NTT西日本レグルス
NTT西日本レグルス | |
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クラブカラー | 青 |
創設年 | 1948年 |
廃部年 | 2002年 |
チーム所在地 | 愛知県名古屋市中区 |
NTT西日本レグルス(エヌティーティーにしにほんレグルス)は、かつて愛知県名古屋市を拠点に活動していた、男子バレーボールチームである。
概要
[編集]1948年(昭和23年)創部、2002年(平成14年)休部。母体は西日本電信電話(NTT西日本)。前身の日本電信電話公社東海電気通信局のバレー部時代から長く活動していたが、NTT西日本の経営不振に伴い休部となった。
「レグルス(Reg'ulus)」とは、しし座アルファ星である「レグルス」のこと。この星のように光り輝き、獅子のように強いチームをイメージして名付けられた。
所在地および練習拠点は名古屋市中区のNTT東海体育館に置かれた。
歴史
[編集]1948年、日本電信電話公社名古屋中央電話局の9人制バレーボール部「電電名古屋」として創部した。その後しばらく9人制バレーで活躍した。1957年(昭和32年)「電電東海」に改称、1968年(昭和48年)全日本9人制バレーボール総合男子選手権大会初優勝を飾る。[1]
1970年(昭和45年)6人制バレーに本格移行し、1980年(昭和55年)実業団リーグ(現チャレンジリーグ)に昇格を果たす。1980年代初頭は地域リーグ(西部)と昇降格を繰り返し、1985年(昭和60年)ファイナルリーグで優勝し実業団リーグへの再昇格を果たす。また同年にはNTTグループ誕生に伴い、「NTT東海」に改称した。以降、実業団リーグに定着した。1998年(平成10年)、悲願だったVリーグ(現プレミアリーグ)昇格を果たした[1]。
1999年(平成11年)7月1日、NTTは4社分割による再編成が行われた。それに伴い全国11支社にあったスポーツチームは過去の実績などを基に再編され、男子バレーボール部(レグルス)と女子バレーボール部(神戸)、陸上競技部、硬式野球部、ラグビー部(大阪)をNTT西日本本社直轄のシンボルチーム、ソフトテニス(広島)のうち全日本メンバーをシンボル選手に認定した。そこから外れたスポーツチームは支店のスポーツサークル、クラブチーム化、あるいは休廃部していった[2]。これに伴い、チーム名をNTT東海から「NTT西日本」に改称した。
2001年(平成13年)、NTT西日本は経営不振に伴い人員合理化を進めた。その中で、社員の新規採用が2001年度から2年間見送られることとなり、新入部員を勧誘することが出来なかった。そのため、同好会化したNTT西日本支社チームの主力選手をかき集めることになった。[3]
その後NTT西日本の業績不振により、2002年3月31日付で野球部を残しシンボルチームは解散することが決定[4]、同年5月の黒鷲旗を最後に休部した。選手の幾人かは他のVリーグチームへ移籍したり、同系列のNTT西日本大阪へ移籍したり、クラブチーム「NTT東海鯱友会」でプレーした。
成績
[編集]主な成績
[編集]- 優勝 なし
- 準優勝 なし
- 優勝 なし
- 準優勝 なし
- 優勝 1983年、1985年
- 準優勝 1982年
- 優勝 なし
- 準優勝 なし
年度別成績
[編集]大会名 | 順位 | 参加チーム数 | 試合数 | 勝 | 敗 | 勝率 | |
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実業団リーグ | 第12回 (1980/81) | 6位 | 6チーム | 10 | 1 | 9 | 0.100 |
第15回 (1983/84) | 8位 | 8チーム | 14 | 2 | 12 | 0.143 | |
第17回 (1985/86) | 6位 | 8チーム | 14 | 6 | 8 | 0.429 | |
第18回 (1986/87) | 7位 | 8チーム | 14 | 3 | 11 | 0.214 | |
第19回 (1987/88) | 5位 | 8チーム | 14 | 5 | 9 | 0.357 | |
第20回 (1988/89) | 4位 | 8チーム | 14 | 6 | 8 | 0.429 | |
第21回 (1989/90) | 4位 | 8チーム | 14 | 10 | 4 | 0.714 | |
第22回 (1990/91) | 4位 | 8チーム | 14 | 7 | 7 | 0.500 | |
第23回 (1991/92) | 7位 | 8チーム | 14 | 5 | 9 | 0.357 | |
第24回 (1992/93) | 7位 | 8チーム | 14 | 3 | 11 | 0.214 | |
第25回 (1993/94) | 6位 | 8チーム | 14 | 5 | 9 | 0.357 | |
第26回 (1994/95) | 3位 | 7チーム | 12 | 7 | 5 | 0.583 | |
第27回 (1995/96) | 4位 | 8チーム | 14 | 8 | 6 | 0.571 | |
第28回 (1996/97) | 6位 | 8チーム | 14 | 5 | 9 | 0.357 | |
第29回 (1997/98) | 3位 | 8チーム | 14 | 9 | 5 | 0.648 | |
Vリーグ | 第5回 (1998/99) | 8位 | 10チーム | 18 | 3 | 15 | 0.167 |
第6回 (1999/00) | 8位 | 10チーム | 18 | 3 | 15 | 0.167 | |
第7回 (2000/01) | 10位 | 10チーム | 18 | 2 | 16 | 0.111 | |
第8回 (2001/02) | 9位 | 10チーム | 18 | 2 | 16 | 0.111 |
選手・スタッフ
[編集]休部前年となる2001/02シーズン時の登録メンバー。
選手
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バレーボールの ポジション |
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背番号 | 名前 | シャツネーム | 国籍 | P | 備考 |
1 | 中川一 | 日本 | MB | ||
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2 | 其田大輔 | 日本 | S | ||
3 | 金近潤 | 日本 | WS | ||
4 | 山元克之 | 日本 | S | ||
5 | 前田悟 | 日本 | S | ||
6 | 和田一彦 | 日本 | MB | ||
7 | 小林宙史 | 日本 | WS | ||
8 | 西田靖宏 | 日本 | OP | ||
9 | 山口雅行 | 日本 | WS | ||
11 | 美保考男 | 日本 | WS | ||
12 | 置本雅司 | 日本 | L | ||
13 | 古城弘路 | 日本 | WS | ||
15 | 五十里朗 | 日本 | MB | 主将 | |
16 | 加々見安洋 | 日本 | MB | ||
17 | 半田剛史 | 日本 | MB | ||
18 | 砂川登 | 日本 | WS |
スタッフ
[編集]役職 | 名前 | 国籍 |
監督 | 柴田輝幸 | 日本 |
コーチ | 吉野明則 | 日本 |
アナリスト | 荻野信宏 | 日本 |
トレーナー | 加藤仁 | 日本 |
トレーニングコーチ | 仲田健 | 日本 |
マネージャー | 西野克行 | 日本 |
在籍していた主な選手
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 川端正利志:(NKK→NTT東海)
- 上田鈴貴:セッター(鎮西高→NTT東海)
- 小脇道明:(中央大→NTT東海)
- 植木祐司:センター(駒沢大→NTT東海)
- 小澤勇介:(関東学院大→NTT東海)
- 松林敏彦:(東北学院大→NTT東海)
- 早野俊成
- 山名邦卓
- 中村成輔
- 森三紀夫
- 鈴木泰:(東海大学第一高等学校→NTT東海)
- 角直行
- 寺園幸司:セッター(大垣日大高→NTT東海)
- 栗田敏也
- 島村昌典:(駒沢大→NTT東海)
- 空閑和也:セッター(順天堂大→NTT東海)
- 長谷川富也
- 清水祐一郎:センター(日本大学→NTT東海)
- 泰永友池
- 村江克己
- 濱頭辰治
- 横井晃一
- 持原勝彦
脚注
[編集]- ^ a b レグルス公式(Internet Archive). “NTT西日本の歴史”. 2010年9月13日閲覧。
- ^ 中国新聞 (2000年8月26日). “アマスポーツNOW NTT再編”. 2010年9月13日閲覧。
- ^ 中国新聞(Internet Archive) (2002年1月8日). “バレーのNTT西日本、リーグ撤退へ”. 2010年9月13日閲覧。
- ^ 中国新聞(Internet Archive) (2002年3月30日). “NTT西日本、陸上部をサークル化”. 2010年9月13日閲覧。
関連項目
[編集]- 兵庫デルフィーノ - NTT西日本大阪バレーボール部OBが創設
- NTT西日本中国バレーボール部 - 廃部