TA39 (水雷艇)
TA39は第二次世界大戦時のドイツ海軍の水雷艇。トリエステで建造中であったイタリアのアリエテ級水雷艇「ダーガ (Daga)」をイタリアの降伏により1943年9月にドイツが捕獲したものである[1]。
トリエステのC.R.D.A.で建造[1]。1943年1月9日起工[1]。1943年7月15日進水[1]。1944年3月27日就役[1]。「TA39」は魚雷発射管は3連装1基のみであった[1]。
1944年2月12日から8月13日までの間に「TA39」は10度の機雷敷設任務に従事した[2]。
6月25日、「TA39」と「TA38」はトリエステから空襲で大破した「TA22」の支援に向かい、「TA22」は曳航されてトリエステに戻った[2]。
「TA39」は「TA37」、「TA38」とともに7月23-24日、24-25日、26-27日、27-28日に機雷敷設作戦に従事[3]。8月2-3日には「TA38」などとともにイタリア沿岸への、7-8日には「Kiebitz」、「TA38」とともにウマグ沖への機雷敷設作戦に従事[4]。8月12日の機雷敷設作戦では「Kiebitz」などを掩護[5]。8月12-13日には「Kiebitz」、「TA38」、「TA40」と、8月19日には「TA37」、「TA38」、「TA40」とともに機雷敷設作戦に従事[5]。8月27-29日に「Kiebitz」、「TA38」などと、9月8-9日に「Kiebitz」、「TA38」とともにイタリア沿岸への機雷敷設作戦に従事した[5]。
9月、「TA39」と「TA37」、「TA38」の3隻は増援としてアドリア海からエーゲ海へ送られることになり、9月20日に3隻はトリエステを出港した[6](Odysseus作戦[2])。9月22日、オトラント海峡を通過中にイギリス駆逐艦「ベルヴォア」および「ウェッドン」と遭遇し攻撃を受けたが、逃走に成功し損害は受けなかった[6]。9月24日、ギリシャのピレエウスに到着[7]。3隻は第9水雷群に編入された[1]。
9月28日、「TA39」と「TA18」、「TA37」、「TA38」は海軍の人員を乗せた「Zeus」、「Lola」とともにピレエウスを出港[2]。翌日船団はサロニカに着いた[2]。
「TA39」と「TA38」は10月1日にスキロス島の北東に、10月2日にイドラ島・Georgios間に、10月3日にアモルゴス島沖に機雷を敷設した[8]。10月4-5日、「TA39」と「TA38」は「Zeus」をSunion岬沖からCaraliani沖まで護衛[9]。10月5日、「TA39」と「TA38」はケア島・Hagios Georgios間に機雷を敷設[9]。ピレエウスへの帰路、イギリスの機動艇[10]「HDML1227」を発見し、「TA39」が攻撃して沈めた[9][11]。10月7日、「TA39」と「TA38」が兵員輸送船「Anna」を護衛中敵魚雷艇と遭遇し、「TA38」はそれらに対して攻撃を行った[12]。10月8日、「TA38」と「TA39」は商船「Laudon」、「Engers」の護衛の護衛を命じられる[12]。日付が変わった後2隻はピレエウスへの帰途についたが、「TA38」が座礁[12]。付近には敵魚雷艇がいたものの気づかれず、「TA39」は「TA38」をCavalianiまで曳航した[12]。10月9日、「TA39」はPhleves海峡に機雷を敷設[12]。ピレエウスからは撤退が行われ、「TA39」はサロニカへ移動[13]。途中、空襲で大損害を受けた「TA38」がいたヴォロスに入港し、「TA38」が自沈するとその乗員を乗せて10月15日にサロニカに着いた[12]。同日、「TA39」はRボート2隻と共にドイツ兵収容のため出港したが[12]、10月16日にサロニカ湾西岸で触雷し沈没した[1]。人的被害はなく、乗員はRボートに救助された[12]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 第二次大戦駆逐艦総覧、79ページ
- ^ a b c d e German TA Torpedo Boat at War, p.140
- ^ Adriatic Naval War 1940-1945, p. 534
- ^ Adriatic Naval War 1940-1945, pp. 534-535
- ^ a b c Adriatic Naval War 1940-1945, p. 535
- ^ a b The German Fleet at War, 1939–1945, p.176
- ^ The German Fleet at War, 1939–1945, p.177
- ^ German TA Torpedo Boat at War, pp.140-141
- ^ a b c German TA Torpedo Boat at War, p.141
- ^ 機動艇の出典は第二次大戦駆逐艦総覧、79ページ
- ^ 「HDML1227」撃沈はThe German Fleet at War, 1939–1945, p.177では10月6日、第二次大戦駆逐艦総覧、79ページでは10月5日となっている。
- ^ a b c d e f g h German TA Torpedo Boat at War, p. 144
- ^ Chronology of the War at Sea 1939-1945, p.360
参考文献
[編集]- M.J.ホイットレー、岩重多四郎(訳)『第二次大戦駆逐艦総覧』大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
- Jurgen Rohwer, Chronology of the War at Sea 1939-1945, Naval Institute press, 2005, ISBN 1-59114-119-2
- Vincent P. O'Hara, The German Fleet at War, 1939-1945, Naval Institute Press, 2004, ISBN 1-59114-651-8
- Pierre Hervieux, "German TA Torpedo Boat at War", Warship 1997-1998, Conway Maritime Press, 1997, ISBN 0-85177-722-8
- Zvonimir Freivogel, Achille Rastelli, Adriatic Naval War 1940-1945, Despot Infinitus, 2015, ISBN 978-953-7892-44-9