプレートを貼るな云々であったり)。
- あとは、争いになりやすい記事(例えば、推理小説やストーリーが重視されているゲーム・小説、発売や発表からすぐの映画など)では、他の方も述べておられますが、「あらすじ」と「物語の結末」(推理小説なら「本作品のトリック」等の節を別個にしている記事もあります)など、記事として自然な範囲で節を分散させるというのが争いを防ぐ方法なのではないかと思います。節を分けることで記事が不自然な形になるのであれば問題外ですが、自然な形で分けれるのであれば問題はなかろうと思います。節を分けることで読みたくない人は読まなくてすみますし、「Wikipediaには結末も書かれているんだ」と認識することにも繋がるのではないでしょうか。「ネタバレまで全部あらすじに含めるべきだ」という主張もわからなくはないのですが、編集をしない人のほうが大多数を占めることを考えると、争いを避けるためにもこのあたりが落としどころなのではないかなぁと、個人的には思っています。--F@ST(会話) 2016年9月9日 (金) 11:49 (UTC)
- 地道に記事をあるべき形に加筆していくとしても、「自然な形」で「結末」という2文字を見出しに含めることができる記事は一部に限られてくるでしょう。それに、結末やネタバレを載せること自体が「悪いこと」「マナー違反」「消すべきこと」だという考え方からすると、そもそも効果が薄そうに思います。--Hisagi(会話) 2016年9月9日 (金) 18:21 (UTC)
- ご指摘の通り、自然な形で節をわけることができるのは、争いになりやすい記事に限られるかもしれませんね。「この部分を書くな、いや、書くべきだ」という議論になっていることが多く、問題となる記述が特定されますからね。全ての記事で使用できる方法ではないと思います。「ネタバレを載せることが悪いこと」という主張に対しては、その方の考え方を改めてもらうしかありませんので、個別に対応していくしかないと思います。--F@ST(会話) 2016年9月9日 (金) 23:19 (UTC)
- 追記ですが、争いになりやすい記事のなかで、個人的にはアクロイド殺し、そして誰もいなくなったは非常にうまく書かれていると思います。どちらもネタがかなり一般的にバレているからかもしれませんが、自然な形で書き方を工夫できている例なのではないかと。--F@ST(会話) 2016年9月9日 (金) 23:28 (UTC)
- あらすじ節の中に「結末」という小見出しを作ることは一つのアイデアだと思います。もう一つの方法として、さくら心中のように「第○部」という小見出しを設けることでも、結末まで書かれていることを暗に示すことができると思います。--新幹線(会話) 2016年9月10日 (土) 08:48 (UTC)
- 地道に記事をあるべき形に加筆していくとしても、「自然な形」で「結末」という2文字を見出しに含めることができる記事は一部に限られてくるでしょう。それに、結末やネタバレを載せること自体が「悪いこと」「マナー違反」「消すべきこと」だという考え方からすると、そもそも効果が薄そうに思います。--Hisagi(会話) 2016年9月9日 (金) 18:21 (UTC)
- Wikipedia:お知らせでの告知を見て来ました。結論から書くと、Wikipediaにネタバレがあることを特に周知する必要はないと思います。理由は、「ウィキペディアは百科事典だから」です。百科事典は何か調べ物をするときの手がかりとして用いるものなので、フィクションについての記事の「あらすじ」のセクションがネタバレになっていることは、読者が当然予測するべきことだと思います。映画やドラマの公式サイトの「あらすじ」では、話の途中までのあらすじになっているのが普通ですが、これはその作品を見てもらうことを目的としているからで、本来「あらすじ」は最後まで書くものだと思います。ただ、F@STさんは「うまく書かれている」と評されているアクロイド殺しについては、「あらすじ」や「本作のトリック」のセクションではなく導入部でメインのトリックに言及しているのは少し不親切だなという気がします。222.230.131.5 2016年9月10日 (土) 01:00 (UTC)
- 返信 「アクロイド殺し」のトリック解説のセクション名を「本作のトリック」にした時点では導入部などにトリック説明は書かれていなかったのですが[3]、その後に導入部や登場人物節に繰り返しトリックの種明かしが書き足されて現在の版に至っているようです。完全に説明が重複しており、さすがに記述がちょっと過剰かつ執拗な感じは否めませんが、履歴を見ると加筆した当事者の方が加筆部分の除去を頑なに拒否して埒があかず、記述の整理をめぐってごたついた末に除去派の心が折れてしまったみたいですね。本来は「ネタバレを理由に除去してはいけない」と述べているに過ぎないガイドラインの趣旨を「一切のネタバレを除去してはいけない」と曲解してしまって冗長な記述の整理まで受け付けなくなってしまうというのは、それはそれで逆にまずい気がします。
- 「ネタバレを一切書いてはいけない」という考えは間違いであり、「ネタバレは一切除去してはいけない」も同じく間違いであり、ネタバレであろうとなかろうとそんなこととは無関係に「必要な記述は書く、不要な記述は削る」というのが本来のネタバレに対する正しいスタンスであろうと思いますので、もし警告文的なテンプレートを表示するとしたらそこが誤解を招かないようバランスの良いメッセージが良いと思います。--ディー・エム(会話) 2016年9月10日 (土) 13:29 (UTC)
- コメント 一律にすべての記事に注意メッセージを表示するのはユーザー側への配慮としては意味が無いので避けたほうが良いと思います。これは過去のネタバレテンプレートと同じことで、全部の記事に警告メッセージが貼られていたら、結局どの記事が本当に気をつけるべきネタバレなのか判断がつかず、ユーザー側の判断材料としては何の役にも立たないので。もしも、天気予報が外れて文句を言われるのを避けるために「雨かもしれないので傘をお忘れなく!」と毎日言い続けているニュース番組があったとしたら、そんな責任逃れだけのための予報に何の意味も無いですよね。きちんとユーザーの役に立つ情報を提供するというのであれば、ピンポイントで的確な情報提示をしないかぎりは、言葉は悪いですが、実際のところ自己満足の偽善にしかならないと思います。--ディー・エム(会話) 2016年9月10日 (土) 13:29 (UTC)
- コメント参考までのコメントですが、映画や漫画・アニメ以外に、海外ドラマ関係の記事はかなりネタバレ処理が複雑になることが予想されます。アメリカやイギリスで放送されたものが日本での放映前にDVDで手に入るようになっているため、英語圏では結末を皆知っているのに日本ではブレがあるというようなことがよく起こっております。--さえぼー(会話) 2016年9月11日 (日) 08:08 (UTC)
- 日本放映前であっても、あらすじの一環として記述すべき内容であればネタバレかどうかは関係なく記すべきだと思います。物語の結末(ネタバレの一例)が周知されているかどうかは、記述すべきかどうかとは関連性がなく、周知されていないからといって記述すべきではない理由にはなりません。ただ、そのような記事においてはネタバレを書く書かないで争いになりやすいですから、書き方に注意すべき記事だという判断根拠にはなりえると思います。--F@ST(会話) 2016年9月11日 (日) 10:50 (UTC)
- コメント 一旦まとめようかと思いましたがもう少し意見を募ったほうがよさそうですね。私は主にアニメとその原作の記事、あとは話題になった映画などの「閲覧者」で、このような提案はしていますがほとんど編集には関わっていません。新たに海外ドラマのお話がでておりますが他の方は主にどの分野で編集されているんでしょうか。分野ごとに問題を見て行ったほうがいいかもしれません。
- アニメ分野はそもそもあらすじの不足している(結末がないどころか導入部のみのような)記事が多いです。誰かが結末まで書くとネタバレだという指摘が入り、話の通じる方ならきちんと議論をして結末まで書かれたあらすじになり、そうでなければ不足したままで放置という感じです。同じアニメ分野でも違う意見はあると思いますので参考までに。--せちせち(会話) 2016年9月12日 (月) 03:54 (UTC)
- 現行の原案を英語版から持ってきた時に述べたことですが「良くも悪くもネタバレを特別扱いしない」のが本意であって、「ネタバレ」という理由で除去は認められないけど、同時に「ネタバレ」という理由で特筆性が認められるわけでもないです。作品理解に資さない些細などうでもいいことを書いたり、記事全体の構成を無視して却って事典としての質を貶めるようなものは認められない。
- 都合、「アクロイド殺し」「そして誰もいなくなった」どちらもそこそこ深く関わっておりますが、「アクロイド殺し」の方はディー・エム氏が述べたように揉めまして、まさにネタバレなら何書いてもいい的なユーザー対策として入れた一文が「一方、ネタバレを含むとき、編集者はその記述が百科事典の目的に合うことを確実にすべき(以下略」だったんですが、該当ケースが現われた!みたいな。当該のノートでも言ったように「『モルグ街の殺人』の冒頭部について、いきなり「オラウータンが犯人の怪事件を探偵・デュパンが解く推理小説である」」なんて、到底認められないわけですよ。
- あと「そして誰もいなくなった」は、元々は、あらすじでウォーグレイヴが犯人である旨も書いてあったんですが、書き換えられてしまってます。--EULE(会話) 2016年9月12日 (月) 12:42 (UTC)
- そういえば以前ジャンプ系漫画の記事(暗殺教室とか食戟のソーマとか斉木楠雄とか)ではネタバレ部分をdiv系のタグで折り畳んでいましたね。結局それは解消されましたが、個人的には読みたくなければ読み飛ばせるので良いと思っています。それはさておき、周知させたいといってもやはり地道にやっていくしかないと思います。僕だけがいない街であったのですが、注意のコメントアウトとかテンプレートを貼っても除去しちゃう利用者はいるので。とはいえ、テンプレートを用意するのは良いと思います。-赤羽さん(会話) 2016年9月15日 (木) 19:48 (UTC)
- コメント また議論から離れておりすみません。まとまった時間が取れないので今後もこのような参加ペースになるかもしれません。とりあえず今の段階では、テンプレートを作るのは見送ろうと思います。引き継ぎたい方がいれば引き継いでもらって構いません。時間が取れず先導が難しいので。議論の他の部分についてはまた改めてコメントします。--せちせち(会話) 2016年9月16日 (金) 16:17 (UTC)
ネタバレ周知について 中間
[編集]議論の流れの確認のため(とちょっと長くなっているので)一旦これまでいただいた意見を投稿順に書き出してみました。具体例は除いています。間違っている部分があったら指摘してください。
- cproさん:古い作品の結末が載っていることは想像できても公開中の作品の結末が載っていることは想像できないということを責められない。時限テンプレートを貼ることを考えていた。
- Kanoharaさん:セクション名の工夫でネタバレがあることを告知してはどうか。
- ディー・エムさん(1):「あらすじ」にあらすじが書いてあって不満に思うことが理解できない。結末が分かるのは作品を見たからであって、作品を見ていなければどこが結末かは分からないだろう。結末を知りたくなければ最後まで読まなければいい。ミステリー作品のトリックの記載にならネタバレ警告はあってもいいと思う。
- Triglavさん:テンプレートは自動で消去できるものにしてはどうか。Wikipedia:あらすじの書き方#ネタバレの扱いが「論評を理解するためにネタバレが書ける」としか読み解けないので修正が必要ではないか。
- Hisagiさん:ネタバレテンプレートの復活にならないよう慎重に議論すべき。Wikipedia:ネタバレが形骸化している。
- F@STさん:個々の記事の充実を持って周知させるのが良いのではないか。争いになりやすい記事ではあらすじ内で節を分けてはどうか。(Hisagiさんへの返答)編集者には個別に対応していく。
- 222.230.131.5さん:ウィキペディアは百科事典だからあらすじにネタバレがあるのは当然予測される。
- ディー・エムさん(2):一律にメッセージを表示すると本当に注意すべきものの判断ができなくなる。
- さえぼーさん:海外ドラマだと放映(発表)時期が大きく違う作品では扱いが複雑になるだろう。
- EULEさん:「良くも悪くもネタバレを特別扱いしない」のがWikipedia:ネタバレの本意である。「ネタバレ」という理由で除去は認められないけど、「ネタバレ」という理由で特筆性も認めらない。記事全体の構成を無視しするようなものは認められない。
- 赤羽さんさん:周知は地道にやっていくしかない。
ここで改めて私の主張なのですが、テンプレートはあくまで方法であり目的は「Wikipediaにはネタバレがあります」ということの周知、「Wikipediaにはネタバレがあることが周知されていないようなので周知すべき」ということです。先に「テンプレートを作りたい」といったから議論がなんとなくまとまらずふわっとしてしまったのかもしれません。周知方法はなんでもよくて、私が思い付いて手っ取り早くできそうだったのが読者向けの告知テンプレートだっただけのことです。
まず1つ、おおまかに「編集者に対して、争いになってから対処する」方向の意見の方は、こちらより#ネタバレ除去への対応についての議論を進めたほうが、恐らく有用な議論になるかと思います(既に参加されている方もいらっしゃいますけど)。次に、こちらの議論で何回か文書自体の問題が指摘されました。周知以前に問題があるなら修正すべきとは思うのですが、ちょっと私が読む限りではどこに問題があるのか分かりません。一部分の修正提案もされていますが他、具体的にここが問題だと挙げられる方はいますか。--せちせち(会話) 2016年9月19日 (月) 13:12 (UTC)
- 予防的にテンプレを貼るのではなく、問題が起きてから(具体的には「ネタバレ除去」が何度か――1-2回出てきてから?)、その利用者の会話ページにメッセージ(テンプレ)、記事冒頭orあらすじ見出しにWP:SWの趣旨を掲げるテンプレ、というところが無難でしょうか。--Hisagi(会話) 2016年9月30日 (金) 16:50 (UTC)
- 現状のガイドラインが示すように「ネタバレには配慮しないし、警告もしない」というスタンスが気に入っていたので、そうでなくなるのには反対したい反面、ネタバレに関しての争いがあることにも心を痛めています。難しいですね。Wikipedia:最新の出来事テンプレートシリーズの一つとして新しいテンプレートを作るのが落としどころでしょうか。--有足魚(会話) 2016年10月4日 (火) 13:23 (UTC)
- コメント 大変遅くなりましたが議論終了のお知らせをいたします。この議論に関する時間が取れそうにないことと、最初に上げた以外の方法も思い付かないことから勝手ながらこの議論はこれで終了とします。返信も、考えがまとまらないのでちょっと難しいです。すみません。ご参加ありがとうございました。--せちせち(会話) 2016年10月25日 (火) 06:43 (UTC)
「アクロイド殺し」の件
[編集]さてここで、賢明なるウィキペディアの編集者のかたがたにご意見をうかがいたいのは、ガイドラインとして「ミステリーの記事冒頭での犯人・トリック・その他、通常の百科事典では冒頭で明示していないものを明示すべきではありません」、あるいは「明示しないことを推奨します」という一文を、設けるべきかどうか、ということです。よろしければノート:アクロイド殺しをご覧いただければ幸いです。--砂手紙(会話) 2016年10月14日 (金) 14:58 (UTC)
- ざっと目を通してきましたが、アクロイド殺しでの議論のメインは、「記事冒頭に『語り手が犯人である』」と書くべきか否かであって、ガイドラインの改定についてなのでしょうか。議論の節も分かれてしまっていてわかりにくいですが、要は、「この作品の歴史的価値として、『語り手が犯人である』ということを書くべきだ」という意見と、「この作品は『叙述トリックを大胆に使用した』という点で歴史的価値があるのであり(クリスティの出世作ですからね)、『語り手が犯人である』という詳細まで、あえて冒頭で記す必要性はない」という意見が対立しているのではないでしょうか。
- 私の個人的な意見としては、記事の概要に『語り手が犯人である』旨の記述が、きちんと物語に沿って記述されていますし(これを除去すべきという議論はナンセンスです)、記事の冒頭であえて記載すべき必要性があるとは感じられません。この作品がどう評価されているかは、人によると思いますし、「語り手が犯人という点で意義がある」派と「大胆な叙述トリックでフェア・アンフェア議論を巻き起こした点に意義がある」派は、どちらの言っていることも正しいのでしょう(つまり、この論点で言い争っているうちは決着がつきません)。
- そうなれば、1年越しにこのような議論を誘発してしまうような記述方法は避けるべきですし、自分の主張に固執するのではなく、議論を収束させる方向に動くのであれば、記事冒頭には「叙述トリックが用いられた作品であり、フェア・アンフェアの論争を巻き起こした作品である」等の記述に留めて、「概要」で現行通りに「語り手が犯人である」という記述をすればよいのではないでしょうか。--F@ST(会話) 2016年10月14日 (金) 21:55 (UTC)
- こちらのガイドラインに書いておくべきこととしては
- ウィキペディアの記事にはネタバレがあると一般に予想されます。ネタバレという理由によって、該当する記述をウィキペディア上から除去することは認められません。
- が全てです。
- 「語り手が犯人である」が記事冒頭に記載するほど重要な情報かどうかは、大いに議論されるべきでしょうが、その議論をネタバレに絡めて、こちらのガイドラインのページに持ち込むのは大きな間違いです。--Dwy(会話) 2016年10月15日 (土) 00:11 (UTC)
コメント 小説系の記事の冒頭部では、その作品の大まかな要約を書き、初出時の反響あるいは歴史的な評価・位置づけを取り混ぜながら全体像を把握させることが肝心であり、その作品がその作家の経歴で重要な意味を持つものであれば、そのことも軽く付す場所だと思います。だから、具体的なあらすじの結末やネタバレを逐一そこに書くことが「主眼」になってしまうのは、何だかちょっと違う感じがします。
例えば、主人公やヒロインが結末で死んでしまう悲恋であれば、「…悲劇的な結末までを精緻な文体で描いている」といった感じでまとめれば充分であり、「2人で心中して死ぬ」と具体的なことを冒頭部で示す必要はないでしょう。そんなふうにズバリと書かなければ「全体像」がつかめないというわけではないし、詳細は後段の「あらすじ」などの節でやることだと思います。特にミステリーなどは、何もあえて冒頭でズバリ犯人名をわざわざ書かなくてもいいような気がしますし、冒頭部のまとめとしても野暮と思います。--みしまるもも(会話) 2016年10月15日 (土) 02:52 (UTC)
「「語り手が犯人である」が記事冒頭に記載するほど重要な情報かどうか」について
[編集]賢明であり、礼儀正しく、常識という言葉を常識的に理解しているウィキペディアの編集者のかたがたに、この件について話し合いを持たれ、意見の合意形成に達することがあれば、実に素晴らしいことではなかろうかと、私個人は思ってます。
まず最初に申し述べておかなければいけないこととして、私はウィキペディアの記事としてのネタバレには反対しません。映画・小説のあらすじが「そこで○○が見たものとは…」的な記述で終わっているものは、積極的に最後まで追記します。
次に、ラストの真相は記事冒頭に記載するほど重要な情報ではないと思います。これは、ネタ(トリック)が作品の重要な部分(テーマ)と考えるかたが多分大多数だと思われ、そこらへんでの異論・反論は理解できます。しかしここで私が言いたいのは、「作者のテーマに相当するものは、「どのような手法で真相を隠すか」であり、「真相が何であるか」ではない(重要ではない)」ということです。つまり、『アクロイド殺し』は、まあこの作品に限らず冒頭で真相が明記されていない物語は「作者が真相をどのような方法で隠しているか」は重要な情報ですが、「犯人は○○である」は重要ではない、という判断です。したがって「作者は叙述の方法によって犯人を隠した」が、『アクロイド殺し』の記事冒頭で記載される重要な情報だ、というのが私の判断です。
したがって、これはガイドラインの見直しに関することになってしまうので、このノートに記しますが、
- 最後に出てくる真相・真犯人は多くの作品では重要な情報ではありません。冒頭では作者がどのような手法で真相・真犯人を隠したか、を記してください。
というのが、一つの提案です。
あと、最後にひとつだけ。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#疑問に思ったときはでは「記事に何が含まれるべきで何が含まれるべきでないか疑問に思ったときは、読者が百科事典の同じ見出しの項目に何を期待するであろうかを考えてみてください」とあり、ガイドラインより優先される方針でそう明記されているため、「百科事典では冒頭に真相・真犯人が明記してあるものが存在しない」、ゆえに「物語の冒頭に真相・真犯人が書かれることを期待しない」ということを、私個人ではなく一般的な判断にすることも可能ですが、それは多分「「語り手が犯人である」が記事冒頭に記載するほど重要な情報かどうか」とは節を分けて語るべきことでしょう。--以上の署名のないコメントは、砂手紙(会話・投稿記録)さんが 2016年10月15日 (土) 03:57 (UTC) に投稿したものです(Kinketu(会話)による付記)。
- コメント 「叙述の方法」では何だか判りません。「倒叙の方法」なら判りますが、それって「語り手が犯人である」とほぼ同じですよね。伯母殺人事件では冒頭部で「犯人の視点から事件を描く倒叙形式の名作として知られ」と書かれていますが、アクロイド殺しでも同様に冒頭部で「犯人の視点から事件を描」いたことを記載するべきだ、という意見でしょうか? --アルビレオ(会話) 2016年10月16日 (日) 02:51 (UTC)
- ガイドラインで一律に決めてしまうことには無理があります。作品を語るためには、導入部でネタバレに触れなければならない(それだけ重要である)作品と、そうでないものの違いはその作品の性質によるからです。したがって、個々のノートで議論していただくしかない思います。--有足魚(会話) 2016年10月16日 (日) 03:16 (UTC)
- 考えると倒叙ものの排除が難しいですね。「伯母殺人事件」はちょっと今、テキスト資料として確認・提示できる状況にないので、確認のうえ提示したいのですが、一般的な倒叙ものはたとえば、「物語の最後のほうに書いてあることは、記事の最初のほうには書かない」(これはあくまで、たとえば、ですが)だと、若干の普遍性があるような気がします。ガイドラインで決めるのは「個々の作品」ではなく、「一般的な作品」に関しての一般的なガイドラインで、逆にそれの例外的な作品に関して、個々のノートで塩梅をはかるほうがよろしいのでは、と愚考いたします。 --砂手紙(会話) 2016年10月16日 (日) 14:48 (UTC)
- (反対)提案されるルールの追加については明確に反対の意思表示をいたします。アクロイド殺しの件は、そういうことじゃないってのが私の認識です。
- あとそうした私の観点とは関係なく、アルビレオ氏が挙げられた「伯母殺人事件」は例としてちょっと的外れすぎますね。--EULE(会話) 2016年10月17日 (月) 10:45 (UTC)
- そこらへんのガイドラインがないと「物語の最後のほうに書いてあることでも、記事の最初のほうには書いてもよい」ということになりますが、それでも果たしていいものなのでしょうか。また、そのような方針にしている百科事典(ネタバレ百科事典みたいなもの)は存在するのでしょうか。ウィキペディアの方針として「読者が百科事典の同じ見出しの項目に何を期待するであろうかを考えてみてください」と書いてある以上、ガイドラインはそれに沿って定める必要があるのではないでしょうか。つまり、大多数の百科事典(有意な数の百科事典)が、確認できるかぎり「物語の最後のほうに書いてあること」の扱いに関しては慎重であることをご理解いただければ幸いです。例外は多分「物語の最初のほうに書いてあることでも項目の冒頭に書かない」ようなものになるかと思います。たとえば、映画ですが、『ユージュアル・サスペクツ』は冒頭で、犯人は誰かということがわかるような映像描写がありますけど、それは書いてもいいものか、という判断です。--砂手紙(会話) 2016年10月18日 (火) 09:21 (UTC)
- >それでも果たしていいもなのでしょうか。
- 全く問題ありません。そういうことはケースバイケースで判断すべきこと。事前に一律ダメとか決めてしまう方が、むしろ大きな弊害をもたらします。
- >ネタバレ百科事典みたいなもの
- 何度も言いますか、百科事典にはネタバレがあるのが当然というのが我々の共通認識ですし、ネタバレを特別扱いしない(ネタバレだからという理由で○○すべきとか○○すべきでないといった議論はしない)というのがWikipedia:ネタバレのルールです。
- >読者が百科事典の同じ見出しの項目に何を期待するであろうかを考えてみてください
- 読者が何を期待するかについて、勝手な思い込みで決めつけられても困ります。--Dwy(会話) 2016年10月18日 (火) 21:28 (UTC)
- そこらへんのガイドラインがないと「物語の最後のほうに書いてあることでも、記事の最初のほうには書いてもよい」ということになりますが、それでも果たしていいものなのでしょうか。また、そのような方針にしている百科事典(ネタバレ百科事典みたいなもの)は存在するのでしょうか。ウィキペディアの方針として「読者が百科事典の同じ見出しの項目に何を期待するであろうかを考えてみてください」と書いてある以上、ガイドラインはそれに沿って定める必要があるのではないでしょうか。つまり、大多数の百科事典(有意な数の百科事典)が、確認できるかぎり「物語の最後のほうに書いてあること」の扱いに関しては慎重であることをご理解いただければ幸いです。例外は多分「物語の最初のほうに書いてあることでも項目の冒頭に書かない」ようなものになるかと思います。たとえば、映画ですが、『ユージュアル・サスペクツ』は冒頭で、犯人は誰かということがわかるような映像描写がありますけど、それは書いてもいいものか、という判断です。--砂手紙(会話) 2016年10月18日 (火) 09:21 (UTC)
1・「大きな弊害」に関する具体例としては、たとえばどのようなものが考えられますか? 私には「事前に一律ダメ」としておいて、ケース・バイ・ケースで対応したほうがいいと思う、という例は『ユージュアル・サスペクツ』で明示しましたが、その逆の例を明示していただけるとありがたいことです。
2・物語のラスト近くに書いてあり、冒頭には書いてないことを冒頭に書いてある百科事典は存在しますか? 要するに、あなたが百科事典の熱心な読者であり、私の考えを「勝手な思い込み」とする、客観的な根拠はDwyさんには存在するのでしょうか?--砂手紙(会話) 2016年10月19日 (水) 11:06 (UTC)
- ケースバイケースで対応して良いものなら、「一律ダメ」とすべきではない。当然のことです。
- 「『ユージュアル・サスペクツ』で明示しました」とおっしゃいますが、その例では、「一律ダメ」となっていないことでどんな支障が生じているのでしょうか?ケースバイケースで対応できるものなら、無駄にルールを増やすべきではありません。
- 「冒頭には書いてないことを冒頭に書いてある百科事典」について、記事の最初の方で有名なラストシーンに言及する記事などは結構ありそうですが、砂手紙さんは、どのような調査をどのくらいなさったのでしょうか?--Dwy(会話) 2016年10月19日 (水) 22:13 (UTC)
- 『ユージュアル・サスペクツ』は、「冒頭に犯人が明示されてはいるが、項目の冒頭で犯人を明示すべきではない」というケース・バイ・ケースのミステリーの例外として挙げました。「一律ダメではなく、原則としてダメだが例外もある」ということでは合意形成は可能です。
- 「記事の最初の方で有名なラストシーンに言及する記事」は確認できませんでした。ノート:アクロイド殺しの「コトバンク経由の日本大百科全書(ニッポニカ)「アクロイド殺人事件」では」以下の記述をご覧ください。--砂手紙(会話) 2016年10月20日 (木) 00:18 (UTC)
- 賛同する人がいなければ、合意は形成できませんよ。--有足魚(会話) 2016年10月20日 (木) 09:08 (UTC)
一読者として、ネタバレ記述があれば不愉快ですし、ここに書いてあるような「頭でっかちのウィキペディアンによる」議論など知らない、よくもネタバレしやがったな、と憤る一般の読者は多いのではないでしょうか。 Mikadukimooo(会話) 2017年8月2日 (水) 19:16 (UTC)
- Wikipediaで、ミステリ作品の「あらすじ」や「登場人物」などを読んでいる時点で、ネタバレがあることは覚悟してもらわないと駄目でしょうね。個人的には、本格ミステリでない限りは、多少のネタバレがあったからと言って、作品の面白みがなくなったと思うことはありません。
- ただ、ミステリ作品において、むやみやたらにネタバレを記述するのも無粋なような気がします。個人的には、作品説明において必要性のないネタバレは記述せず、どうしても必要性のあるネタバレのみを記述するようにしています。--2400:4172:6833:CA00:ED1F:C686:2C41:92CD 2020年7月16日 (木) 02:14 (UTC)
冒頭部分の記述に対するガイドラインの提案
[編集]ガイドラインに「物語の最後のほうに書いてあることは、項目の最初のほうには書いてはいけません」という一文をつけることを提案します(ネタバレそのものを否定するわけではありません)。理由は、それが慣習だから、というのはちょっと弱いかな(慣習、という言葉で十分な強さが出る、と判断されるかたには十分かもしれませんが)、物語の作者とその創作物に対する敬意ですかねえ。個人的には「そのような記述方法をしている百科事典は見当たらないから」というのが、ウィキペディアの方針に沿った理由のように判断します。--砂手紙(会話) 2016年10月20日 (木) 00:18 (UTC)
- 反対。ケースバイケースや例外を認めるというのは、そもそも「ルールすべてを無視しなさい」に則ったウィキペディアにおける基本的な考え方、慣習であって、その意味は「ルールの条文ではなく精神を守れ」というものです。砂手紙氏の提案している内容というのは、どんなに言葉を重ねようと、また「ネタバレ」という言葉を使っていなくとも、「ネタバレを特別扱いしたい」というのが目的であり、その条項の精神と捉える他ありません。そして、その考え方は、「Wikipedia:ネタバレ」の精神に反する。だから反対いたします。
- 補足として、物語の結末を最初に書くことが不味い主題があることは否定いたしません。ただ、その場合はネタバレだとか、物語内の出来事の順序がどうのではなく、「その主題を説明する上で説明の順序がおかしく、読者を混乱させたり、誤った認識を持たせる」、つまり端的に言えば「文章の質が悪い」「小学校の国語からやり直せ」という、ただそれだけの話です。百科事典の多くで見当たらないことの大半はネタバレに配慮しているのではなく、そんな構成で説明したらかえってわかりにくくなるというほうが妥当な認識だと思います。--EULE(会話) 2016年10月20日 (木) 09:34 (UTC)
- 反対 例えば、コトバンクの[『罪と罰』の解説]をご覧ください。幾つもの百科事典が「独善的な理由から殺人を犯した主人公ラスコーリニコフが、娼婦ソーニャに促されて翻意し自首し、シベリア送りになる」という、物語の結末部分のネタバレに触れています。この時点で「そのような記述方法をしている百科事典は見当たらない」という砂手紙さんの前提は崩れています。
- ネタバレとは、作品の核心部分でもあります。導入部や概要を読んだだけでも、その作品の主題や内容が大まかに分かるのがウィキペディアの記事の理想であって(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部))、その他の部分は物事の内容をより深く知るための補足的な資料というのが、ウィキペディアの基本的なフォーマットのはずです。砂手紙さんのような提案は、そうした基本から逸脱していると考えます。この辺りのことは過去に議論し尽くされたはずで、今更小手先の対処で解決できるような問題ではないと思います。--Kanohara(会話) 2016年10月20日 (木) 10:45 (UTC)
- 反対 上記提案に反対します。Wikipediaは百科事典ですが、必ずしも他の既存の百科事典と同様の記述方法をとらなければならないというわけではありません。また、物語の作者云々への敬意ということを理由とした提案には、正直なところ説得力を感じません。--F@ST(会話) 2016年10月20日 (木) 11:10 (UTC)
- 反対 ある情報を記事のどこで述べるかどうかというのは、個々の記事のノートページで話し合って決めるべきものです。一律に決めるべきものではなく、また決められるものでもありません。既に上の節で複数の方から否定されているのに、何故わざわざ別の節を設けて再度提案するのでしょうか。クールダウンなされることを勧めます。--Kinketu(会話) 2016年10月20日 (木) 11:15 (UTC)