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SICKS

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『SICKS』
THE YELLOW MONKEYスタジオ・アルバム
リリース
録音 1996年8月 - 11月
  • REAL WRORLD STUDIOS
  • AIR STUDIOS
  • RECORDING STUDIOS TOKYUFUN
  • DELTA STUDIO
ジャンル ロック
時間
レーベル ファンハウス (SICKS)
Ariola Japan (COMPLETE SICKS・リマスター盤)
プロデュース 吉井和哉
チャート最高順位
  • 週間1位 (SICKS・オリコン)
  • 週間6位 (COMPLETE SICKS・オリコン)
  • 1997年度年間31位 (SICKS・オリコン)
ゴールドディスク
プラチナ (日本レコード協会 1997年2月)
THE YELLOW MONKEY アルバム 年表
TRIAD YEARS act I
(1996年)
SICKS
(1997年)
TRIAD YEARS act II
(1997年)
『SICKS』収録のシングル
  1. 楽園
    リリース: 1996年11月25日
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SICKS』(シックス)は日本のロックバンドTHE YELLOW MONKEYの6枚目のオリジナル・アルバム。1997年1月22日ファンハウスよりリリースされた。

COMPLETE SICKS』(コンプリート シックス)についても本項にて併記する。

解説

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レコード会社を日本コロムビア・TRIADレーベルからファンハウスへの移籍後、第1弾となったアルバム。本作品以降は吉井和哉の単独プロデュースとなった。タイトルの『SICKS』は、6枚目のアルバムであることを表す「SIX」と「ロック(6)」、病気の「SICK」の3つを組み合わせた造語で、大阪にて「JAM」のキャンペーン中に吉井が思いついたものである[1]。完成度の高さから「日本のロックのマスターピース」と称されている[2]

前作に次いでオリコンチャート初登場1位を獲得。また、これがオリコンアルバムチャートで通算600回目の1位獲得作品であった[3]。累計売上は63万枚(オリコン調べ)[* 1]を売り上げ、オリジナル・アルバムでは自身最大のヒットを記録した。吉井は「JAM」「SPARK」などのヒット曲を含むベスト・アルバムTRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY』がミリオンを達成したことを踏まえ、「ヒット曲が1曲しか入っていないアルバムは100万人買わないんだなということもよくわかった。『この次覚えてろよ』という気持ち」と語っている[6]ほか、後年のインタビューでは「『SICKS』の実際のセールスは妥当だったと思う。100万枚を目指していたが、近いところまで行ったし、凄い納得した1年だった」と振り返っている[7]。同じくギターの菊地英昭は「望んでいた枚数より下回ったが、大衆向けではないアルバムがこれだけ売れたことは自信になった」と語っている[7]

レコーディングは前作に続きロンドンで行われた。吉井は本作の制作にあたり「1日3曲録音をノルマ」とし、300曲作成したものからさらに80曲に絞ったのち、その曲の中から厳選したものが本作に収録された楽曲となった[1]ジャケット写真もロンドンのバタシー発電所にて撮影されている[8]。吉井は当時の状況を「好きなようにやった。楽曲の構成も従来の型を破れた」「自分の中で、音楽がものすごく噴出してるのがわかった」と振り返った[9]。また、本作がリリースされる約1か月半前に、自身初の非公認ベスト・アルバム『TRIAD YEARS actI〜THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY』のリリースが決定したこともあり、吉井は「ベストに負けないアルバムを作ろうという話を毎晩メンバーとしていた」と語っている[10]

初回生産分のみ、バンド名を印字したステッカーが封入された。

1997年8月8日イギリスでもリリースされ、イギリス盤にはボーナス・トラックとして「LOVE LOVE SHOW」の英詞バージョンが収録された[* 2]

反応と評価

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吉井本人が最高傑作と自負する作品であり、「『SICKS』は他のバンドにはない音であり、他の邦楽にもない音である」と語る[9]。また、他メンバーが作曲をした「TVのシンガー」「創生児」「HOTEL宇宙船」を絶賛しており、「どの曲も『SICKS』の匂いがする曲」と評価している[10]。メンバー選曲のベスト盤『MOTHER OF ALL THE BEST』にも本作から最多の7曲が収録されており[* 3]、他メンバー作曲の3曲もすべて収録された。

移籍前に所属していた日本コロムビアのディレクターである宗清裕之は、「『SICKS』がなかったらただのポップなバンドとして消費されてたかもしれない。あの時期があったからこそ、THE YELLOW MONKEYは長く愛されるバンドになったんだと思う」「当初はダークな雰囲気、不健康な感じも含めて『今まで押さえつけられてたけど、俺たちの魅力はここなんだ』っていうか。しっぺ返しを食らった感じがあった」とし、「このアルバムは売れないと思っていたが、実際に売れて驚いた」旨を語っている[11]。また、当時THE YELLOW MONKEYのカメラマン(ビデオシューティング)を務めていた高橋栄樹は、「初期のダークな感じがスケールアップして戻ってきた、っていうイメージだったというか。本来はこういう人たちなんだなと思う」とした[11]

収録曲

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全作詞: 吉井和哉(except 6)、全編曲: THE YELLOW MONKEY。
#タイトル作詞作曲時間
1.「RAINBOW MAN」吉井和哉(except 6)吉井和哉
2.「I CAN BE SHIT, MAMA」吉井和哉(except 6)吉井和哉
3.楽園吉井和哉(except 6)吉井和哉
4.「TVのシンガー」吉井和哉(except 6)菊地英昭
5.「紫の空」吉井和哉(except 6)吉井和哉
6.「薬局へ行こうよ」(Instrumental)吉井和哉(except 6)吉井和哉
7.「天国旅行」吉井和哉(except 6)吉井和哉
8.「創生児」吉井和哉(except 6)吉井和哉・菊地英昭
9.「HOTEL宇宙船」吉井和哉(except 6)吉井和哉・廣瀬洋一
10.「花吹雪」吉井和哉(except 6)吉井和哉
11.「淡い心だって言ってたよ」吉井和哉(except 6)吉井和哉
12.「見てないようで見てる」吉井和哉(except 6)吉井和哉
13.「人生の終わり (FOR GRANDMOTHER)」吉井和哉(except 6)吉井和哉
合計時間:
  1. Play RAINBOW MAN
    吉井が当時傾倒していた、白い覆面の変身ヒーロー「愛の戦士レインボーマン」がモチーフの楽曲[* 4]。コーラスの「死ね、死ね」は同作の敵組織「死ね死ね団」に由来する。また、ライブのオープニングSEとして同作の挿入歌である「死ね死ね団のテーマ」を使用していた[* 5]。番組の内容通りインド風のアレンジがされており、曲調が何度も変わる曲である。バンド・アレンジの最中に曲構成が何度も変わり、サビが完成したのは終盤だったという[6]
    総合格闘家前田吉朗が入場曲として使用している。
  2. Play I CAN BE SHIT, MAMA
    タイトルは「アッカンベーしたまま」を捩ったもの。
    1999年12月28日に行われた「メカラウロコ10」以降披露されることはなかったが2018年12月28日の「メカラウロコ29-FINAL-」にて19年ぶりに披露された。
  3. Play 楽園
    先行シングル曲。
  4. Play TVのシンガー
    菊地が作曲したハードロック・ギターリフに吉井が特異な歌詞を綴った。歌詞の内容はアーティストである自らを皮肉ったものであり、3rdアルバム『jaguar hard pain』収録の「ROCK STAR」とは対称的なものとなっている。『THIS IS FOR YOU〜THE YELLOW MONKEY TRIBUTE ALBUM』で9mm Parabellum Bulletカバーした。
  5. Play 紫の空
    台風直撃で初日のみ実施された「第1回フジロックフェスティバル」(1997年7月26日)に登場したTHE YELLOW MONKEYは、この曲と更に本作から「TVのシンガー」「天国旅行」を披露した[* 6]
    「TOUR '97 〜紫の炎〜」では途中曲調が変化して吉井が白い仮面を着用してダンスパフォーマンスをする。
  6. Play 薬局へ行こうよ
    インスト曲。メンバーがそれぞれアドリブで演奏しており、吉井の鼻歌や、犬の鳴き真似などが入っている[9]。アルバム作成の初期段階からアイデアが出ており、吉井は「アルバムの中で外れちゃいけない1曲」、ベースの廣瀬は「周りの楽曲の引き立て役」と語っている[6]。解散まで一度もライブ演奏されていなかったが、再集結後の2018年に行われた「メカラ ウロコ・29 FINAL」において初めてコンサートのセットリスト入りを果たした。
  7. Play 天国旅行
    「FOR SEASON-野生の証明」のツアー中に初披露され、アルバム発売前の「メカラ ウロコ・7」でも披露された。吉井にとって「JAM」と並ぶほど特別な強い思い入れがあると語り、「裏JAM」と呼んでいるという[9]。1番ではドラムを止めてサビに入るなど、過去にはやらなかったアレンジを試み、吉井自身「すごい自信になった曲ができた」と自負する[9]2010年3月に出版された三浦しをんの短編集『天国旅行』はこの曲のタイトルからつけられ、本書の巻頭には歌詞が引用されている。2013年に行われた『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』のファン投票で5位を獲得した。
    イントロは吉井が弾いている。初披露時は音源には収録されなかったアルペジオのギターソロが追加されていた。
  8. Play 創生児
    作曲者である菊地の「精神分裂症の歌にしてほしい」という要望から歌詞が作られ、吉井(及び人)の二面性について歌っている[6]。吉井が1人2役を演じて歌っており、後半は左右にボーカルが分かれる。曲中には2つのヴォーカルが同時に別々の歌詞を歌っている箇所がある。
  9. Play HOTEL宇宙船
    廣瀬・吉井による、爽快で明るいナンバー[* 7]。歌詞のあちこちに繰り返し言葉擬音語・擬態語が出て来て効果的な役割を果たしている[* 7]。アウトロでは再生速度を落とし、次曲に繋げている。
  10. Play 花吹雪
    前曲からシームレスで繋がる構成。非常に音が小さいが、イントロで吉井の台詞が入っている。初レコーディングの際に一度ボツになっており、仮タイトルは「首の皮一枚」だった[6]。2013年に行われた『イエモン-FAN'S BEST SELECTION-』のファン投票で、アルバム曲の中では最高となる3位を獲得した。
  11. Play 淡い心だって言ってたよ
    アコースティック・ギターを使用したナンバー。
  12. Play 見てないようで見てる
    11thシングル「楽園」のカップリング曲。吉井曰く「渋谷駅周辺の喫茶店で、斜め向かいに座った女性をチラ見しながら作った」[12]
  13. Play 人生の終わり (FOR GRANDMOTHER)
    副題の通り、吉井が祖母に捧げたバラード曲。吉井がU2の「ワン」に憧れて作った曲で、仮タイトルは「スタンド・バイ・U2」[6]。作成段階で「血が泣いてるんだよ」という歌詞のみが先にできていた[9]。『COMPRETE SICKS』Disc2のデモ音源でもこの箇所のみ歌詞がついている。歌はテイク・ワンのものが採用されている[9]
00. シークレットトラック
00. 「人生の終わり (FOR GRANDMOTHER)」の終了後に1分程度の無音部を挟んで、隠しトラックとしてピアノの演奏とともにハミングの楽曲が約4分間収録されている。

DVD (COMPLETE SICKS)

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  • fragments of the SICKS
    日本でのデモ・レコーディング、ロンドンレコーディングドキュメント。
  • Interviews (with KAZUYA YOSHII/RICHARD DIGBY SMITH/SHUJI YAMAGUCHI/MIKIO ARIGA)

参加ミュージシャン

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脚注

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注釈

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  1. ^ 累計売上を約80万枚とする資料もある[4][5]
  2. ^ イングリッシュ・バージョンは、日本国内盤では「BURN」B面が初出。
  3. ^ 『SICKS』イギリス盤ボーナストラックの「LOVE LOVE SHOW」イングリッシュ・バージョンを加算すると8曲。
  4. ^ 特撮番組『愛の戦士レインボーマン』(1972年-1973年放映)は、『月光仮面』(1958年-1959年放映)が有名な川内康範の作品。『月光仮面』に比べればマイナー番組であるものの、主題歌「行けレインボーマン」の替え歌遊びが日本中の子供たちの間で流行った。歌の始まり「インドの山奥」の後、「でんでん虫かたつむり」など色々な言葉をつないで行き、日本各地でつなぐ言葉が違っていた。替え歌は1982年-1983年放映のアニメ版(特撮版と主題歌は同じ)の後も歌い継がれ、1987年に靴メーカーのアキレスが運動靴「サザンサザン」のTVCM明石家さんまを起用して替え歌に参入した。主題歌「行けレインボーマン」は、肌や言葉の違いによる人間同士の争いを打ち砕こうと歌うものであり、バンド名THE YELLOW MONKEYの意味するところと関わりを持つ。
  5. ^ 「死ね死ね団のテーマ」は、主題歌「行けレインボーマン」よりも露骨にこのバンド名と直結する「黄色い猿め」など、日本人への呪詛で埋め尽くされる。どちらも川内康範の作詞。
  6. ^ フジロックにおける全10曲からなる欧米ロックへの果たし状は、欧米第一線で活躍する共演バンドのフー・ファイターズレッド・ホット・チリ・ペッパーズを魅了した。しかし吉井はオーディエンスの反応に感触が得られなかったことからフジロックは暗鬱な記憶となった。
  7. ^ a b CDジャーナルによる解説から。

出典注

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  1. ^ a b 『ROCKIN'ON JAPAN 1997年2月号』
  2. ^ “あれから13年…、イエモン不朽の名盤『SICKS』が完全盤でよみがえった!”. TOWER RECORDS ONLINE. (2010年1月26日). https://tower.jp/article/feature_item/2010/01/14/2221 
  3. ^ “オリコン史上1000作目のアルバム1位はV6!”. ORICON NEWS. (2007年9月18日). https://www.oricon.co.jp/news/48071/full/ 
  4. ^ 『THE YELLOW MONKEY/BURN』 (ロッキング・オン、2000年)、389頁。
  5. ^ 『COMPLETE BURN』 (ロッキング・オン、2005年)
  6. ^ a b c d e f 『ROCKIN'ON JAPAN 1997年11月号』
  7. ^ a b 『ROCKIN'ON JAPAN 1998年4月号』
  8. ^ 『SWITCH 2019 VOL.37』 (スイッチ・パブリッシング)
  9. ^ a b c d e f g 『吉井和哉自伝 失われた愛を求めて』 (ロッキング・オン、2007年)
  10. ^ a b 『COMPLETE SICKS』DVD Interviews
  11. ^ a b 森朋之 (2013年7月31日). “徹底座談会で明かされる真実とそれぞれの1曲”. ナタリー. https://natalie.mu/music/pp/theyellowmonkey03/ 
  12. ^ 『COMPLETE SICKS』ライナーノーツ

外部リンク

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