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TA37 (水雷艇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

TA37は第二次世界大戦時ドイツ海軍水雷艇トリエステで建造中であったイタリアのアリエテ級水雷艇グラディオ (Gladio)」をイタリアの降伏により1943年9月にドイツが捕獲したものである[1]

トリエステC.R.D.A.で建造[1]。1943年1月9日起工[1]。1943年6月15日進水[1]。1944年1月8日就役[1]。「TA37」の魚雷発射管は連装1基と3連装1基であった[1]

1944年2月12日から8月13日までの間に「TA37」は8度の護衛任務と9度の機雷敷設任務に従事した[2]

1944年2月12日、「TA37」は水雷艇「TA38」とともに機雷敷設作戦で護衛を務めた[2]

2月、船舶をアドリア海からエーゲ海へ送るFrechdachs作戦が実施となり、「TA37」は船団の護衛を務めることとなった[3]。船団を構成する艦船は2月29日にプーラより出航した[4]。船団は貨物船「Kapitän Diederichsen」と水雷艇「TA36」、「TA37」、駆潜艇「UJ201」(元ガッビアーノ級コルベット「Egeria」)、「UJ205」(同「Colubrina」)、掃海艇「R188」、「R190」、「R191」からなっていた[5]。同日夜、イスト島西方でフランス駆逐艦「ル・テリブル」、「ル・マラン」の攻撃を受け、「Kapitän Diederichsen」は被弾炎上して翌日沈没[2]。「TA37」も「ル・マラン」からの攻撃で大きな損害を受けた[6]。また、「UJ210」も撃沈された[4][7]。機関室への被弾で「TA37」は速度が10ノットに低下[2]。その後航行不能となり、曳船「Marittimo」によってプーラへと曳航された[8]

7月8-11日、機雷敷設作戦で「Kiebitz」を他の水雷艇などと共に護衛[9]。7月12-15日の「TA37」と「Kiebitz」、「TA38」による機雷敷設作戦では7月13日に「Kiebitz」が自身の機雷に触れ損傷した[10]。この作戦は「TA37」と「TA38」、「TA39」によって7月23-24日に再び実施された[9]。その後もこの3隻は24-25日、26-27日、27-28日に機雷敷設作戦に従事した[9]。8月3日、イタリア沿岸への機雷敷設作戦で「Fasana」を護衛[9]。8月12日と12-13日には「Kiebitz」などによる機雷敷設作戦を掩護した[11]

9月、「TA37」と「TA38」、「TA39」の3隻は増援としてアドリア海からエーゲ海へ送られることになり、9月20日に3隻はトリエステを出港した[12](Odysseus作戦[2])。途中で「TA37」は舵などの不具合発生により遅れ、単独航行中に空襲を受けたが無傷で切り抜けた[2]。9月22日、3隻はオトラント海峡を通過中にイギリス駆逐艦「ベルヴォア」および「ウェッドン」と遭遇し攻撃を受けたが、逃走に成功し損害は受けなかった[12]。9月24日、ギリシャのピレエウスに到着[13]。3隻は第9水雷群に編入された[1]

9月28日、「TA37」と「TA18」、「TA38」、「TA39」は海軍の人員を乗せた「Zeus」、「Lola」とともにピレエウスを出港[2]。翌日船団はサロニカに着いた[2]

10月7日、1125名の避難者を乗せた機雷敷設艦「Zeus」と護衛の「TA37」、駆潜艇「UJ2102」およびHarbor Patrol Boat「GK62」(または「GK32」[14][15])は[16]カサンドラ・ハク南西[17]でイギリスの駆逐艦「ターマガント」と「タスカン」に攻撃された[18]。護衛は3隻とも撃沈されたがZeusは逃走に成功した[19]。「TA37」では103名[19]、もしくは98名が死亡した[14]。「TA37」の沈没地点は北緯40度36分、東経22度46分である[14]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『第二次大戦駆逐艦総覧』79ページ
  2. ^ a b c d e f g h German TA Torpedo Boat at War, p. 140
  3. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, pp. 277-279
  4. ^ a b Adriatic Naval War 1940-1945, p. 280
  5. ^ The German Fleet at War, 1939–1945, p. 174
  6. ^ The German Fleet at War, 1939–1945, pp. 174-175, Adriatic Naval War 1940-1945, p. 280
  7. ^ German TA Torpedo Boat at War, p.140などでは「UJ201」は損傷となっている。
  8. ^ The German Fleet at War, 1939–1945, p. 175, Adriatic Naval War 1940-1945, p. 280
  9. ^ a b c d Adriatic Naval War 1940-1945, p. 534
  10. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 534, "Into History Under Three Names", p. 174
  11. ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 535
  12. ^ a b The German Fleet at War, 1939–1945, p. 176
  13. ^ The German Fleet at War, 1939–1945, p. 177
  14. ^ a b c German TA Torpedo Boat at War, p. 144
  15. ^ Chronology of the War at Sea 1939-1945, p. 360
  16. ^ The German Fleet at War, 1939–1945, pp. 177-178
  17. ^ The German Fleet at War, 1939–1945, p. 168の地図によれば、海戦の場所はサロニカ湾入口
  18. ^ German TA Torpedo Boat at War, pp. 141, 144
  19. ^ a b The German Fleet at War, 1939–1945, p. 178

参考文献

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  • M.J.ホイットレー、岩重多四郎(訳)『第二次大戦駆逐艦総覧』大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
  • Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval Institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2
  • Vincent P. O'Hara, The German Fleet at War, 1939-1945, Naval Institute Press, 2004, ISBN 1-59114-651-8
  • Pierre Hervieux, "German TA Torpedo Boat at War", Warship 1997-1998, Conway Maritime Press, 1997, ISBN 0-85177-722-8
  • Zvonimir Freivogel, Achille Rastelli, Adriatic Naval War 1940-1945, Despot Infinitus, 2015, ISBN 978-953-7892-44-9
  • Zvonimir Freivogel, "Into History Under Three Names: "Ramb III - Kiebitz - Galeb"", Warship International Vol. 43, No. 2, International Naval Research Organization, 2006, pp. 169-182