コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

R.E.M.

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
R.E.M.
左からマイク・ミルズ、マイケル・スタイプ、
ビル・リーフリン[注 1]、ピーター・バック
(2003年のイタリアパドヴァ公演より)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジョージア州アセンズ
ジャンル オルタナティヴ・ロックインディー・ロックフォークロックジャングル・ポップポストパンク
活動期間 1980年 - 2011年
レーベル Hib-Tone
I.R.S. Records英語版(ユニバーサル ミュージック グループ)
ワーナー・ブラザース・レコード
公式サイト www.remhq.com
メンバー マイケル・スタイプ
ピーター・バック
マイク・ミルズ
旧メンバー ビル・ベリー
マイケル・スタイプ(ボーカル)
マイク・ミルズ(ベース、ピアノ)
ピーター・バック(ギター)
ビル・ベリー(ドラム)

R.E.M.(アール・イー・エム)は、アメリカ合衆国オルタナティヴ・ロックバンド1980年に結成され、2011年に解散[1]。2004年にローリング・ストーン誌が発表した「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第97位に選ばれている。2007年ロックの殿堂入り。

来歴

[編集]

1980年にジョージア州アセンズにて、マイケル・スタイプ(ボーカル)、ピーター・バック(ギター)、マイク・ミルズベース)、ビル・ベリードラム)の4人で結成された。

米国のインディーレーベル"Hib-Tone"よりシングル「レディオ・フリー・ヨーロッパ(Radio Free Europe)」で1981年にデビュー。翌年にA&M傘下のインディーレーベルI.R.S.に移籍。5枚のアルバムをリリースした後、6枚目のアルバム『グリーン』よりワーナーへと移籍。

1997年にドラムのビル・ベリーが健康上の理由により脱退。以後は3人で活動。

2007年に、ロックの殿堂入り。授賞式でのプレゼンターは、パール・ジャムエディ・ヴェダー

活動31年目の2011年9月21日、公式ホームページにて解散を発表。「僕らのファン、友人たちへ:生涯の友として共に歩んできたR.E.M.としての活動を、終わりにすることに決めた」等とコメントした[1]

音楽性

[編集]

歌詞やバンドの姿勢にこめられた文学的・政治的なメッセージや、楽曲の高いアート性から、1980年代におけるUSカレッジ・チャートの雄としてアンダーグラウンドシーンに君臨したオルタナティヴ・ロック黎明期における代表的なバンドである。

インディーズ時代

[編集]

アルペジオを多用したギターサウンドと、メロディアスなベースラインが特徴である。

この時期の作品には歌詞が一切掲載されておらず、スタイプの歌唱も聞き取りづらかった為に「アメリカ人でも殆ど何を歌っているのかわからない」と言われたほど。

そんなミステリアスな雰囲気を秘めた、ややニュー・ウェーブ調で、パンク・ロックサイケデリック・ロックカントリーを彼らなりに消化した作風は早い時期から注目され、デビューアルバム『マーマー』はローリング・ストーンの1983年ベストアルバムに選出された。

ワーナー時代

[編集]

移籍後のアルバム『グリーン』にて、マンドリンアコーディオン等のトラディショナルな楽器を積極的に取り入れ、後の「ルージング・マイ・レリジョン(Losing My Religion)」の大ヒットへと繋がる。

ストリングスを大々的に取り入れた『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』、ノイジーなロックアルバム『モンスター』、各地でのライブ演奏やサウンドチェックを8トラックに録音した『ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』、と作風の異なるアルバムを次々と発表した。

歌詞やスタイプの歌唱は明瞭になり、ステージでは政治的なメッセージを声高にオーディエンスに働きかける事も。その姿勢自体がオルタナティヴ・ロックの潮流の代表・先駆となっていった。

商業成績

[編集]

全米各地のカレッジ・ラジオのサポートにより徐々に人気を広げていった。

初のヒット・シングルとなった1987年の「ザ・ワン・アイ・ラブ(The One I Love)」はアメリカ、イギリス、カナダにてTop 20入り。アルバム『ドキュメント』は初のミリオンヒットとなった。

代表作は1991年の『アウト・オブ・タイム』でグラミー賞7部門にノミネートされた。収録曲「ルージング・マイ・レリジョン(Losing My Religion)」は全米4位を記録。Best Short Form Music VideoとBest Pop Performance by a Duo or Group with Vocalを受賞。

『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』はをテーマにしているとされ、内省的な作風ながら、全世界で1,500万枚以上売れた[注 2]

メンバー

[編集]

旧メンバー

[編集]
  • ビル・ベリー(Bill Berry) - ドラム(1997年脱退)

関連バンド・ミュージシャン

[編集]
  • R.E.M.のメンバーが影響を受けたバンドとしては、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドパティ・スミステレヴィジョン 等があげられる。パティ・スミスは『ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』収録曲「E-Bow the Letter」に参加している。
  • ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの楽曲を数多くカバーしている。
    • アフター・アワーズ」 - ライブ音源が1990年9月発売のビデオ『Tourfilm』や1991年のシングル「Losing My Religion」などに収録された[2]
    • 宿命の女」 - 1986年の12インチ・シングル「Superman」に収録。コンピレーション・アルバム『Dead Letter Office』に収録[3]
    • 「もう一度彼女が行くところ」 - 1983年のシングル「レディオ・フリー・ヨーロッパ」(I.R.S. バージョン)のB面に収録。
    • 「ペイル・ブルー・アイズ」 - 1984年の12インチ・シングル「サウス・セントラル・レイン」に収録。
  • 同じくグレン・キャンベルの楽曲も数多くカバーしている。
  • トム・ヨークレディオヘッド)、クリス・マーティンコールドプレイ)、ソニック・ユースパール・ジャムスティーヴン・マルクマスペイヴメント)、デーモン・アルバーンブラーゴリラズ)らからのリスペクトを一身に受けている。
  • ニルヴァーナカート・コバーンもR.E.M.への共感を表明していた一人。『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』はカートが自殺する直前に聞いていたとされるレコードとしても知られる[5]
  • ピーター・バックのギターサウンドは、デビュー当時ザ・バーズとよく比較された。
  • 同郷のB-52'sのケイト・ピアソンは『アウト・オブ・タイム』の数曲でボーカルとして参加している。
  • ジョン・ポール・ジョーンズは『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』でストリングスのアレンジを担当している。
  • 俳優ジョニー・デップは、ギビー・ハインズ(バットホール・サーファーズ)らと組んだバンド、Pで「マイケル・スタイプ」という楽曲を制作している。
  • ディスコグラフィ

    [編集]

    スタジオ・アルバム

    [編集]
    • 『マーマー』 - Murmur(1983年)US 36位、ゴールド
    • 『夢の肖像』 - Reckoning(1984年)US 27位、ゴールド
    • 『玉手箱』 - Fables Of The Reconstruction(1985年)US 28位、ゴールド
    • 『ライフズ・リッチ・ページェント』 - Lifes Rich Pageant(1986年)US 21位、ゴールド
    • 『ドキュメント』 - Document(1987年)US 10位、プラチナ
    • グリーン』 - Green(1988年)US 12位、2xプラチナ
    • アウト・オブ・タイム』 - Out Of Time(1991年)US 1位、4xプラチナ
    • オートマチック・フォー・ザ・ピープル』 - Automatic For The People(1992年)US 2位、4xプラチナ UK 1位
    • 『モンスター』 - Monster(1994年)US 1位、4xプラチナ UK 1位
    • 『ニュー・アドベンチャーズ・イン・ハイ・ファイ』 - New Adventures In Hi-Fi(1996年)US 2位、プラチナ UK 1位
    • UP』 - Up(1998年)US 3位、ゴールド UK 1位
    • 『リヴィール』 - Reveal(2001年)US 6位、ゴールド UK 1位
    • 『アラウンド・ザ・サン』 - Around The Sun(2004年)US 13位、ゴールド UK 1位 WorldWide 1位
    • 『アクセラレイト』 - Accelerate(2008年)US 2位 UK 1位 WorldWide 1位
    • 『コラプス・イントゥ・ナウ』 - Collapse Into Now(2011年)

    ライブ・アルバム

    [編集]
    • 『R.E.M. ライヴ』 - R.E.M. Live(2007年)
    • 『ライヴ・アット・ジ・オリンピア』 - Live At The Olympia(2009年)
    • 『R.E.M.アンプラグド1991&2001 コンプリート・セッションズ』 - Unplugged: The Complete 1991 and 2001 Sessions (2014年)

    コンピレーション・アルバム

    [編集]
    • 『エポニマス』 - Eponymous(1990年)
    • 『ザ・ベスト・オブ・R.E.M.』 - The Best Of R.E.M.(1991年)
    • 『イン・タイム:ザ・ベスト・オブ・R.E.M. 1988-2003』 - In Time: The Best of R.E.M. 1988-2003(2003年)
    • 『ザ・ベスト・オブ I.R.S.イヤーズ 1982-1987』 - And I Feel Fine - The Best of I.R.S. Years 1982-1987(2006年)
    • 『グレイテスト・ヒッツ~パート・ライズ、パート・ハート、パート・トゥルース、パート・ガービッジ、1982-2011』 - Part Lies, Part Heart, Part Truth, Part Garbage: 1982-2011(2011年)

    日本公演

    [編集]

    エピソード

    [編集]
  • バンド名の由来についてメンバーのマイク・ミルズは、CDジャーナル2011年3月号のインタビューでRemember Every Momentという解釈に言及している[注 3]
    • ローリング・ストーン誌の表紙を飾った際には、「アメリカ最高のロック・アンド・ロール・バンド」、「世界で最も重要なロックバンド」と紹介された[要出典]
    • スタイプとバックは、当時バックが働いていたレコード店で出会い意気投合。スタイプが購入するレコードはどれもバックが自分用に確保しておいた品物だったという。
    • ミルズとベリーは高校以来の音楽仲間で、二人はジョージア大学に通っていた。
    • R.E.M.という名前に決定する前に候補として挙げられていたバンド名は、Cans of Piss(小便缶)、Slug Bank(ナメクジ銀行)、Twisted Kites(からまった凧)、Negro Wives(黒人の妻達)。
    • 1984年の来日時には爆風スランプが前座を務めた。
    • 1995年、菓子メーカーハーシーフーズ社が米国において、チョコレート菓子『キットカット』でR.E.M.のコンサートチケットが当たる懸賞をバンド側に無断で発表し、R.E.M.は提訴した。のちに和解し、提訴は取り下げた。

    脚注

    [編集]

    注釈

    [編集]
    1. ^ サポート・ドラマー
    2. ^ 収録曲の「マン・オン・ザ・ムーン(Man On The Moon)」は、実在した鬼才コメディアンアンディ・カウフマンをモチーフにしており、後に製作された彼の伝記映画のタイトルにもなった。R.E.M.は、この映画の音楽も担当した。
    3. ^ レム睡眠Rapid Eye Movement)に由来するとも言われている[要出典]が、本人らは明言しておらず諸説ある。

    出典

    [編集]
    1. ^ a b R.E.M.がオフィシャル・サイトにて解散を発表” (2011年9月22日). 2015年7月27日閲覧。
    2. ^ R.E.M. - Losing My Religion (Vinyl) at Discogs
    3. ^ R.E.M. - Dead Letter Office (Cassette) at Discogs
    4. ^ R.E.M. Concert Setlist at Desert Sky Pavilion, Phoenix on November 4, 1995 | setlist.fm
    5. ^ http://www.blender.com/guide/67796/33-things-you-should-know-about-nirvana.html

    外部リンク

    [編集]