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ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニルヴァーナ
バンドのロゴ
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州アバディーン
ジャンル
活動期間 1987年 - 1994年
レーベル
公式サイト ニルヴァーナ公式サイト
旧メンバー
YouTube
活動期間 2005年 -
ジャンル 音楽
登録者数 953万人
総再生回数 65億8402万7042回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年8月4日時点。

ニルヴァーナ: Nirvana)は、アメリカ合衆国出身のロックバンドオルタナティヴ・ロック、またはグランジ先駆者として知られている。ローリングストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第30位[5]

概要

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1987年ワシントン州アバディーンで、リードシンガー兼ギタリストカート・コバーンベーシストクリス・ノヴォセリックによって結成され、チャド・チャニングなどのドラマーを経て、1990年デイヴ・グロールを加入させた。ニルヴァーナの成功は、オルタナティヴ・ロックを世に広め、ジェネレーションXの代表的なバンドとして言及されることが多かった。また、彼らの音楽は人気を維持し、現代のロック文化に影響を与え続けている。

1980年代後半、ニルヴァーナはシアトルグランジ・シーンの一員としての地位を確立し、1989年に独立系レコードレーベル「サブ・ポップ」からファースト・アルバム『ブリーチ』をリリースした。彼らは、静かな詩と大きくて重いコーラスの間のダイナミックなコントラストに依存したサウンドを開発した。1991年にメジャーレーベルのDGCレコードと契約したニルヴァーナは、画期的なセカンド・アルバム『ネヴァーマインド』(1991年)からのファースト・シングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」で、予想外のメインストリームでの成功を収めた。1990年代の文化的現象となった『ネヴァーマインド』は、RIAAからダイアモンドと認定され、ヘアメタル産業ロックによる支配に終止符を打ったとされている。

ニルヴァーナは、そのパンク的な美学を特徴とし、ポップなメロディーとノイズを融合させ、拒絶反応や社会的疎外感をテーマにしたことで、世界的な人気を獲得した。大規模なツアー、1992年のコンピレーション・アルバム『インセスティサイド』とEP『ホルモウニング』を経て、待望のサード・スタジオ・アルバム『イン・ユーテロ』(1993年)をリリースした。このアルバムは、アメリカとイギリスのアルバム・チャートでトップになり、批評家からも高い評価を受けた。

しかし、1994年4月にコバーンが自殺。これによりニルヴァーナは解散した。ノヴォセリック、グロール、そしてコバーンの未亡人コートニー・ラヴが監修したさまざまな遺作が発表されている。遺作となったライブ・アルバム『MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク』(1994年)は、1996年のグラミー賞で最優秀オルタナティブ・ミュージック・パフォーマンス賞を受賞した。

ニルヴァーナは、活動した3年間で全世界で7,500万枚以上のレコードを売り上げ、アメリカン・ミュージック・アワード、ブリット・アワード、グラミー賞を受賞し、MTVビデオ・ミュージック・アワードを7回、NMEアワードを2回受賞した。ビルボード・オルタナティブ・ソング・チャートでは5つのナンバーワン・ヒット、ビルボード200では4つのナンバーワン・アルバムを達成した。2004年、ローリングストーン誌は、ニルヴァーナを史上最も偉大なアーティスト100に選出した。2014年には、資格取得1年目でロックの殿堂入りを果たした。

来歴

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ワシントン州アバディーンでリードシンガー/ギターのカート・コバーン、ベースのクリス・ノヴォセリック、そしてドラムのアーロン・バークハートによって1987年にバンドを結成。バンド名は、フィーカル・マター、セルアアウツ、スキッド・ロウ、ペン・キャップ・チュー、テッド・エド・フレッドといった変遷を経て、最終的に「ニルヴァーナ」(=涅槃)に落ち着いた[6]

ドラマーが安定せず数回メンバーチェンジを繰り返し、やがてチャド・チャニングに落ち着く。

1980年後半のグランジシーンにて存在感を増しつつあったニルヴァーナは、1989年に独立レーベルであるサブ・ポップと契約を交わし、彼らの最初のアルバムである『ブリーチ』をリリースした。バンドのメイン作曲者であったカートは、次第に"静かなヴァースと激しいヘビーなコーラスの繰り返し"というダイナミックな対比という手法を確立していく。それからほどなくして、技術的な問題からカートはドラマーのチャド・チャニングを解雇する。その後、オーディションを経てデイヴ・グロールをドラマーに迎え、よく知られたメンバーが顔をそろえることとなる。

1990年に、メジャーレーベルであるゲフィン・レコードと契約。1991年に発表したセカンド・アルバム『ネヴァーマインド』はBillboard 200で1位を記録、MTVではシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」がリピートされるなど、当時のアメリカ音楽界に衝撃を与え、ヘヴィメタルから一夜にしてグランジが新たなトレンドとなった。ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャムアリス・イン・チェインズサウンドガーデンなどのグランジ・バンドが新たな若者達のヒーローとして祭り上げられた。

カートのヘロイン中毒という問題を抱えていたバンドは一時活動麻痺の状態となるが、1992年にコンピレーション・アルバムインセスティサイド』を発表。続く1993年には、ニュー・アルバム『イン・ユーテロ』を発表している。予想された程の売れ行きではなかったが、アメリカとイギリスのチャートのトップにランクインした。

ドラッグにのめり込んでいたカートは、自殺未遂や奇行を繰り返していた。最後の40日間でも、ドラッグの購入、自殺未遂などがあり、ついには1994年4月5日にシアトルの自宅にてショットガンで頭を撃ち、自殺[7]

カートの死後、ライブ盤を含む何枚かのアルバムがリリースされている。2人の残ったメンバーであるグロールとノヴォセリック及び妻のコートニー・ラブは、レア音源やリリースされていない曲の発表に関する問題で激しく議論した[8][9][10]。2002年10月29日に法廷で決着がつき、ヒット曲やカート生前最後のレコーディング音源である未発表曲「ユー・ノウ・ユー・アー・ライト」を含むアルバム『ニルヴァーナ』が発表された。

ニルヴァーナの解散後、グロールはフー・ファイターズを結成し、2011年に発売された『ウェイスティング・ライト』はバンド初のBillboard 200での1位を獲得するなど、今も活動している。一方、ノヴォセリックはスウィート75アイズ・アドリフト英語版というバンドを結成したが、近年は政治・執筆活動に専念している。

2012年12月12日に、ニューヨークで行われたハリケーン「サンディ」の被害支援チャリティー・ライブで、デイヴ・グロールとゲスト・ボーカルのポール・マッカートニーと共作した新曲「カット・ミー・サム・スラック」を披露した[11][12]

2018年、セカンド・アルバム『ネヴァーマインド』がグラミーの殿堂入り[13]

備考

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アメリカのテレビドラマ『コールドケース 迷宮事件簿』のS3E12『遺書』はコバーンに心酔した青年のエピソードであり、当初は全曲ニルヴァーナを使用する予定だったが、「コートニー殺害説」等のエピソードの内容から著作権継承者のコートニー・ラブが楽曲の使用許可を出さなかったため、無関係な曲を使用せざるを得なくなった。一連の事情を聞かされていた主演のキャスリン・モリスがたまたま買い物でコートニーと遭遇した際、怒りの感情が沸き上がったと来日時のイベントで発言した。一方で、S5E1の『プール』は問題がなかったらしく、全曲にニルヴァーナが使用されている。

ガンズ・アンド・ローゼズとの関係

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ガンズ・アンド・ローゼズとは対立関係にあり、それは当時のファンを二分するほどだった。カートはガンズに対し、「ガンズ・アンド・ローゼズはロック・スターになりたかっただけ[14]」「ガンズ・アンド・ローゼズにはファッションしかない。俺たちにはパッション(情熱)がある[15]」と発言している。

元々アクセル・ローズはニルヴァーナのファンであったが、カートが一方的にアクセルとガンズ側を批判したため、対立関係が生まれた。カートの死後、アクセル以外の元ガンズ・メンバーとニルヴァーナ・メンバーは和解し、元メンバーのバンド、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーは「ネガティヴ・クリープ 」をカバーしている。

2010年に発表された、スラッシュ初のソロ・アルバムには、デイヴ・グロールダフ・マッケイガンが参加しており、デイヴとダフは何度か共演も果たしている。

メンバー

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名前 プロフィール 担当楽器 在籍期間
最終メンバー
カート・コバーン
: Kurt Cobain
1967年2月20日 - (1994-04-05) 1994年4月5日(27歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州アバディーン
ボーカル
リードギター
1987年 - 1994年
クリス・ノヴォセリック
: Krist Novoselic
(1965-05-16) 1965年5月16日(59歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州アバディーン
ベース 1987年 - 1994年
デイヴ・グロール
: Dave Grohl
(1969-01-14) 1969年1月14日(55歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州ウォーレン
ドラムス
コーラス
1990年 - 1994年
ツアー・メンバー
パット・スメア英語版
: Pat Smear
(1959-08-05) 1959年8月5日(65歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ロサンゼルス
リズムギター
コーラス
1993年 - 1994年
ジョン・ダンカン英語版
: John Duncan
(1958-08-14) 1958年8月14日(66歳)
スコットランドの旗 スコットランド グラスゴー
リズムギター 1992年 - 1993年
ロリ・ゴールドストン英語版
: Lori Goldston
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 チェロ 1993年 - 1994年
メロラ・クリーガー英語版
: Melora Creager
(1966-03-25) 1966年3月25日(58歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミズーリ州カンザスシティ
チェロ 1994年
旧メンバー
アーロン・バークハード英語版
: Aaron Burckhard
(1963-11-14) 1963年11月14日(61歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州オークランド
ドラムス 1987年 - 1988年
1988年
デイル・クローヴァー
: Dale Crover
(1967-10-23) 1967年10月23日(57歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州アバディーン
ドラムス 1988年
1990年
[注釈 1]
デイヴ・フォスター
: Dave Foster
ドラムス 1988年
チャド・チャニング
: Chad Channing
(1967-01-31) 1967年1月31日(57歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンタローザ
ドラムス 1988年 - 1990年
[注釈 2]
ジェイソン・エヴァーマン英語版
: Jason Everman
(1967-10-16) 1967年10月16日(57歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 アラスカ州
リズムギター 1989年[注釈 3]
セッション・メンバー
マーク・ピクレル英語版
: Mark Pickerel
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州エレンズバーグ ドラムス 1989年
ダン・ピーターズ英語版
: Dan Peters
(1967-08-18) 1967年8月18日(57歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル
ドラムス 1990年
カーク・キャンニング
: Kirk Canning
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州エレンズバーグ チェロ 1991年
ケラ・シャリー
: Kera Schaley
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ワシントン州エレンズバーグ チェロ 1993年

ディスコグラフィ

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シングル

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タイトル 発売年 最高位 初収録アルバム
US
[17]
US Main
[18]
US Alt.
[19]
AUS
[20]
BEL
[21]
CAN
[22]
EU
[23]
FIN
[24]
FRA
[25]
IRE
[26]
NLD
[27]
NZ
[28]
PT
[29]
SWE
[30]
UK
[31]
ラヴ・バズ英語版 1988 ブリーチ
スリヴァー英語版 1990 19 23 77 未収録
スメルズ・ライク・ティーン・スピリット 1991 6 7 1 5 1 9 4 8 1 15 3 1 2 3 7 ネヴァーマインド
カム・アズ・ユー・アー 1992 32 3 3 25 15 27 15 8 12 7 16 3 8 24 9
リチウム英語版 64 16 25 53 28 83 19 1 5 17 28 4 11
イン・ブルーム英語版 5 73 65 16 7 87 20 10 30 28
ハート・シェイプト・ボックス 1993 4 1 21 31 17 16 9 37 6 36 9 4 16 5 イン・ユーテロ
オール・アポロジーズ英語版 / レイプ・ミー [注釈 4] 4
1
58 43 41
77 20 20 32 32
ペニーロイヤル・ティー英語版 1994 [注釈 5] 3 121[注釈 6]
アバウト・ア・ガール英語版 [注釈 7] 3 1 4 13 10 64 8 23 22 20 185[注釈 8] MTV・アンプラグド・イン・ニューヨーク
ユー・ノウ・ユーアー・ライト英語版 2002 45 1 1 ニルヴァーナ
「―」はチャート圏外もしくは対象地域で未発表ということを表している。

スタジオ・アルバム

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発売年 邦題 原題 最高位
US
[39]
認定
1989 ブリーチ Bleach 89
1991 ネヴァーマインド Nevermind 1
1993 イン・ユーテロ en:In Utero 1
  • アメリカ : 5×プラチナ[40]
  • オーストリア : ゴールド[44]
  • オーストラリア : 2×プラチナ[43]
  • カナダ : 6×プラチナ[41]
  • ドイツ : ゴールド[46]
  • ニュージーランド : 3×プラチナ[51]
  • オランダ : ゴールド[47]
  • ノルウェー : ゴールド[52]
  • スウェーデン : ゴールド[49]
  • イギリス : 2×プラチナ[42]

ライブ・アルバム

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コンピレーション・アルバム

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  • 『ニルヴァーナ シングルズ』 - Nirvana Singles (1995年) ※日本では2006年に発売
  • ニルヴァーナ』 - Nirvana (2002年) ※最高位3位、プラチナム(U.S.) 最高位3位、プラチナム

未発表曲・別テイク集

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来日公演

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脚注

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注釈

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  1. ^ ブリーチ』のレコーディングに参加したが、メルヴィンズとの掛け持ちでサポートドラマーとしての参加だったため、プレイしたのは数曲にとどまった。
  2. ^ ブリーチ』でデイル・クローヴァーが演奏した以外の8曲に参加。その後、『ネヴァーマインド』を前にしたデモ・セッションにも参加したが、セッション中にチャニングのドラムプレイにカートとクリスが不満をもち、代わりにデイヴ・グロールが新たなドラマーに迎えられることとなった。
  3. ^ アルバム『ブリーチ』のクレジットにエヴァーマンの名が記載されているが、実際には演奏では参加していない[16]
  4. ^ 両A面シングルとしてのチャートインはなかったが、Billboard Hot 100 Airplayチャートで「オール・アポロジーズ」が最高位45位にチャートインした[32]
  5. ^ 1994年に発売されたシングル盤は、コバーン死去後に回収されたためチャートインしていないが、2014年のレコード・ストア・デイに再発売されたシングル盤は第1位を獲得した[33][34]
  6. ^ 1994年に発売されたシングル盤は、コバーン死去後に回収された。その後、2014年のレコード・ストア・デイに再発売されたシングル盤が、オフィシャル・フィジカル・シングル・チャートで最高位4位[35]、全英シングルチャートで最高位121位を獲得した[36][37]
  7. ^ Billboard Hot 100へのチャートインはなかったが、Alternative Airplayチャートでは第1位を獲得した[38]
  8. ^ ただし、イギリス盤は発売されておらず、輸入盤によるチャートインとなっている。

出典

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  1. ^ a b c d Erlewine, Stephen Thomas. Nirvana | Biography & History - オールミュージック. 2020年11月9日閲覧。
  2. ^ Ramirez, AJ (2011年6月9日). “The 10 Best Nirvana Songs Ever”. PopMatters. PopMatters Media, Inc.. 2021年12月14日閲覧。
  3. ^ Strong, Catherine (2011). Grunge: Music and Memory. Farnham: Ashgate Publishing, Ltd.. p. 73. ISBN 978-1-4094-2377-5. https://books.google.com/books?id=qUhokID7qXIC 
  4. ^ Smashing Their Heads on the Punk Rock”. Spin (1993年10月). 2021年12月14日閲覧。
  5. ^ 100 Greatest Artists(Rolling Stone)
  6. ^ 『CROSSBEAT Special Edition ニルヴァーナ』(最新改訂版)シンコーミュージック、2011年、31頁。ISBN 978-4401636143 
  7. ^ 「カート・コバーン、最後の40日」『CROSSBEAT Special Edition ニルヴァーナ』(最新改訂版)シンコーミュージック、2011年、168頁。ISBN 978-4401636143 
  8. ^ “ホールのコートニー・ラヴがニルヴァーナの管理をめぐって訴訟を起こす”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2001年10月7日). https://www.barks.jp/news/?id=52256585 2020年11月9日閲覧。 
  9. ^ “元ニルヴァーナのメンバー、コートニー・ラヴと全面対決”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2001年12月14日). https://www.barks.jp/news/?id=52266298 2020年11月9日閲覧。 
  10. ^ “Kurt Cobainの家族がニルヴァーナのGrohlとNovoselicに反応”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2001年12月15日). https://www.barks.jp/news/?id=52266305 2020年11月9日閲覧。 
  11. ^ “ポール・マッカートニー、ニルヴァーナのメンバーと共演”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2012年12月14日). https://www.barks.jp/news/?id=1000085473 2020年11月9日閲覧。 
  12. ^ “ポール・マッカートニー、ハリケーン・サンディ被害支援ライヴでニルヴァーナ再結成に参加”. rockin'on.com (ロッキング・オン). (2012年12月13日). https://rockinon.com/news/detail/76036 2020年11月9日閲覧。 
  13. ^ ニルヴァーナ、エアロスミス、クイーン、ジミヘンの作品がグラミーの殿堂入り”. uDiscover. UNIVERSAL MUSIC JAPAN (2018年1月18日). 2020年11月9日閲覧。
  14. ^ ROCKIN'ON JAPAN』1992年5月号、ロッキング・オン、16頁。 
  15. ^ 『ROCKIN'ON JAPAN』1992年1月号、ロッキング・オン、22頁。 
  16. ^ Azerrad, Michael (1993). Come as You Are: The Story of Nirvana. Doubleday. ISBN 0-385-47199-8 
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外部リンク

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