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Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/過去ログ4

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数字の桁区切りのコンマ

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  • 大きな数字(103 以上)には、3桁ごとにカンマ , をいれる。

とありますが、ISO 31-0

  • 桁区切りにはスモール・スペースを使い、コンマやポイントは使わない。

と定めています。フランス・ドイツなど大陸諸国でコンマとポイントの使い方が逆なのは有名ですし、それを別にしても、コンマとポイントは可読性が低く、時に判別しにくくなります。ここは「スペースを入れるか桁区切りはしない」とし、コンマは使わないようにしたほうがいいと思います。-U3002 2006年8月14日 (月) 17:47 (UTC)

「日本語として」という観点から見ると、「3桁ごとにカンマ」が最も一般的な表記かと思います。「ISO」という工業規格には必ずしも準拠する必要があるとは思いません。--Yas 2006年9月24日 (日) 22:28 (UTC)

「算用数字の桁区切り」は日本語の一部とは言い難く、日本で一般的なものを「日本語として」一般的と言い切るのは少々日本中心的ではないでしょうか。
実際には、日本では「12億3456万7890」のような表記がかなり一般的だと思います。1000以上で桁区切りを入れる現行ガイドラインは、このスタイルとも相性が悪いと思います。
ISO 31は国際純正・応用物理学連合 (IUPAP) や国際純正・応用化学連合 (IUPAC) の文書を元にしており、(日本を含む)自然科学・応用科学分野で広く受け入れられています。--U3002 2006年9月25日 (月) 01:50 (UTC)

文献名・作品名について その2

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かっこのくくり方についてです。書名には『』を、雑誌、新聞や、特に書籍、雑誌、新聞に掲載の作品名に注目する場合は「」を使用することを提案します。上の「文献名・作品名について」においてSinaさんが指摘するように、各方面でばらばらになっていることが理由です。

まず書名についてですが、多くの文献等は『』で統一されているため、ここは現行のままでいいと思います。次に作品名ですが、『』を使いたいところですが、書名と混合するので「」を使用するべきなのでしょう。しかし「週刊少年ジャンプ」のように二重括弧が使われないような場合は、作品名を『』でくくってもよいと思います。雑誌を「」とするのは書名と区別するためのほか、「ウィキプロジェクト 漫画」の指針にも合うためです。

つまり、

書名、映画作品名、CDアルバム名、テレビ番組名、ビデオゲーム名、その他作品名については、次のようにしてください。
  • 日本語のタイトルは『』で囲む。 - 例:夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫)

さらに、

雑誌名、新聞名、また特定のものに収録された作品に注目する場合は、次のようにしてください。
  • 日本語のタイトルは『』で囲む。 - 例:夏目漱石「坊っちゃん」(春陽堂刊『鶉籠』収録)

というような感じです。一度中断された感じなので、2ヶ月前に議論されたことをまとめた上での私案です。意見等を募集します。--DOERAX 2006年8月18日 (金) 15:06 (UTC)

雑誌については、論文等ではほぼ『』で統一されています→「掲載作品」『掲載誌』。雑誌や新聞は必ずしも統一されていませんが、新聞は「」、またはカッコを使わない感じでしょうか。個人的には『雑誌名』が好みですし、論文のスタイルに合致するというのは、すくなくとも「ウィキプロジェクト漫画」の指針よりは有効な根拠と思われます。現実にはあまり守られていませんが、ウィキペディアは、通常の百科事典以上に出典の表記を求めますから、論文作法に近づけるほうがいろんなところで合理的ではないかと。統一への合意形成のためには、まずは、新聞社の用語の手引きや他の百科事典の表記法を調べてみるのがよいかと思われますが如何でしょうか。--Ks aka 98 2006年8月18日 (金) 18:11 (UTC)

Sinaです。前回、最後までまとめ切れず、他の方のコメントを待つうちに時間が過ぎてしまいました、すみません。 DOERAXさん、新規のご提案ありがとうございます。 雑誌名については、Ks aka 98さんと同意見です。雑誌は『雑誌名』のように『』で囲むことが多いと個人的には感じていますし、現在のスタイルマニュアルにもそう記述されていますから、これを変更する必要はないと思います。 ただ、雑誌といっても色々な雑誌がありますから Sina が知らないだけで、漫画雑誌の場合には別の表記法が普及しているのかもしれません。 その場合には "一般には雑誌は『』で囲む、漫画雑誌の場合は「」で囲む" のようになるのでしょうか。 この点については漫画や漫画雑誌を扱った文献(論文や百科事典)に詳しい方に従いたいと思います。ところで、上記の「

雑誌名、新聞名、また特定のものに収録された作品に注目する場合は、次のようにしてください。
  • 日本語のタイトルは『』で囲む。 - 例:夏目漱石「坊っちゃん」(春陽堂刊『鶉籠』収録)

」についてですが、まず例示がよくないと思います。このためにDOERAXさんのご提案内容がすっきり理解できません。「特定のものに収録された作品に注目する場合の日本語のタイトルは『』で囲む」の例示ならば、ここの "「坊ちゃん」" は "『坊ちゃん』" ではないでしょうか?、それに雑誌名・新聞名も『』で囲むならば「書名、映画・・・」と分けて説明する必要はないと思います。あと「作品」とは何を指すのか曖昧な気がしますから具体的に表現できるものは具体的に列挙したらよいと思います。Sina 2006年8月19日 (土) 02:12 (UTC)

  1. 一般には作品名を『』とすることを原則とし、
  2. その作品が雑誌・定期刊行物や新聞、アンソロジーや論集などの単行本に含まれるものである場合は「」を用いる。

というのがシンプルかと思うのですがいかがでしょう。2によって、雑誌・定期刊行物は『』とするのが好ましい、という理由付けです。特に論文タイトルについては、「百科事典における表記法の一考察」(『○○大学紀要論文集』4号)みたいな書式が避けられませんから、学術的定期刊行物は『』にする必要を感じます。また、『』「」で挟むのは、タイトルが日本語かどうかよりも、刊行地が日本かどうか、または本文で主に使用されている言語が日本語かどうかで決める方がよいかと思います。--Ks aka 98 2006年8月19日 (土) 09:05 (UTC)

まず、 「日本語のタイトルは『』で囲む。 - 例:夏目漱石「坊っちゃん」(春陽堂刊『鶉籠』収録)」ですが、「日本語のタイトルは「」で囲む。 - 例:夏目漱石「坊っちゃん」(春陽堂刊『鶉籠』収録)」の誤りです。「」を『』と変換してしまいました。
雑誌のくくり方についてですが、各々で表記法が異なっているということはないと思いますので、統一を図りたいと思います。確かに出典を求める場合には書名と同様に『』でくくるべきであると思います。でも作品が雑誌に掲載されたことが問題ではない場合、作品名を『』、雑誌などを「」でくくると見やすいと感じます(つまり基本は作品名は『』?)。
ところで私は括弧の使い分けを、文庫(新潮文庫)の著者紹介欄を参考にして使い分けていました。ここではよく使い分けられていて、雑誌、新聞、また収録される作品名は「」、書名、作品名は『』でくくられています。これが丁寧で便利だったので文学記事を書く際に参考にしていたわけでして、私案もこれを参考にしたのです。--DOERAX 2006年8月19日 (土) 10:20 (UTC)

Sinaです。DOERAXさん、"日本語のタイトルは『』で囲む" の方がタイプミスだったのですね、失礼しました。Ks aka 98さん、(1)の "作品名を『』で囲むを原則" と考えるのは違和感があります。論文集の場合では、中味の個々の論文こそが作品で論文集自体はあまり作品っぽくないからです。どちらかというと "作品名は「」で囲む、作品を収容した書籍自体、論文集やアルバムなどは『』で囲む" と考えた方がSinaはすっきりします。でもこれは個人的趣味な気がしますから "作品名は「」で囲む" を原則にしましょうと主張するつもりはありません・・・。ただ『』で囲まれているものが書籍だったり、作品名(・・・それは書籍ではない場合がある)だったりするのは、まぎらわしいことだと思います。その意味で、書名や雑誌名になっていない作品名は「」で囲むというKs aka 98さんの(2)のルールには賛成です。書名や雑誌名は『』で囲むとするならば、『』で囲むことに統一できた方がよいと思います。 DOERAXさんが紹介されている新潮文庫の紹介欄、WEBでも検索できるようなので、少し見てみました。江戸川乱歩では、二銭銅貨は書籍の解説では『』になっていて、著者解説では「」になっています。これが使い分けなのでしょうか?("二銭銅貨" を「」と『』のどちらかで囲むとしたら「」では?・・・) Sina 2006年8月19日 (土) 12:45 (UTC)

えと、解説などからルールを類推する場合は、書名を指すのか作品を指すのか、作品なら書籍に収録されている短編を想定しているのか初出誌との関係で見ているのか、といったところに注意してみてください。あと、筆者の表記に合わせるというケースもありますし、基本は編集で揃えるけど大先生特例がある、みたいな場合もあるでしょうし。--Ks aka 98 2006年8月19日 (土) 12:58 (UTC)

Sinaです。色々な場合があるのはご指摘の通りですけれど、・・・?

  • 大正12年に雑誌『ABC』に掲載された小説家JKLの短編小説「DEF」は、昭和3年にGHI出版社から出版された短編集『DEF』に収録されている。

という例(適当な設定で誠にすみません)で、初出の原稿とその後に出版された短編集では微妙に加筆推敲されている場合があると、どちらの版を指しているのかを示すために、

  • 「DEF」(『ABC』)と「DEF」(『DEF』)

あるいは、短編小説をさしているのか、短編集全体をみているのかで、

  • 「DEF」と『DEF』

といった使い分けが必要になるのですよね。このように『』と「」を区別して使わないとまぎらわしい場合があるために表記ルールとして「」と『』の区別があるのだと思います。小説などの作品名が『』で囲まれているのをみて、本として出版されているの?あるいは作品名なの?と文脈から悩むことを回避できるならば、その方がよいなと思います。Sina 2006年8月19日 (土) 14:31 (UTC)

ああ。わかりにくいと思いながら書いてしまったのですが、えーと。校正や編集のマニュアルや用語ハンドブックみたいな約物(カッコとか中黒とか)の使い方自体に言及している本ではなく、適当に使用例を探して見るという場合に、それが統一された使い分けなのか、ある範囲に限った使い分けなのか、「」を使う人と『』を使う人が混在していて使い分けに見えるだけなのか、みたいなところを吟味しましょう、という注意喚起です。使い分けされていれば便利なのでどうせ統一されないにしても編集合戦の解決のために決めておいた方がいいと思ってたですが、どうせ統一しきれないなら決めなくてもいいかという気もしてきた。--Ks aka 98 2006年8月19日 (土) 17:13 (UTC)

Sinaです。Ks aka 98さんの注意喚起は適切な一般的なご指摘と思います。わかりにくくはありません。また、メリットのない表記ルールならば決めない方がよいとSinaも思います。今の相違点は
  • 「作品名は『』で囲む」
という表記ルールを新たに採用するか否かですよね?(反対しているのは、Sina一人?) 短編が短編集のタイトルになっていなくても『』で囲んでよいとすると、短編集『ABC』の中に2つの短編「ABC」と「CBA」が採録されている場合、"「ABC」は・・・、一方『CBA』は・・・" となってしまって不便に思うというのが反対理由です。CBAは『CBA』ではなくて「CBA」とのみ表記するならば「作品名は『』で囲む」というルールのメリットが曖昧です。あまり一人で主張していてもいけないと思いますので他の方々のご意見を待ちたいと思います。Sina 2006年8月19日 (土) 23:15 (UTC)
遡りますが(といっても前日の話)、新潮社のHPでのかっこの使い分けについて勝手に自己解釈。Sinaさんが引用した江戸川乱歩ですが、書籍の解説が『』なのは、そこでは作品名でしか表記されていないので(つまり書名であるということはどうでもいいため)、特に注意をひく二重括弧で表記したものと思われます。著者紹介では区別されています。
私が採用したいのは「基本は作品名は『』を使う」ということにして、書名との区別が必要なときには(これがどの場合に当てはまるかが微妙)「」を使用して対処する、という形でしょうか。すっきりしそうで曖昧なところです。--DOERAX 2006年8月20日 (日) 08:09 (UTC)

ここのところ、IPユーザーの方を中心に、二重カギを乱用している傾向があるので、(私のウォッチリストでは金石範安部公房で発見しましたが)、

  • 個別作品名は「」
  • 書名は『』

をルールとして確立させることを合意できないでしょうか。金さんの「鴉の死」を例にとれば、作品発表から単行本出版までの10年のブランクが、経歴のうえでもけっこう重要なので、使い分けは重要なのです。 --ねこぱんだ 2006年9月14日 (木) 23:14 (UTC)

私が提案をしたのもIPユーザーさんの編集がきっかけです。他の場所の規則との食い違いはその点なので、とりあえずその部分を変えたいところです。まず、書名は『』、それと区別が必要な作品名は「」、というのを規則化したいわけです。--DOERAX 2006年9月17日 (日) 08:03 (UTC)

みなさんこんにちは。申し訳ありませんが、議論が長くなって把握しきれていません。最後にお二人が端的に述べてくれたので少しわかりやすくなりました。

  1. 作品名は『』書名・映画名・CDアルバム名・TVシリーズ名・雑誌名・音楽作品名については『』(現在のスタイルマニュアル)
  2. 作品名は『』、雑誌名は「」(現在のウィキプロジェクト漫画)
  3. 書名は『』、それと区別が必要な作品名は「」(DOERAXさん)
  4. 個別作品名は「」、書名は『』(ねこぱんださん)
  5. 作品名は『』、その作品が雑誌・定期刊行物や新聞、アンソロジーや論集などの単行本に含まれるものである場合は「」(Ks aka 98 さん)
  6. 書名や雑誌名は『』で囲み、記事、短編、論文等は「」で囲む(Sina さん)

その他のご提案について、改めて挙げていただけると助かります。Sinaさんの具体的提案がちょっとわかりませんでした(現状維持を支持でしょうか?)。--Yas 2006年9月24日 (日) 22:55 (UTC) 修正 --Yas 2006年9月25日 (月) 20:59 (UTC)

シャーロック・ホームズシリーズの場合、56の短編は「」、4つの長編と5つの短編集は『』で囲むことが、伝統的になっています(ウィキペディアでは統一できていないところがありますが)。ここで決まるルールが、ホームズ作品の記述方法と矛盾する可能性はそれほど高くないと思いますが、もし矛盾した場合は特例的に認めていただければと思います。--Tamago915 2006年9月25日 (月) 10:16 (UTC)
Yasさん、Sinaの案は "書名や雑誌名は『』で囲み、記事、短編、論文等は「」で囲む" です。それとYasさんは "作品名は『』(現在のスタイルマニュアル)" と書かれていますが、現在のスタイルマニュアルは "作品名は『』で囲む" というルールではないと思っています。Sina 2006年9月25日 (月) 20:52 (UTC)
了解しました。スタイルマニュアルの表現に修正しました。--Yas 2006年9月25日 (月) 20:59 (UTC)

その2の延長

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このままだといろいろな解釈がされるようなので。私案です。

書名、映画名、CDアルバム名、テレビ番組名、雑誌名、コンピューターゲーム名については、次のようにしてください。
  • 日本語のタイトルは『』で囲む。 - 例:夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫)

さらに、

上記以外の作品のタイトル(所収作品、シリーズ名、CDシングル名など)については、次のようにしてください。
  • 日本語のタイトルは「」で囲む。 - 例:夏目漱石「坊っちゃん」(春陽堂刊『鶉籠』収録)

書くべきことはしっかり書かないと、ということなのでしょう。私案はずいぶん前に例示したものに朱筆を加えたものです。方向性は見えているのになかなかマニュアル化にならなかったのですが、今回こそは、ということです。私としては現在の記述だけでも十分わかるかな、といった気持ちになっていたのですが、やはりそうでもなかったようです。幅広い意見をお待ちしています。--DOERAX 2007年6月5日 (火) 05:12 (UTC)

1週間待って意見がないようなら「スタイルマニュアル」に追加します。--DOERAX 2007年9月2日 (日) 02:50 (UTC)


「作品リストの場合は、作品のタイトルを「」や『』でくくらないことに注意してください」という指示には合理性を認めることができません。また、書誌書誌学の立場からも許容できるものではありません。「 」や『 』は、作品の形態や性格などを識別するために意味のあるものです。とくに、ウィキペディアのような、多数の人びとが匿名で(ハンドル・ネームなどは匿名と同じです)編集するメディアの場合、作品リストが多種多様な書き方になってしまうことは避けられません。完全にすべての項目での作品リストを常に上記の指示の通りに保全することができれば、その場合には合理性があるかもしれませんが、そうでない状態を前提とするならば、これまでの書誌や書誌学が積み上げてきたスタイル(つまり「 」や『 』を用いて作品の形態等を識別する方法)を規準にするべきです。いかがでしょうか? 220.220.113.217 2007年9月3日 (月) 02:33 (UTC)

これまでの『 』や「 」に関する議論を読んで、たいへんな危惧を持ちました。続けて少し意見を書きます。
『 』や「 」の使い方を、このウィキペディアという場での議論を通じて形成していこうとされていますが、これまでの日本における印刷物に関する約束事に関して形成されてきた合意(つまり書誌の約束事)が活かされていない、そうした合意や約束事を土台にしようとせず、あらたにこのウィキペディアで約束事を作ろうとしている点に危惧を抱かざるを得ません。書誌の世界で積み上げられてきた約束・ルールを参照しようとしないのはなぜなのでしょうか? 
『 』と「 」の使い分けをはじめ、文献を表記する方法については、多くの本が出版されています。是非そういった書誌に関する本(また、論文の書き方、といった本の多くも、文献表記の方法について論及しています)を参照して、これまで積み上げられてきた書誌の方法を土台にして、ウィキペディアでのルールづくりについて議論して欲しいと思います。
「 」と『 』の使い分けについての議論が混乱する一つの理由として考えられるのは、大多数の日本近代文学の研究者が、雑誌名を「 」でくくってしまうなど、長年に渡って書誌の約束事とルールを無視してきたこともあると思われます(たとえば、日本近代文学館編『日本近代文学大事典』机上版〔講談社、1984年10月〕や、今年刊行された『社会文学事典』刊行会編『社会文学事典』〔冬至書房、2007年1月〕などは、雑誌・新聞の標題を「 」でくくるという書誌のルール無視を犯しています)。たとえば、ウィキプロジェクト漫画で雑誌名を「 」をくくることにしてしまっているのは、あるいは近代文学の世界での悪しき慣例に倣ったものかもしれませんが、これは日本語の書誌の立場から言えば間違いなのです。雑誌の標題は、『少年ジャンプ』といったように『 』でくくるのが、書誌のルールです。国語辞典や新聞などで雑誌・新聞、そのほか文学作品の標題などをすべて「 」でくくっているのは、例外的な状態なのです。
出版された作品の形態に即して『 』と「 」を使い分けるべきであり、それは書誌の知識と、レファレンスの技術を身につければ容易いことなのです。
単行本であれ叢書であれパンフレットであれ、1冊の本という形態で刊行された出版物、および新聞雑誌は、標題を『 』でくくる。1冊の本のなかや雑誌・新聞のなかに収録されている作品は、標題を「 」でくくる、という原則が、これまで積み上げられてきたもっとも合理的な約束事だと思います。この約束事を共有することで、知識情報のやりとりが正確で円滑なものになり、コミュニケーションも成立するのです。ぜひ、これまで積み上げられてきた書誌の約束事・ルールを土台にして、ウィキペディアでの議論をすすめて欲しいと思います。220.220.113.217 2007年9月3日 (月) 03:19 (UTC)

貴重なご意見をいただきました。私としては上のことに付け加えることは何もありません。

しかし。本としては『』を使用するのをよしとしても、"作品名"としてかっこを使用するときはどのようになるのか。例えば、夏目漱石の "坊つちやん" 。初出に限れば「坊つちやん」ですが、現在ではほとんどが単行本として刊行されていて、『坊っちゃん』と表記するのでしょう。中編作品は単行本にもなりますし、一つの本に他の作品と共に併録されることもあります。『』と「」の混合はこの点に起因しているともいえ、その結果かっこの選択は各々の判断に帰する、ということになってしまったのでしょうか。

……と書いたところで、提案にまたまた一部間違いがあったことに気づきましたので訂正しました。また1週間様子を見ますので、ご確認ください。--DOERAX 2007年9月14日 (金) 14:21 (UTC)

IPさんの 出版された作品の形態に即して『 』と「 」を使い分けるべき にはまさしくその通りと思います。なので修正後のDOERAXさんの案に賛成です。でも表現は少し推敲するとよいと思いました。
書名、雑誌名、CDアルバム名、映画名、テレビ番組名、コンピューターゲーム名については、次のようにしてください。
  • 日本語のタイトルは『』で囲む。 - 例:夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫)
上記以外の作品のタイトル(雑誌等所収の記事・論文名、短編の小説名、CDシングル名、シリーズ名など)については、次のようにしてください。
  • 日本語のタイトルは「」で囲む。 - 例:夏目漱石「坊っちゃん」(春陽堂刊『鶉籠』収録)
前半部は順番を入れ替えて、後半部は例示の内容を修正してみました。イメージし易い方がよいはずとの思いで中味は変えないように表現だけを推敲したつもりですので難点があるならばDOERAXさんの案でよいと思います。Sina 2007年9月15日 (土) 23:41 (UTC)
所収作品は短編に限る必要はないと思います。短編小説だけでなく長編や詩やエッセイ、漫画も区別します。『現代日本文学全集』第1巻(筑摩書房)収録「当世書生気質」のように。そもそも短編小説と中間小説の区別は難しいというよりも、区別できないと思います。--DOERAX 2007年9月22日 (土) 17:33 (UTC)
「所収作品は短編に限る必要はない」というのはそのとおりで賛成です。でも「所収作品」だと何を指しているのか漠然と広すぎてわかり辛いのでは?「上記以外の作品のタイトル(例:雑誌等所収の記事・論文名、短編集や全集等に収録の小説・詩・エッセイの題名、CDシングル名、シリーズ名など)については、次のようにしてください。 」では如何でしょか。元々丸括弧の中は例示なので、書いてないからといって限定されているという意味にはならないと思います。Sina 2007年9月22日 (土) 19:15 (UTC)
それでいいですね。ちょっと気になってしまったものですから。--DOERAX 2007年9月23日 (日) 18:35 (UTC)

「"作品名"としてかっこを使用するときはどのようになるのか」といった問題について。これは、記述する内容と文脈に応じて使い分けるべきです。たとえば、ある作品について記述する場合、それが雑誌等に連載されているときに関する記述ならば(あるいは文学賞に応募して受賞したことに関する記述ならば)「 」でくくり、書籍のかたちで刊行された作品として記述するならば『 』でくくる、といったことで問題は解決します。ただし、こうした使い分けは、その作品がどのような経緯をたどってきたのかという歴史的知識がなければできません。作品の経緯についての具体的知識に基づいて記述・編集がおこなわれている文章(つまり、同じ作品に関して『 』と「 」の使い分けがなされている文章)に対して、作品名だから一括して『 』でなければならない(または「 」でなければならない)、という考え方にはどうしても賛成できません。 もう一つついでに、『 』と「 」の使い分けに関して、短編か長編か、ということは何ら意味がありません。この使い分けは、あくまでも発表されたときの形態に即したもので、作品の長さには関係ありません。60.34.102.124 2007年10月2日 (火) 02:41 (UTC)

記述された内容からは推測することができないという状況も多々あると思います。個人的にはそこに限界があるからこそ、かぎかっこに混同が起きたのだと考えています。
ところで、近日中にも上の内容にマニュアルを書き換える予定です。--DOERAX 2007年10月3日 (水) 15:46 (UTC)
一部加筆の上で変更しました。--DOERAX 2007年10月7日 (日) 06:41 (UTC)
お疲れ様でした&ありがとうございました。長期に渡りましたが、最後にDOERAXさんにうまくまとめて頂いて、無事にFIXできました。Sina 2007年10月7日 (日) 10:13 (UTC)

シリーズ名について(表記ガイドとの関係)

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この節の議論によりシリーズ名は「」で囲む事とされましたが、表記ガイドでは、シリーズ名など作品群は『 』で囲む、とされたままです。現行の記述では「詳細はWikipedia:表記ガイド#著作物名を参照」という事なので、表記ガイドの方に従うべきとも読めます。 ここでの議論の途中に表記ガイドがガイドライン化された事で混乱したようですが、現在はスタイルマニュアルと表記ガイドが、重複・矛盾しているように見えます。著作物名のスタイルについては、どちらで説明されるべきなのでしょう? 表記ガイドのノートでは、スタイルマニュアルは簡潔な説明であり表記ガイドは詳細説明ページだという解釈がされているようですが、そういう解釈でよろしいでしょうか?--Kickaha 2008年2月2日 (土) 15:12 (UTC)

例えば「ガンダムシリーズ」という名前の著作物があるわけではなく、あくまで便宜上の呼称なので、著作物名と同様に扱うのは違うかな、と思ったりします。英語版を参考にしたりすると、色々混ざってたりするのかな(シリーズ (作品)シーズン (テレビ))。最終的な方針提示場所は表記ガイドになるかと思いますが、それにしても「」を支持。--Y-taro 2008年2月23日 (土) 13:23 (UTC)
表記ガイドに、とりあえず矛盾を避ける為の修整を加えました。--Kickaha 2008年4月11日 (金) 11:17 (UTC)

意見募集のお知らせ「CD名・曲名の括弧」(終了)

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Wikipedia‐ノート:表記ガイド#CD名・曲名の括弧にて、シングルCD名・曲名での括弧「」『』の使い分けについて提案をしましたので、皆さんの意見を募集しております。スタイルマニュアルで著作物表記の説明と議論があったことを知らずに表記ガイドで提案をしましたが、詳細は表記ガイドを参照とのことなので、表記ガイドで議論を続けたいと思います。--Y-taro 2008年2月22日 (金) 14:14 (UTC)

(終了) シングル名・曲名とも「」で表記すると表記ガイドに明記されました。--Y-taro 2008年2月24日 (日) 19:35 (UTC)

作品リストのこと

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作品リストの指示に、作品リストの場合は、作品のタイトルを「」や『』でくくらないことに注意してください、となっているのは変更しないのでしょうか? この指示があるため、作品リストを『 』 と「 」を使い分けて整理しても、『 』と「 」をすべてとりさったリストにすることが正当化されています。それで本当に使い勝手のよいリストになるのか、はなはだ疑問です。上記の『 』と「 」に関する問題提起は、作品リストの場合にもあてはまることだと思います。58.93.41.33 2007年10月9日 (火) 02:33 (UTC)

作品リストにおいて『 』および「 」を用いるか用いないかの問題については、横山秀夫の項目(とそのノート)を(履歴を含めて)検証してみれば、あきらかに『 』(と「 」)を用いて記述する方が、理に適った方法だと判断できるのではないでしょうか? リストを使用する人にとって最も適切なかたち、つまり、一目見て作品等の形態が容易に判るかたちで提供するべきだと思いますが、いかがでしょうか?  218.47.215.131 2007年10月13日 (土) 04:38 (UTC)
草案ではありますが、「Wikipedia:作品リスト」には、「ただし、括弧の使い方に慣用がある分野では、括弧でくくってかまわない。」とあります。個人的には、(「横山秀夫」の項目は)書名の横に出版社名が書いてあるので、書名であるということは書かずともわかると思うので大差ないと感じました。作品リストにおいては、かっこを用いずとも書名・それ以外の作品名の区別はできると思います。また、"Kappa novels"にかっこをつけたり、"ジョイ・ノベルス"にかっこをつけなかったりと、やっていることが中途半端との印象も受けました。--DOERAX 2007年10月13日 (土) 15:39 (UTC)
僭越ではありますが、試しに横山秀夫の作品リストを『 』付きのものにしてみました。書名標題のあとの( )の中の叢書名が『 』付きになっているのに対して、「××文庫に収録……」という部分の叢書名に『 』が付いていないのは、前者が書名標題であるのに対して後者が収録叢書名に関する註記、ということで統一がとれており、中途半端なものではなく、書誌をつくるときの一定のルールに則っているものだと判断できます。218.47.26.155 2007年10月14日 (日) 05:21 (UTC)(上の218.47.215.131と同一人物です)
カッパノベルスは書名ではないでしょう。つまり初出が叢書に収められたら『』をつけるということなのでしょうか。桐野夏生『冒険の国』(『新潮文庫』)みたいに。
私としては、作品リストに載せるのは初出と初刊、もしくは初収録単行本だけで十分で、二次刊行はいらないと思います。--DOERAX 2007年10月14日 (日) 06:02 (UTC)
書誌の実務家としてひとこと。カッパノベルスは叢書名=書名です。上記のように桐野夏生『冒険の国』(『新潮文庫』)と表記するは、正確な記述です。『冒険の国』(新潮文庫)という表記は許容できますが、『冒険の国』(「新潮文庫」)という表記は、多くの印刷部にみられるものですが、首を傾げざるを得ない書き方です。新潮文庫を概念として示す、「新潮文庫」、という表記は当然でも、本の形態を示す記述としては、『新潮文庫』と『 』でくくるか、かっこをとってたんに、新潮文庫、と書き表すべきです。雑誌名についても、「 」ではなく、『 』でくくるのが、正当な方法です。書誌の本を読んでみてください。60.34.102.103 2007年10月15日 (月) 02:04 (UTC)
作品リストは「本」という概念ではなくて「作品」という概念で編纂されるものです。例えば「震度0」という作品が『』でくくられていると、『小説トリッパー』に連載された作品としては不適切になるでしょう。書誌を作るのならば問題はないのでしょうけれども、作品リストを作ろうとしているのですよね。かっこにこだわるのなら、作品リストにおいては、かっこをはずした方が合理的だと思います。--DOERAX 2007年10月16日 (火) 17:35 (UTC)
作品リストは、『 』と「 」を作品の形態に即して使い分けるのが合理的です。個人が個人の責任で作るリストや、図書館などのように規準を厳密にしたうえで作成するリストならば、『 』や「 」をはずした方が合理的な面もありますが(図書館のカードを参照してください、『 』や「 」で標題をくくるカードはまったくといっていいほどありません)、リスト作成者が複数で、作成者の知識や情報処理能力が一定ではない場合には、『 』と「 」を使い分ける書誌のルールを適用するべきだと思います。そうすることで、かえって混乱を招くおそれがある、という見方もあるかもしれません。しかしながら、その見方に対する反論として、このウィキペディアは、「不特定多数無限大」の「集合知」によってつくられていくものなのだから、作品リストに関しては、より知識や情報処理能力がある(つまり、作品がどのようなかたちで公表され、流通されてきたかを正確に知り、それを書誌学の知識に基づいて正確に記述することができる)参加者の手で合理的な作品リストのかたちに整えられる方向に進化していくと考えられるので、作品の形態が一瞬のうちに理解できる『 』と「 」を使い分けたリストを認めるのが合理的だ、という意見を提示します。これは、作品リストだけではなく、本文中においても、『 』と「 」を使い分けた記述を認めるべきで、作品を一律に『 』でくくる、というルールは、「不特定多数無限大」の「集合知」を活用する方法ではないと思われます。さて、DOERAXさんが言うように、「震度0」を雑誌『小説トリッパー』に掲載された作品として記述する場合には、「震度0」、と記述するのが正しいのは言うまでもありません。しかし、単行本や叢書の1冊として刊行された作品として記述する場合には、『震度0』、と記述するべきです。もし、雑誌に掲載された作品が、同じ標題で単行本などのかたちで発行されたときにも「 」でくくるものだと思っているのなら、それは間違いです。横山秀夫の項目でも作品リストは、以前、Opponentさんが篠田節子の作品リストで作られたような、単行本に所収された作品までをも網羅するリスト(書誌詳細版にOpponentさんが保存されています)ではなく、あくまで単行本や叢書類の1冊として刊行された作品のみのリストだと理解しております。ゆえに、『震度0』、という記述は合理的です。さらに言えば、作品リストが「作品」という概念で編纂されるものであるなら、なお一層、単行本や叢書類は『 』で作品名=標題名をくくって記述するべきだと思います。219.164.11.61 2007年10月17日 (水) 02:16 (UTC)

単行本リスト、ましてや書誌を作っているわけではないですからね。単行本に収録された作品も書かなければリンクされない作品も出てきます。最近では浅田次郎の短編「オリヲン座からの招待状」が漏れました。

ところで、「作品の形態が一瞬のうちに理解できる『 』と「 」を使い分けたリストを認めるのが合理的だ」、とおっしゃいますが、単行本と叢書名だけのリストにするのなら、必要なのは『』だけで、「」がどのあたりで必要になるのかがわかりません。この二つの矛盾した意見で、あなたの意見が不透明になりました。

あと、作品がどのように流通したかは、個々の作品の記事に任せるべきだと思います。作品リストには初出、初刊および初収録本だけで十分です。--DOERAX 2007年10月21日 (日) 15:51 (UTC)

強調の多用について

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Wikipedia:ハイライトの仕方とも関連しますが、ガイドラインには強調を使用すべき所については説示がありますが、反対に、強調太字)を多用しすぎる事については明確な記述が無いと思われます。強調の多用は、英語での全文字大文字の多用と同様に、必要以上に扇動的であったり、本来強調すべきであって太字を用いている部分が目立たなくなってしまい逆効果であるなど、問題があると考えますので、ガイドラインにも一言、強調は多用しないように言及すべきかと思います。--222.1.178.58 2006年8月22日 (火) 08:57 (UTC)

強調の多用や、大サイズ文字の多用は、特に「プレゼンテーション」では反対に一般的な手法でしょう。執筆者がプレゼンテーションを得意としていれば、自然と強調を多用する傾向があるのではと思います。「ウィキペディアは百科事典でありプレゼンテーション資料ではない」、と言うのも、スタイルマニュアル や「ウィキペディアは何でないか」などで言及しても良いかも。--220.217.235.49 2006年10月23日 (月) 01:33 (UTC)

かなづかいのこと

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Wikipedia:井戸端でごたついているのですが、あるユーザーのかたが、歴史的仮名遣を『正かな』といいはって、少なくとも歴史的仮名遣を使用していた文筆業の人の記事は旧かなで書けという主張をし出しているのです。どうしましょう。 --ねこぱんだ 2006年9月4日 (月) 04:08 (UTC)

「仮名遣いは現代仮名遣いを原則とする。」という項目を示しても納得していただけないのでしょうか。状況がはっきりしないので断言はできませんが、歴史的仮名遣を使うのは引用文中などごく限られた場面にとどめるべきでしょう。少なくとも私は読むことはできても、正しく書くことはできませんし。---Redattore 2006年9月4日 (月) 04:32 (UTC)
Wikipedia:井戸端/旧字旧仮名の使用についてで私が以前議論提起した内容です。以前から懸念していたのですが、不特定多数の利用者のためにある百科事典よりも、仮名遣いに関するイデオロギが優先するなどといった過激な主張をする利用者が、一部いるようです。(最近では「歴史的仮名遣ひの排除」は公共の福祉に反する、とまで言い出しました)
Wikipedia名前空間やノートページでは「別に使っても構わないのでは」という合意形成はなされましたが、標準名前空間において歴史的仮名遣いを許容する理由はありません。
井戸端の記事に、Wikipedia:スタイルマニュアルを提示しました。また、それ以外の懸念点も追記しました。 --yfuruhata 2006年9月10日 (日) 05:21 (UTC)

「参照」「参考」の誘導文について

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更なる理解のためのほかの記事への誘導について、色々な文言が使われています。どうにかしませんか。

現状

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調べてみたところ、以下のような文言が見つかりました。

「参照」の代わりに「参考」となっていることもあります。参照と参考が使い分けられているのかは不明。他に、プロジェクト向けのテンプレートで「参照してください」というのもありました。百科事典向けとプロジェクト向けでは文体が異なって当然なので、プロジェクト向け文章で「参照してください」とあるのは特に問題ないと思います。

提案

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といった感じで統一をはかりませんか?語尾にこだわる意味は薄いのでシンプルな形にしていいのではないかと思います。皆さんのご意見をお聞かせください。--mochi 2006年10月28日 (土) 10:34 (UTC)

私も良く使うのですが体言止めは賛否両論かも知れません。ただ「参照を促す記述を統一する」という点では賛同します。--なっしゅびる 2006年11月16日 (木) 09:51 (UTC)

統一の必要性については同感です。なお、テンプレートtemplate:main

があるのですから、(必要ならこのテンプレートを書き換えて)テンプレートの使用を推奨してはどうでしょうか。--U3002 2006年11月17日 (金) 15:12 (UTC)

一貫性をもたせるため、私も統一に賛成です。確実に表記を統一できるのでテンプレートの推奨にも賛成します。現状ではTemplate:Mainの他にTemplate:SeeTemplate:See alsoがあるようですが、使い分けはどうなっているのでしょうか。場合によってはこれらのテンプレートの一本化も視野に入れる必要があると思います。--Miita 2006年11月17日 (金) 18:23 (UTC)

和暦・西暦の併記について

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現在、こちらでは

  • 日本史に関する項目は、できるだけ和暦と西暦を併記してください。

としていますが、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)の生年月日・没年月日の記述では

  • 日本の歴史上の人物では、明治6年以降については全て西暦(グレゴリオ暦)で記載してください。和暦を併記してもかまいません。

となっています。日本の人物に関する記事については、後者のガイドラインを適用し、さらに明治6年以降の略歴などの記述では、西暦のみの表記でよい、と考えていたのですが、どうも前者を適用してくるケースがあるようです。必ずしも併記を推奨する必要はないと考え、提案させていただきます。--なっしゅびる 2006年11月14日 (火) 13:13 (UTC)

この件については、こちらで議論が始まりました。まずは、そちらをご参照ください。
そちらでも述べたように、Wikipedia:中立的な観点からも、併記が望ましいと考えます。Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)でも、「併記してもかまいません」とあるのに、それを妨げるのはどうでしょうか?記事を立ち上げた人が西暦のみであったとしても、後から和暦を追加すればいいのですから・・・お茶の水博士 2006年11月15日 (水) 09:10 (UTC)
妨げる意図ではなく、必須項目以外の記述について、もう少し幅を持たせられないか?という提案です。私が関わってきた記事内容を見る限り、併記に関して(このガイドラインの和暦併記部分の記述を知っているかどうかはともかく)執筆者の同意が取れているとは考えにくい状況です。西暦表記の省略形さえ存在したケースも有りますが、これは私も気づいた時点で直してきました。
和暦と併記の件については、(人物伝)の方は気にしていたものの、ひとまず西暦記述で十分と考えていました。ただ今回、自分の関わった記事で、和暦併記に関する加筆が全ての年度表記に対して行われて「面食らった」というところです。
さらに、お茶の水博士さんとの会話の中で行われた指摘で調べてみると、まさかスタイルマニュアルの方で、「日本史」というキーワードがあるとはいえ、より強い記述になっているとは考えもつきませんでした。その辺りの整合性を配慮出来ないか、という提案も兼ねています。あと、それだけの変更量に伴うメリット・デメリットや「中立的な観点」については、ひとまずコメントを保留します。--なっしゅびる 2006年11月16日 (木) 09:45 (UTC)

編集案内囲みの表記法および表記順

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編集案内囲みの表記法および表記順についての提案をTemplate‐ノート:編集案内#編集案内囲みの表記法および表記順に記載しました。しました。ご意見おねがいいたします。--Pararinpooh 2007年2月13日 (火) 01:51 (UTC)

放置されている統合提案

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Category‐ノート:ガイドラインにおいて、Wikipedia:フィクションを明確に区別Wikipedia:変更は統合するWikipedia:ページのバランスに注意Wikipedia:大雑把な記述を避けるWikipedia:ページを孤立させないWikipedia:ハイライトの仕方の、Wikipedia:スタイルマニュアルへの統合が提案されているのですが、1年近く放置されています。提案内容には賛成ですので、この場に改めて統合を提案します。反対がなければ1週間後に統合を実施したいと思います。--Cave cattum 2007年2月23日 (金) 15:38 (UTC)

(報告)Wikipedia:ページを孤立させない以外は全て統合いたしました。Wikipedia:ページを孤立させないはむしろWikipedia:ウェブを構築するとの統合が適切であると思われますので、別途統合を提案します。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月18日 (日) 03:56 (UTC)
Toki-hoです。Cave cattumさんありがとうございました。統合された部分の説明文については、マニュアルらしくなるように修正が必要でしょうが、それはこの後おいおいしてゆけばよいと思いました。Toki-ho 2007年3月18日 (日) 05:13 (UTC)
Wikipedia‐ノート:ウェブを構築するのほうで、再度提案しました。--Aotake 2007年5月27日 (日) 08:48 (UTC)

旧仮名遣いの作品

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転々としてしまいましたが、「Wikipedia‐ノート:記事名の付け方」から。以下同ノートと同文。

旧仮名遣いで書かれていた時代の作品(主に明治以後)は、新仮名遣いに直すのかという問題です。以下の文章では「仮名遣い」のうち、「遣い」を省きます。

例えば、「学問のすすめ」「こころ (小説)」などといったものは新仮名に直されていますが、「金子みすゞ」はそのままです。おそらく現在多くの作品は、旧仮名・旧字を新仮名・新字に改めるという方針で出版されているためであると思いますが、多くの百科事典ではそういったものは旧仮名・新字(または一部旧字)で載せています。よって、旧仮名で書かれた作品はそのまま、「トロツコ」のように新仮名に直さないでいたほうがいいと思います。

皆さんの意見をお待ちします。--DOERAX 2007年3月26日 (月) 11:38 (UTC)

さがすとぞろぞろでてきますよね。「くれなゐ」(佐多稲子)とか「考へるヒント」(小林秀雄)とか。こういうのはまだ旧かなでいい(漢字は現行字体のほうがいいと思います。これも旧字体にこだわると収拾がつかなくなるような)のでしょうが、問題なのは、「シクラメンのかほり」のように、かなづかいをまちがえたものはどうしましょうかねえ。 --ねこぱんだ 2007年3月27日 (火) 02:45 (UTC)

「作品名」として扱い、直すことはしないほうがいいでしょう。
以下の項目で移動が必要となります。まだありましたらお教えください。
節「文献名・作品名」の所に、「歴史的仮名遣いで表された作品名は、現代仮名遣いに直さないでください。」と追加することでよろしいでしょうか。--DOERAX 2007年4月1日 (日) 06:08 (UTC)
踊り字はどっちでもいいと思います。 --ねこぱんだ 2007年4月2日 (月) 00:37 (UTC)
踊り字は、例えば「金子みすゞ」などはそのままです。現在の表記にあわせて変えた前に、題名に踊り字が使用されている以上、踊り字にしたほうがいいのではないでしょうか。旧仮名ではないけど、一応これも統一したいなあと考えていました。旧仮名に直す記事は、のちのち移動します。--DOERAX 2007年4月4日 (水) 03:17 (UTC)
踊り字も移動しました。
現代の表記ではどのような表記がスタンダードがで決まるのではないでしょうか? --経済準学士 2007年4月16日 (月) 18:16 (UTC)
百科事典の項目としてはこれがスタンダードだと思います。一番書名の項目の多い文学事典も参考にしました。--DOERAX 2007年4月17日 (火) 16:08 (UTC)

本文を編集しようと思ったのですが、Wikipedia:表記ガイドにも掛け合ったほうがいいんでしょうか。けっこう複雑ですね。--DOERAX 2007年9月2日 (日) 03:03 (UTC)

ここでの経緯を知らずに、坊つちやんに改名提案を貼ってしまいました。旧漢字を使わないのに旧かなを使うのは筋が通らないだろうと思ったのですが、もしそれが百科事典としての慣例であれば、Wikipediaも百科事典を目指す以上、そこが基本地点になるでしょうね(そこを出発点とした上で、「旧漢字を使わないのに旧かなだけ使うのはおかしいから、あえてWikipediaでは新かな新漢字で行く」という方針もありでしょうが)。

ただ、その「多くの百科事典」という根拠に関して、疑うわけではありませんが、どのような百科事典でどう使われているのかが気になります。また、「仮名遣い」と「拗音・促音の小書き」はある程度独立した問題なので(旧仮名遣いで小書きすることも、現代仮名遣いで小書きしないこともある)、それに関しても知りたく思います。私自身調べたいところなのですが、なかなか事情が思うに任せませんので、調べられる方がいらっしゃれば、事典名とページ・行数等をお教えいただければと思います。また、文学事典と一般の百科事典では、Wikipediaの性質上後者のスタイルを参考にするべきだとも思います。DOERAXさんはウィキブレイク中だそうですが、本人にお答えいただければそれに越したことはないので、活動再開を見越してノートページに書いておきます。--竹田 2007年11月15日 (木) 02:49 (UTC)

活動を再開するつもりはないですが、重要な議論となるので早めにお答えします。手元に本の事典がないので、自分が持っている電子辞書によると、以下の通りです。参考までに。
  • 「生きてゐる兵隊」(石川達三):「生きてゐる兵隊」(『広辞苑』第5版より「石川達三」の項)、「生きてゐる兵隊」(『百科事典マイペディア』より「石川達三」の項)
現在は中公文庫『生きている兵隊』が入手可能だが、文庫の特質上、新字新仮名に改められている。
  • 「日本之下層社会」(横山源之助):「日本之下層社会」(『広辞苑』)、「日本之下層社会」(『百科事典マイペディア』)
現在は、岩波文庫『日本の下層社会』が手に入りやすい。そのためか、ネットで検索するとその違いは歴然とするが、「日本の下層社会」と表記する文章、ましてや事典にはお目にかかったことがない(むしろ探して欲しい)。もっともネットの検索はアテにならないが。
  • 「坊っちゃん」(夏目漱石):「坊つちやん」(『広辞苑』)、「坊っちゃん」(『百科事典マイペディア』)
表記は様々だが、それは「坊つちやん」のノートなどを見ていただければ。
旧漢字を使わないのに旧かなを使うのは筋が通らない、というのはよくわかりません。江戸以前のものにも、『万葉集』(『萬葉集』)など旧漢字を新漢字に直したものはいくらでもあります。また、百科事典と文学事典の間に差はありません。考えてみれば当然ですが。
ご存知でしょうが、注意しなければならないのは、文庫本というものは、性質上「読みやすさを考慮するために、表記を現代化している」点です。どの文庫にもこのことについては注意書きがあります。「生きている兵隊」「考えるヒント」といった表記は、俗な表記、といったところなのでしょうか。
とりあえず、『日本大百科全書』『新潮日本文学辞典』あたりを週末に調べてみます。--DOERAX 2007年11月16日 (金) 15:09 (UTC)
「生きてゐる兵隊」等、一般的に旧かなの作品名は旧かなで書かれ、また旧漢字は新漢字に改めて書かれるというのが慣習であるという点に関しては了承しました(「日本之下層社会」は別の問題ですね(旧かな→新かなではないので))。
ただ、私のほうでもいくつか立ち読みしてみたのですが(ソースは記録していません、すみません)、「坊っちゃん」に関しては「坊っちゃん」の表記が多いように思われました。「拗音・促音の小書き」に関しては、「小書きにする」という(ゆるやかな)慣習があるのではないでしょうか。
以上を総合し、「旧漢字」→「新漢字」、「旧かな」→そのまま、「拗音・促音」→小書き、というのを方針にするというのはどうでしょうか。ただ、私のほうではソースを取っていないので、拗音・促音の小書きに関して私の主張と違うソース(半数以上の百科事典類で小書きがされていない)があれば取り下げます。
ちなみに、旧漢字を使わないのに旧かなを使うのは筋が通らない、と書いたのは、「慣習」を離れた「一貫性」という観点からです。ただ、慣習として成立しているものをあえてWikipediaで変えるというのはやはりよくないですね。--竹田 2007年11月28日 (水) 16:00 (UTC)
早く解決したい、と言いながら返事が遅くて申し訳ない、と思っています。
さて、旧仮名遣いについては、旧かなはそのままにするとか、促音はそのままにするとか、そういうことではないのではないでしょうか。これは、作品名だけでなく、本文からの引用と同じだと思います。たとえば、「Wikipedia」の記事「夏目漱石」の節「年譜」の中には、「*1870年……大きくなつて聞くと、種痘が元で、本疱瘡を誘ひ出したのだといふ話であつた。……」と、小説『道草』からの引用があります。この引用は何を底本にしたかはわかりませんが、とりあえず拗音・促音を小文字に直すということはありません。わざわざ直す理由もよくわかりません。引用と同じく促音等も著者の表記をそのままにするのが妥当ですし、これは踊り字や「之」の表記にも当てはまると思います。なので拗音・促音だけを小書きに直す、というのは意味がないと思います。--DOERAX 2007年12月4日 (火) 15:58 (UTC)
作品名に関して、「漢字は新漢字に直し、仮名遣いはそのままにする」というやり方について、それが正当性を持つのは「事典類での慣習になっている」という一点だと思うんですよね(「原文そのまま」という原則ならば、漢字も旧漢字のままでなければおかしいでしょう)。そういうことであれば、拗音や促音の小書きについては、漢字や仮名遣いとはまた別に慣習を調べる必要があるのではないでしょうか。例えば、CiNiiの論文検索で調べても、多少ゴミが入っていますが「坊っちゃん」は144件、「坊つちやん」は5件です。ぜひ一度、検索結果も含めご覧ください。ちなみに、「生きてゐる兵隊」は12件、「生きている兵隊」は6件です。--竹田 2007年12月7日 (金) 05:29 (UTC)
「新字(旧字)・旧かな」は、文章のよりどころとするべき全集にも採用されているもので、「事典類での慣習」だけではありません。「原文そのまま」を本当に「そのまま」ととらえて、全部原文どおりの漢字を使うべきだ、というのは、かなりの誤解です。「新字(旧字)」としたのは、旧漢字を一括して新漢字に直すのは非常に危険であり(芥川龍之介or芥川竜之介)、まだ議論の結論を見ていないからです。また、拗音や促音に慣習も何もないと思います。丸谷才一や阿川弘之らはいまでも旧仮名遣いを使用しており、拗音や促音に小書きは使っておらず、これをあえて小書きに直すことに意味があるとは思えません。つまり、拗音・促音は一括して小書きに直すのは難しく、またそこに慣習はないはずです。
「CiNii」の検索結果を見てみましたが……「坊っちゃん」(140件)の5分の2ほどが「坊っちゃん列車」だの、「坊っちゃん賞」だの、まったく関係ない語でした。また、『文蔵』といった大衆向けの雑誌も入っていますし、「坊っちゃん」表記は多くて当然だと思います。「坊つちやん」は49件、「坊っちやん」は21件、「坊ちやん」は4件でした。総じてこういった類の検索は、Googleしかり、あまり参考にはならないのですよね……。(それに『坊っちゃん』はネームバリューがあるし)
小学館の二つの百科事典『日本大百科全書』では「坊つちやん」、『万有百科大事典』(ジャポニカ)では「坊っちやん」でした。--DOERAX 2007年12月8日 (土) 15:39 (UTC)

カウントを間違えていてすみません。改めて、二重カギ括弧をつけ「『坊っちゃん』」「『坊つちやん』」「『坊っちやん』」「『坊ちゃん』」で検索すると、それぞれ54・25・14・20件でした(前二者には特集があり数が増えている部分もあります)。

百科事典の情報ありがとうございます。となると、お調べいただいた4つの事典類の中で、小書きを行っているものは『百科事典マイペディア』だけということですね。それでしたら、小書きに関しても大勢に従い原文通りにするということで異論はありません。『坊つちやん』と『坊っちやん』に関しては難しいところなのでしょうが、現状維持で問題ないと思います。

これまで、素人の疑問に丁寧にお答えいただきありがとうございます。ただ、今後も私のような疑問を持つ人が現れないとも限りませんので、どこかに方針として残しておいた方がいいのではないでしょうか。Wikipedia:表記ガイド#著作物名などはどうでしょうか。--竹田 2007年12月9日 (日) 07:26 (UTC)

前日(2007年12月8日 (土) 15:39 (UTC))の発言に、「……文章のよりどころとするべき全集にも採用されているもので……」とありましたが、これは誤りでした。旧字なら旧字で印字されています。が、これはウィキペディアの表記ガイドに従うべきでしょう。
その表記ガイドには、「歴史的文書の引用では、原文通りでも構いません」とあります。これは著作物、というより、固有名詞や歴史的用語も同じことが言えるのでしょう。すみませんが、私は再びここで、ウィキブレイクです。ノートページで起こせばまた出てくるかもしれませんが。--DOERAX 2007年12月9日 (日) 16:12 (UTC)

段落の長さについて

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英語版にならっていくつかの項目がスタイルマニュアルに統合されました(Category‐ノート:ガイドライン#.E8.8B.B1.E8.AA.9E.E7.89.88.E3.81.AE.E5.85.83.E8.A8.98.E4.BA.8B.E3.81.8CWikipedia:Guide_to_writing_better_articles.E3.81.AB.E7.B5.B1.E5.90.88.E3.81.95.E3.82.8C.E3.81.9F.E8.A8.98.E4.BA.8B)。統合の際に、他の項目(例えばWikipedia:フィクションを明確に区別 など)はスタイルマニュアル内にある程度の記述がなされたのに対し、Wikipedia:1文だけの段落を作らないに関してはスタイルマニュアルに記述がないままリダイレクト化だけがされてしまっています。この状況を解決するために、英語版のen:Wikipedia:Guide to writing better articles#Paragraphsにならって「段落」のセクションに下記のような文章を付け加えた方がよいように思います。皆さんのご意見をいただけると幸いです。

段落は、あまり長くなると読みにくくなってしまいますが、逆に短すぎると内容が完結していない印象を与えることがあります。段落が長すぎる場合には、通常、テーマの似ている文をまとめることによって2つ以上の段落に分割します。この場合、読者が混乱しないように2つめ以降の段落の最初には「その例もたくさんあり、例えば~」といったように、前の段落との関連性を示す文章を入れた方がよいでしょう。逆に、1文だけで構成された段落というのは非常に目立ちます。したがって、目立たせるに足るような重要な文章でない場合には、1文だけの段落は作らない方がよいでしょう。1文だけの段落を連ねて記事が構成されているような場合には、通常、文のテーマに応じて複数の文を1段落にまとめ、少ない段落数で記事が構成されるようにします。

--Impromptu 2007年5月24日 (木) 07:42 (UTC)

(賛成)賛成いたします。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年12月3日 (月) 19:29 (UTC)

section=newによって生成される節とスタイルマニュアルの齟齬

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↑↑↑↑↑↑

詳細は、Help:セクションのノートにて。--鷹揚虚空 2007年11月8日 (木) 03:18 (UTC)

脚注について

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提案

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いくつかの記事を見比べてみると、脚注が関連項目等の節の前にあるものと後ろにあるものがあるようです。また、脚注に<div class="references-small"><references/></div> といったような、クラス指定をしてるものとしていないものがあるように思います。私としては、これを統一することとし、「このページに解説されていない点について」の節のまえに、「脚注について」という節をつくり、

脚注は、表示される記事の内容の最後に、カテゴリや言語間リンクといった表示されない要素のまえに、「脚注」等の適当な見出しをつけて、独立した節としてつけることにしてください。そのさい、次のようにreferences-smallクラスを指定してください:
<div class="references-small"><references/></div>

といった表記をいれたいと思うのですがいかがでしょうか? 賛成、反対、修正意見、たんなるコメントなどでも結構ですので、皆様のご意見を頂戴できれば幸いです。

意見

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取り下げ

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Dark Eyesさんのご指摘のとおりなので、提案を取り下げます。--Mizusumashi(会話|投稿記録) 2007年12月4日 (火) 01:01 (UTC)

関連項目について

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過去の議論[1]の蒸し返しとなりますが、「関連項目」のスタイルについて「解説」化していただきたくお願い申し上げます。具体的には、

特に「ぜひこの項目は合わせて参考にしてほしい」という項目については、関連項目に記述するのが望ましいと考える。本文中にリンクがあるからといって、勝手に消す人がいるが止めてほしいものである。 --忠太 2005年2月24日 (木) 15:51 (UTC)

という意見と同じです。紙媒体の百科事典でも重要関連事項は末尾に付いております。--ΑΩ 2008年4月1日 (火) 15:55 (UTC)

関連項目についての議論をWikipedia‐ノート:関連項目、および、 Wikipedia‐ノート:レイアウトの指針#関連項目についての二箇所に発見いたしましたので上記を削除いたします。議論の箇所が3箇所になるのは不便ですので。

差し戻しと再加筆について

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Wikipedia:削除依頼/GFDL上問題のある関連文書およびWikipedia:削除依頼/GFDL上問題のあるリダイレクトにおきまして、2007年3月18日 (日) 03:44 (UTC) にWikipedia:スタイルマニュアルに統合されたWikipedia:フィクションを明確に区別に関するGFDL違反が指摘されました。そこで、統合前の版までの差し戻しと再加筆を行いました。削除依頼での今後の審議にもよりますが、Wikipedia:フィクションを明確に区別が削除された場合、Wikipedia:スタイルマニュアルも中間版の特定版削除が必要となります。--Cave cattum 2008年6月4日 (水) 05:08 (UTC)

作品リストの括弧についての提案

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Wikipedia:スタイルマニュアル#作品リスト」の「作品リストの場合は、作品のタイトルを「」や『』でくくりません(ただし、音楽作品名で一般名部分は装飾しません)。」の部分を「作品リストの場合は、作品のタイトルを囲む「」や『』を適宜省略することができます。」と改定することを提案します。

この記述については「#作品リストのこと」でも「Wikipedia:スタイルマニュアル#著作物名」で説明される括弧の使用に合わないことを指摘する議論がありましたが、さらに書籍に関しては、「Wikipedia:出典を明記する」で書名を『』(書籍、雑誌名)または「」(雑誌論文名)で囲むこととしているのに作品リストでは囲まないとするのは理に合わないと考えます。括弧で囲むことで作品名の部分が読みやすくなると考えられ、特に「生徒会の一存#既刊一覧」のように作品名に空白が含まれる場合は『』や「」で囲まないと作品名部分が判別しにくいのですが、当該記述によれば『』や「」を使えないことになっています。音楽作品と映像作品のリストの書式について説明している「Wikipedia:作品リスト」でも、「括弧の使い方に慣用がある分野では、括弧でくくってかまわない」とされています。

Wikipedia:スタイルマニュアル」と「Wikipedia:表記ガイド」によれば基本的に作品名は括弧で囲むことになりますが、「Wikipedia:作品リスト」では「作品のタイトルを「」や『』でくくらない」とされており、「#作品リストのこと」では「本」ではなく「作品」という概念でまとめたリストであれば括弧を使用しないことが合理的であるとの意見もあり、上記の文面としました。「音楽作品名で一般名部分は装飾しません」の部分に関しては、文意が通りにくいために省略してしまいましたが、よい文案があればご提示いただきたいと思います。

以上、ご意見がございましたらお寄せください。--Kabityu 2009年4月1日 (水) 18:39 (UTC)

チェック 異論がありませんでしたので、以上の提案の通り編集しました。--Kabityu 2009年4月9日 (木) 15:48 (UTC)