アクセル・ローズ
アクセル・ローズ Axl Rose | |
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ガンズ・アンド・ローゼズ - 英国ピルトン公演(2023年) | |
基本情報 | |
出生名 | William Bruce Bailey |
生誕 |
1962年2月6日(62歳) インディアナ州ラファイエット |
出身地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス |
ジャンル |
ハードロック ヘヴィメタル LAメタル |
職業 | ミュージシャン、シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル、ピアノ、ギター、シンセサイザー |
活動期間 | 1983年 - 現在 |
レーベル | ゲフィン・レコード |
共同作業者 |
ハリウッド・ローズ ガンズ・アンド・ローゼズ AC/DC |
公式サイト | http://www.gunsnroses.com/ |
アクセル・ローズ (W. Axl Rose, 本名:William Bruce Rose, 1962年2月6日[1] - )は、アメリカ合衆国出身のロック・ミュージシャン、シンガーソングライター。
世界的なロックバンド「ガンズ・アンド・ローゼズ」を主宰しボーカリストを務める。身長175cm。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第64位[2]。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第87位[3]。
"Axl Rose”という芸名は、後のガンズ・アンド・ローゼスのギタリスト、イジー・ストラドリンと組んだ最初のバンドである「A.X.L.」と、実父の名前の「ROSE」に由来する(現在は正式に改名)。
90年代初頭まで全盛を極めたあとは一時休眠状態にあったが、2001年頃より、再びガンズ・アンド・ローゼズとしてツアーを行ったり、アルバムをリリースしている。
音楽的特徴
[編集]スキャンダラスなイメージが先行しがちだが、ボーカル能力としては変幻自在で、曲に合わせて高音域から低音域まで幅広く使い分けることができる柔軟性を持ち合わせている。ソングライティングは、「ノーヴェンバー・レイン」や「イストレインジド」といった長編バラードを得意とする(「ノーヴェンバー・レイン」は、15歳の時に作曲)。また、コンサートではピアノの演奏も披露する。[要出典]
最も尊敬するバンドの一つがクイーンで、1992年4月20日にロンドンのウェンブリー・スタジアムで開催されたフレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演している[4]。1988年初来日時のBURRN!誌のインタビューにおける「死んだときに棺桶の中に入れてほしいレコードは?」という質問に対して、「アルバム全体の良さと、自分にとっていろいろな意味を持っている」作品として『クイーン II』と答えている[5]。また、パンクから受けた影響も大きく、「もし無人島に持っていくレコードを選べと言われたら、セックス・ピストルズの『Never Mind The Bollocks』だろうな」と述べている[6]。
エルトン・ジョンと親交があり、前述のフレディ・マーキュリー追悼コンサートでは「ボヘミアン・ラプソディ」をデュエットし[4]、同1992年のMTV Video Music Awardsではガンズ・アンド・ローゼズと「ノーヴェンバー・レイン」で共演した[7]。1994年には、ロックの殿堂入りを果たしたエルトンのプレゼンターを担当している[8]。また、エルトンとの長年の共作者として知られるバーニー・トーピンを一番好きな作詞家にあげている[5]。「ユー・クッド・ビー・マイン」の歌詞における"we've seen that movie too"という一節は、エルトンの楽曲「僕もあの映画をみている (I've Seen That Movie Too)」からの引用であり、「ユー・クッド・ビー・マイン」のクレジットには「Special Thanks to Bernie Taupin and Elton John」と記されている[9][10]。
元々はバリトンの普通の声で歌っていたが、ある時アクセルがシャワーを浴びながらナザレスの「ヘアー・オブ・ザ・ドッグ」を甲高い声で歌っているのをイジーと友人が聞きつけ、その特徴的な声で歌うように要請、これが特徴的な高音の始まりとなった[11]。
来歴
[編集]RAPID FIRE
1984年1月 ROSE
1984年春 HOLLYWOOD ROSE
1984年10月-11月 L.A. GUNS
1985年1月 HOLLYWOOD ROSE (NEW)
1985年4月 GUNS AND ROSES
1984年インディアナからL.A.にヒッチハイクで移住。当時はビル・ベイリーと名乗っていた。ホームレス状態でバンド活動を続けていた。働いていたビデオ店(タワー・ビデオ)の階段下がねぐらだったり、彼女や友人の彼女、スラッシュの実家などを転々とした。バンドメンバーも極貧状態で、1985年にガンズ・アンド・ローゼズのオリジナルメンバーで行った自主ツアーでは、移動はヒッチハイク、食料は道の脇の畑で野菜を盗んで食べるなどして飢えをしのいでいた。ガンズ・アンド・ローゼズを結成してからは快進撃で、わずか数年の間にスターダムへと駆け上がった。[要出典]
2016年、北米ツアー中のAC/DCが、リードシンガーであるブライアン・ジョンソンの聴力の問題により3月~4月に予定されていた公演をキャンセル[12]。アクセルは、5月~6月のヨーロッパツアーと8月~9月の北米ツアー(先述キャンセル分の延期公演)において、ブライアンの代役としてAC/DCのリードシンガーを務めた。これは、ガンズ・アンド・ローゼズの「Not In This Lifetime...」ワールドツアー(4月、6月~8月、10月~)の合間を縫って行われた[13][14][15][16]。
タトゥー
[編集]右腕
上 AXL ROSE
中 デビュー前に付き合っていたモニークという女性
下 ガンズ・アンド・ローゼズのクロス
左腕
上 ROCKER(3度ほど改造)
下 VICTORY OR DEATH(AXLの座右の銘ともなっている)
エピソード
[編集]アルバム「GN'Rライズ」収録の楽曲「One in a Million」で黒人を侮辱する単語と同性愛者を侮辱する単語を用いたことで批判を受けた[1]。アクセルは後に謝罪した[17]。
かなりの遅刻魔。開演時間に数時間遅れて登場することはざらで、開演直前になってキャンセルしたことも。ゲフィンとのデビュー契約時も、「コンタクトレンズが見つからない」という理由で、相手の経営陣を2時間も待たせた[11]。最新アルバム『チャイニーズ・デモクラシー』の製作にも14年という年月を要している。
2008年11月23日に発売されたガンズ・アンド・ローゼズのアルバム『チャイニーズ・デモクラシー』の売り上げが、当初の予想よりも期待外れであること(アクセルによるプロモーション活動が十分でなかったとの噂)を米国のザ・サン紙へ問われた際、モトリー・クルーのヴィンスは、「あんなに長い年月を掛けてレコーディングしたにも関わらず期待ハズレだったなんて、クレイジーにも程がある。また、このアルバムのツアーはキャンセルだろ?俺のダチ(DJアシュバ)が、奴のためにギターを演奏しに行って約3ヶ月もリハーサルをしたというのにも関わらず、アクセルの奴は1度も現れなかったらしいな。ルールその1、姿を見せろ!」とアクセルのレコーディングに対する態度を痛烈に批判し、「こんなことをし続けていたら、ファンがどんどん去って行く。奴(アクセル)はずっとこんな状態だ。それでも付いてきているファンだって“いい加減にしろ!もうやってられねーよ!”って、心では思っていると思うぜ。肝心のバンドのライブを見られないなら、ファンではいられないぜ」とも語っている。[18]
2012年 映画「ロック・オブ・エイジズ」で主演のトム・クルーズに演技指導を行った。[19]
新生ガンズ・アンド・ローゼズとして
[編集]ガンズ・アンド・ローゼズのオリジナル・メンバーとしては、最後の一人[注釈 1]。最近では性格も落ち着いてきたのか、彼の家で開かれたハロウィン・パーティの夜に、子ども達を驚かすところを目撃されている。しかし、2006年にはニューヨークで友人(ロザリオ・ドーソン)の27歳の誕生パーティに出席したアクセルは有名デザイナーのトミー・ヒルフィガーと殴り合いの乱闘を繰り広げた。原因はトミーのガールフレンドの飲み物が落ちそうだったため、アクセルがコップの位置を変えたところ、トミーが言いがかりをつけてきたために乱闘となった[20]。また、同年の6月27日にはスウェーデンのストックホルムのホテルにてセキュリティ・ガードの足に噛み付き、ロビーの鏡を割り逮捕された(4万クローナ(約64万円)の罰金を払って釈放、足を噛まれた警備員には1万クローナ(約16万円)を払った)[21]。
元スキッド・ロウのセバスチャン・バックと親交があり、2006年のツアーに彼を帯同。声がでなくなったクライマックスにヴォーカルを代わってもらうなどした。バックのアルバム『エンジェル・ダウン』でゲスト参加もしている。
90年代のGN'R全盛期には、ショーがたった40分で終わるなどということもあったが、2009年の来日公演では、大阪・東京の両公演で3時間を超えるコンサートを披露[22][23][24][25]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b The ups n' downs of Guns N' Roses - BBC News
- ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Axl Rose”. 2013年5月26日閲覧。
- ^ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
- ^ a b Alderslade, Merlin (2022年10月10日). “That time Elton John, Axl Rose and Queen played the most brilliantly chaotic version of Bohemian Rhapsody ever” 2023年3月16日閲覧。
- ^ a b BURRN!、1989年2月号、p.12、シンコー・ミュージック
- ^ BURRN!、1989年3月号、p.12、シンコー・ミュージック
- ^ Greene, Andy (2013年4月2日). “Flashback: Guns N' Roses Play 'November Rain' With Elton John - Epic performance wrapped up the 1992 MTV Video Music Awards -”. Rolling Stone. 2023年3月16日閲覧。
- ^ “Rock & Roll Hall of Fame – Elton John”. 2023年3月16日閲覧。
- ^ Guarisco, Donald. “I've Seen That Movie Too - Elton John”. AllMusic. 2023年3月16日閲覧。
- ^ CD『ユーズ・ユア・イリュージョン II』英文ブックレット
- ^ a b c Reckless Road and the Making of Appetite for Destruction(マーク・カンター著)
- ^ “AC/DC To Reschedule Upcoming U.S. Tour Dates”. AC/DC Official Site (2016年3月8日). 2023年3月16日閲覧。
- ^ “Rock Or Bust World Tour Continues With Axl Rose”. AC/DC Official Site (2016年4月17日). 2023年3月16日閲覧。
- ^ Kreps, Daniel (2016年6月1日). “AC/DC With Axl Rose Lock Down U.S. Tour Dates”. Rolling Stone. 2023年3月16日閲覧。
- ^ “AC/DC、フロントマンにアクセルを迎えた北米ツアーの日程を発表”. NME JAPAN (2016年6月2日). 2023年3月16日閲覧。
- ^ Guns n' Roses Official Site - Tour
- ^ Here Today... Gone To Hell! | Articles > Axl Rose: The Rolling Stone Interview
- ^ 「モトリー・クルー、アクセル・ローズの態度にご立腹」 BARKS、2009年8月25日。
- ^ “GN'Rアクセル・ローズが、トム・クルーズのヴォーカルトレーナー!映画『ロック・オブ・エイジズ』”. シネマトゥデイ (2011年4月19日). 2018年5月2日閲覧。
- ^ 「GNR、トミー・ヒルフィガーとひと騒動!?」 BARKS、2006年5月13日
- ^ 「アクセル、罰金を支払い釈放される」 BARKS、2006年6月29日
- ^ https://www.barks.jp/news/?id=1000056545
- ^ https://www.barks.jp/news/?id=1000056661
- ^ 「ガンズ・アンド・ローゼズ大阪公演、3時間超の熱狂」 BARKS、2009年12月17日。
- ^ 「ガンズ・アンド・ローゼズ東京公演速報、3時間半ライヴの末、二度にわたって宙に弧を描いたアクセルのマイクの行方は?」 BARKS、2009年12月20日。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Guns N' Roses Official Site ガンズ・アンド・ローゼス公式サイト(英語)
- Axl Rose (axlrose) - X(旧Twitter)
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