Template‐ノート:Num-pron-1
日本語の特殊性
[編集]日本語の特殊性に鑑みて、音訓分けれて使へる用にすべきです。
- 西暦4年(シネン)
- 西暦7年(シチネン)
- 西暦40年(シジュウネン)
- 西暦70年(シチジュウネン)
- 平成17年(ジュウシチネン)
- 平成19年(ジュウクネン・ジュウキュウネン)
- 西暦2007年(ニセンシチネン)
これらは全て正しい日本語です。七回忌(シチカイキ)、七年戰爭(シチネンセンソウ)、et cetera。漢字の數詞は、音讀みに續けば音讀みで讀み、訓讀みに續けば訓讀みで讀む。それが正しいのです。訓讀みで引用したい箇所もあるでせうから、音訓兩方に應へることが出來ねばなりません。
ジュウクネンとジュウキュウネンは、漢音か呉音の違ひでどちらも音讀みです。どちらも正しいと言へます。 ここは引用者の裁量に任せ、好きな音を選ぶやうに出來ればな、と思ひます。
漢數字ノ音讀一覽
[編集]- 一 - 漢:イツ 呉:イチ
- 二 - 漢:ニ 呉:ジ
- 三 - 漢:サン 呉:サン
- 四 - 漢:シ 呉:シ
- 五 - 漢:ゴ 呉:ゴ
- 六 - 漢:リク 呉:ロク
- 七 - 漢:シツ 呉:シチ
- 八 - 漢:ハツ 呉:ハチ
- 九 - 漢:キュウ(キウ) 呉:ク
- 零 - 漢:レイ 呉:リョウ(リヤウ)
- 拾 - 漢:シュウ 呉:ジュウ(シフ)
- 百 - 漢:ハク 呉:ヒャク(ヒヤク)
- 千 - 漢:セン 呉:セン
- 萬 - 漢:バン 呉:モン、慣:マン
- 億 - 漢:ヨク 呉:オク
比較的よく使ふであらう音(赤字で示した)は、漢呉ともにあり、また我が國の慣習發音(それでも音讀み)もあります。
なほ括弧の假名遣ひは正假名です。不本意ながら、正假名を解せざる者が多い爲の配慮です。--Qoo 2008年4月30日 (水) 04:25 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。正直なところ西暦年数記事から以外の参照は想定していなかったのですが、たしかに引数などで柔軟さをもたせるのはいいアイデアだと思います。
- 読みについてですが、個人的には伝統的な正しさというのはあまりこだわる必要はないと思います。「しち」や「く」はともかく、4年を「しねん」と読む人はおそらくいないと思いますし。慣習的な読み方で、一番不自然のないものを使えばよいと思います。--Niboshi 2008年5月1日 (木) 14:45 (UTC)
追記です。音讀みの例をあげますと、「四千兩(しせんりやう。歌舞伎脚本)」「四拾肩(しじふかた)」「七十五日(しちじふごにち)」「四百四病(しひやくしびやう)」などがあり、訓読みは「七瀬(ななせ)」など訓に限ります。生憎「シチヒヤク」「シチセン」の例が手元の辭書に見つからないのですが、シヒヤク・シセンに同樣であると思ひます。尾崎紅葉の小説、金色夜叉の第八章には「–七千圓(しちせんゑん)も財產が在つて・・・」とあります(尾崎紅葉『金色夜叉』)。シチネンは廣辭苑にありますが、シネンはありません。おそらく四年忌があれば、シネンキと讀むでせう。
三高歌集なるものには、明治三十八年作曲の「〽《中略》何眠る七百(しちひやく)の」とあり、明治末期の日本語では存在してゐます。また、地名は古いものが多いので正しい日本語を繼承してをり、「七百島(しちひやくたう)」なる島が長崎にあるやうです。
記事名には「正式な名称を使うこと」との指針、傳統的な物が正式でありますから、本文でもなるべくさうして下さい。慣例は誤解を招く場合のみ避け、この場合妙な慣例は讀む人間が字面(漢字)を見ればさう讀みますから、間違つて解釋される危險はありません。そこで正しい讀みを認識すればそれでよいのであります。
日本語との相性は元々惡くて當然です。しかし、我々は漢語は漢語として受け入れ、たとへば「無能」は「能無シ」、「非常」は「常に非ず」で日本語と文法が異なりながらも、廣く受け入れられてゐます。そこには概念を其のまゝ受け入れた先人の智慧があり、それが現在の外來語を無盡藏に許容しうる日本語の柔軟さを形成したやうに思へます(天性の物かもしれません)。兎角、かかる理由で私は音讀を推奬したいのです。そこに「漢語としての文章の美しさ」が現れるのではないでせうか。--Qoo 2008年6月13日 (金) 15:44 (UTC)
- こんにちは。ご連絡をいただきありがとうございます。コメントします。
- Qooさんの上の御説は拝見した上で、僭越ながらほぼ差し戻しをさせていただきました。私の考えは、上にあるNiboshiさんの
- 「伝統的な正しさというのはあまりこだわる必要はないと思います。(中略)慣習的な読み方で、一番不自然のないものを使えばよいと思います。」
- というご意見と同じです。言い換えれば、合理性より慣用を重視するということです。
- 私はQooさんのご見解が間違っていると断定するつもりはありません。しかし一方で数詞、特に年号の読み方の中に湯桶読みが一般化しているものがあることも否定できないと思います。個人的には、むしろすべてを音読みしている例(西暦1774年をセンシチヒャクシチジュウシネンと発音している例)を耳で聞いたことがありません。Qooさんは湯桶読みを「誤用」と見なしていらっしゃいますが、数詞の湯桶読みが現代日本語において「誤用」であり、特に年号の読み方として採用できないことを明示している出典をお示しいただければと思います。
- 「七回忌」をシチカイキと読む例など、他の例から合理的、論理的に類推した解釈を別の事例に適用することは、出典主義をとるWikipediaの公式方針(Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成)では認められていません。Qooさんの美意識、規範意識と、その背景にある学識は尊重していますが、現実に広く用いられている読み方がまったく示されないのは望ましくないと思います。
- 私(とNiboshiさん)がとる「慣用読み」については、数詞#日本語および漢数字#日本語に支持する記述があります。ただしWikipediaの記事は出典にできませんし、それ以外の用例や出典を示す準備が今の私にはありません。申し訳ありません。私の内省による(あまりに自明なので出典を探すのはかえって難しいです)のですが、こうしてやりとりがはじまりましたので、ルールに合う出典を探します。
- また、私の見解は、このテンプレートが西暦年記事の記述の標準化と省力化のためにつくられており(Niboshiさんもそのつもりで作成されたようですね)、日本語の数詞全体を規定・限定するものでないこと、今のところほかに使い道はないだろうことを前提にしています。そこで、テンプレートTemplate:Num-pronなど、及びこれに依拠するTemplate:year-definitionについて、その用途を「西暦年記事のみ」に限定したうえで、慣用的な読みと、Qooさんの主張される音読みのみの形式を併記するように書き換えることを提案します。Qooさんの主張される「日本語の特殊性に鑑みて、音訓分けれて使へる用にすべきです」というご提案も理想的ですが、そのためには引数を設定し、さらにそれに合わせてもう一度すべての西暦年記事を編集する必要があるので、弥縫策として提案しました。ご検討いただければ幸いです。
- 私事で恐縮ですが、今忙しいので、返事が遅れるかもしれません。真摯に対応したいと思いますので、どうかご理解ください。--Novo 2008年6月14日 (土) 14:46 (UTC)
- 念のためですが、漢数字#日本語の記述は、Qooさんの挙げられたような例の存在を否定しているわけではないので、補足します。--Novo 2008年6月14日 (土) 15:03 (UTC)
- たびたびすみません。まず出典なんですが、なんというか大真面目に言うのも気恥かしいのですが、三波春夫は「世界の国からこんにちは」で1970年を「センキュウヒャクナナジュウネン」と歌っていたと記憶しています。とりあえずルールにのっとって出しましたが、Qooさんのおっしゃる安保闘争期起源説にしたがうとより後の例ですので「誤用」で片付けられてしまうでしょうか。
- それから、自然数の記事をちょっとみてみましたが、2ケタの数字(47、74など)では両論併記、3ケタの数字(400、404、700、777など)では湯桶読みだけが出ています。444だけはなぜか読み仮名がないです。おそらくQooさんのご関心からすると、このテンプレートだけではなく、数に関する記事、記事名に数が含まれる記事全体を問題にしなければならないのではないかと思います。ご参考までに。--Novo 2008年6月14日 (土) 16:02 (UTC)
- 正しさを議論するのは言語学のすることではありませんが、現代では「四」、「七」、「九」は呉音を用いず、それぞれ「よん」、「なな」、「きゅう」と読むのが普通です。なお、上記漢數字ノ音讀一覽は所々間違っています。詳しくは漢数字をご覧ください。現代では 4.79 を「してんしちく」と読むことは絶対になく、「よんてんななきゅう」と読みます。古い語形が複合語に残ることはよくあることで、「四月」、「七月」、「九月」は呉音で読みますが、だからといってそれが標準的ということではありません。こういう形態素を fossilized term と言います。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年6月19日 (木) 13:40 (UTC)
- コメントありがとうございます。「現代では普通」という記述的な説明だけで押すと水掛け論になると思ったので上のようにあれこれ書きました。一の位の「なな」-「しち」、「く」-「きゅう」については私はどちらでもよいです。出典が問題になったときには(お詳しいようなので)おまかせすることができればありがたいです。よろしくお願いします。--Novo 2008年6月19日 (木) 14:22 (UTC)
- 漢数字に示しましたが、「NHK ことばのハンドブック」 p331 に「れい、いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、きゅう」を基準とすると書いてあります。
- なお、{{漢数字}} を使っても良いでしょう。これなら読みは自由です。
{{漢数字|974}}年
→ 九百七十四年{{漢数字|2008}}年
→ 二千八年
- - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年6月20日 (金) 00:56 (UTC)
- コメントありがとうございます。「現代では普通」という記述的な説明だけで押すと水掛け論になると思ったので上のようにあれこれ書きました。一の位の「なな」-「しち」、「く」-「きゅう」については私はどちらでもよいです。出典が問題になったときには(お詳しいようなので)おまかせすることができればありがたいです。よろしくお願いします。--Novo 2008年6月19日 (木) 14:22 (UTC)
- 正しさを議論するのは言語学のすることではありませんが、現代では「四」、「七」、「九」は呉音を用いず、それぞれ「よん」、「なな」、「きゅう」と読むのが普通です。なお、上記漢數字ノ音讀一覽は所々間違っています。詳しくは漢数字をご覧ください。現代では 4.79 を「してんしちく」と読むことは絶対になく、「よんてんななきゅう」と読みます。古い語形が複合語に残ることはよくあることで、「四月」、「七月」、「九月」は呉音で読みますが、だからといってそれが標準的ということではありません。こういう形態素を fossilized term と言います。 - TAKASUGI Shinji (会話) 2008年6月19日 (木) 13:40 (UTC)
- 御意見賜り、問題を提起して身として少し考へました。
- 結論を得ました。私は統一性を要求してゐるのです。Wikipedia の編輯者があまたあれど、Wikipedia が Wikipedia と云ふ一つの組織であり一つの事典である限りは、ある程度の統一性を圖りてしかるべきではないでせうか。
- すなはち策として「慣用」讀みを徹底するか言葉として正しい讀みを徹底するか、を提案してゐるのです。たとへば山本五十六のイソロクはまさに日本語で、私は日本語か漢語で徹底すべきであると思ふのです。ミソ(ヂ)、ココノソなどの用法からみて、日本語の讀みはこれが正統です。チトセから、千はチですし、ヤホヨロヅなど日本語の數詞は示して頂いた漢數字の一覽からも明らかです。日本人の感覺からは、こちらの方が自然に感じ發音しやすいやうに思ひます。
問題なのは、慣用の讀みは個人による物であり、統一性をはかる事は到底できない點です。常用漢字では表記できない県名(岡山など)があるやうに、何かを新たに規定する事は中々にむづかしいものです。そこで嘗てから存在する文法に從ふのがよいのではないかと申し上げてをるのです。
NHKのニュースをみてゐますと、アナウンサーにより讀みがバラバラでまるで統一性がありません。慣用は變遷するものであり、統一性は期待できません。どうにも共通の規則が必要なので、なんらかの勸告を策定するのがよいかと思ひます。慣用で統一するなら尚更です。 - なほ、百が漢呉逆で間違つてゐたので修正しました。出典は漢字源になります。小數點など日本語の概念になかつた數字は權威ある數學書などに從へばよいですし、統一性に關してはルールを作るのにその根本に文法を据ゑれば合理性を持つのではないかと申し上げてゐるのです。
- 1774を讀むとき、人によつては最後をシと讀みヨンと讀み、人によつては74をシチジフシ・ナナジフシ・シシジフヨンと讀み・・・など讀み方はそれぞれです。これを統一するルール、もしくはそれの指針となるものを据ゑませう、といふ趣旨です。數詞の讀みを掲げる例は限られてゐます。アラビア數字の使ひやすさは實感として大衆の感ずるところであり、全てにわざわざ振り假名を振る必要はないでせう。
寧ろその少ない數詞の讀みを統一すべし、といふのがそもそも私の中でのこの問題の發端です。 - 湯桶讀みは初等教育で確かにありました。熟語の種類といふやつですが、傳統的な湯桶讀みは本來は別個の物と認識されてゐた物が單語となつた物ではないかと思ひます。消印は「消し印」で成り立ちからみて「消すの連用形(名詞化) + 印(名詞)」であり、英語で喩へると「動名詞の消し」と「動名詞の目的語の印」、とでもなるのでせうか(動詞の連用形の名詞化)。國語研究は門外漢ですゆゑ、はつきりとはしませんが。
- この「消印」の湯桶讀みと、70をナナジフと讀むのでは全く異なります。音訓は確かに「湯桶」ですが、消印が成立過程から「消す + 印」であつたのに對して(印・インが名詞として渗透してゐたからか)、70はシチジフ(若しくはナナソ。竹取物語に「翁、年ななそぢに餘りぬ」とある)が時代の經過から和漢混同された物です。湯桶讀みがあるから70をナナジフとして許容するのは筋の違ふ話ではないでせうか。BritishとAmerican程に違ひますよ。--Qoo 2008年8月3日 (日) 10:40 (UTC)
- コメント拝見しました。慣用と規範(統一性、合理性)という二つの観点の違いについては学史上もうじゅうぶんな議論があると思いますし、私にはここでそこまでさかのぼってコメントする元気がありません。むしろノート:日本語の誤用、ノート:日本語の乱れ、ノート:漢数字、ノート:数詞などで提起されたほうが多くのユーザーの目に触れ、より多くのコメントを得られるのではないかと思います。私に指摘できることは、Wikipediaの記事上で独自の規範を定めることは「Wikipedia:独自研究は載せない」というWikipedia自身の公式の方針に反する、したがって、上のコメントで示された点(たとえば“「傳統的な湯桶讀みは本來は別個の物と認識されてゐた物が單語となつた物」に限る”、“「ミソ(ヂ)、ココノソなどの用法からみて、日本語の讀みはこれが正統で」ある”)も含め、すべてについてひとつひとつ出典を示される必要がある、という一点につきます。NHKの個々のアナウンサーのそのつどの発音が問題なのではなく、NHKが組織として出している指針、規範を出典として採用するか、別の出典によるのか、ということが問題なのではないかと思います。
- 私は自分の内省にない発音だけが西暦年の読みとして載ることに違和感をもつだけなので、「アラビア數字の使ひやすさは實感として大衆の感ずるところであり、全てにわざわざ振り假名を振る必要はないでせう」というお考えであれば、読み仮名を振らないようにTemplate:Year-definitionを書き換えることを望みます(ノートですでにそういう提案が出されています)。それ以上立ち入る意志はありません。
- なお上の漢数字の読みについて、二も呉音・漢音が逆ではないかと思います。また百の読みは「ハク」の方をよく使う、とされるのはご訂正の際のミスでしょうか。--Novo 2008年8月3日 (日) 17:38 (UTC)
- 特にご意見がなければ、近くTemplate:Year-definitionを修正したいと思います。--唐棣色 2008年9月17日 (水) 02:40 (UTC)
廃止提案
[編集]Template:Num-pron、Template:Num-pron-1、Template:Num-pron-10、Template:Num-pron-100、Template:Num-pron-1000の廃止を提案します。
作成者のNiboshiさんによれば、「西暦年数記事から以外の参照は想定していなかった」とのことですが、現在では定義文に読みを表示しないことになっており、使用数は上記5ページを除き0件になっています。4桁までの入力しか受け付けないこともあり、ほかに使い道がないテンプレートとして廃止でよいでしょう。--ネイ(会話) 2023年2月4日 (土) 01:10 (UTC)
- 賛成 廃止に賛成します。--AnakaSata(会話) 2023年2月4日 (土) 06:43 (UTC)
- 済 廃止しました。--ネイ(会話) 2023年2月11日 (土) 02:00 (UTC)