1935年のグランプリ・シーズン
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1935年のグランプリ・シーズン は、AIACRヨーロッパ・ドライバーズ選手権の第三回大会が開催されたグランプリ・シーズンである。メルセデスのルドルフ・カラツィオラがヨーロッパ選手権を制した。
1935年9月15日にドイツ国旗として鉤十字旗が採用されたことに留意。
シーズン概要
[編集]メルセデスW25はグラン・エプルーヴで7戦中5勝し、シーズンを席巻した。うち4勝を挙げたルドルフ・カラツィオラが自身初のヨーロッパ選手権チャンピオンに輝いた。カラツィオラのタイトル獲得は、1933年モナコでの負傷の影響が残る中で達成されたものだった[1]。アウトウニオンは4.9L(シーズン中に5.6Lまで増加) V16エンジンを搭載するタイプBを投入したほか、前年にグランプリ最多勝を挙げたアキーレ・ヴァルツィをドライバーラインナップに加えたが、メルセデスの後塵を拝し、シーズン全体で4勝するに留まった。スクーデリア・フェラーリには、離脱したヴァルツィに替わってタツィオ・ヌヴォラーリが加入した。ドイツ勢のマシンが圧倒的優勢を誇る中、ヌヴォラーリはドイツグランプリで番狂わせを演じ、非ドイツ勢にとって戦前では最後となるグランエプルーヴでの勝利を挙げた。一方、大規模なメーカーがレースシーンを席巻する中でブガッティやマセラティはグランプリへの興味を失い、その活動を縮小させた[2]。アウトウニオンの新人ベルント・ローゼマイヤーは、デビューから2戦目のアイフェルレンネン(ニュルブルクリンク)にて、最終ラップの最終ストレートでカラツィオラに抜かれるまで首位をキープした末、2位でフィニッシュして強い印象を残した[3]。ローゼマイヤーは9月下旬のチェコスロヴァキアグランプリで初優勝を果たし、アウトウニオンのエースドライバーとして頭角を現した。
ヨーロッパ選手権グランプリ
[編集]Rd | 開催日 | レース | サーキット | PP(プラクティス最速) | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 4月22日 | モナコグランプリ | モンテカルロ市街地コース | ルドルフ・カラツィオラ | ルイジ・ファジオーリ | ルイジ・ファジオーリ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
2 | 6月23日 | フランスグランプリ | リナ・モンレリ | アキーレ・ヴァルツィ | タツィオ・ヌヴォラーリ | ルドルフ・カラツィオラ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
3 | 7月14日 | ベルギーグランプリ | スパ・フランコルシャン | 抽選でグリッド決定 | マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ | ルドルフ・カラツィオラ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
4 | 7月28日 | ドイツグランプリ | ニュルブルクリンク | 抽選でグリッド決定 | マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ | タツィオ・ヌヴォラーリ | アルファロメオ | 詳細 |
5 | 8月25日 | スイスグランプリ | ブレムガルテン・サーキット | アキーレ・ヴァルツィ | ルドルフ・カラツィオラ | ルドルフ・カラツィオラ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
6 | 9月8日 | イタリアグランプリ | モンツァ・サーキット | 抽選でグリッド決定 | タツィオ・ヌヴォラーリ | ハンス・シュトゥック | アウトウニオン | 詳細 |
7 | 9月22日 | スペイングランプリ | ラサルテ・サーキット | 抽選でグリッド決定 | アキーレ・ヴァルツィ | ルドルフ・カラツィオラ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
非選手権グランプリ
[編集]黄色の背景はグラン・エプルーヴ
エントリーリスト
[編集]チーム
[編集]ワークス・チーム
[編集]チーム | コンストラクター | シャシー | エンジン | ドライバー |
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ダイムラー・ベンツAG | メルセデス・ベンツ | W25 | 3.7/4.0/4.3 L8 | ルドルフ・カラツィオラ (フルタイム) |
ルイジ・ファジオーリ (フルタイム) | ||||
マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ (フルタイム) | ||||
ヘルマン・ラング | ||||
ハンス・ガイアー | ||||
アウトウニオン | アウトウニオン | タイプB | 4.9/5.6 V16 | ハンス・シュトゥック (フルタイム) |
ベルント・ローゼマイヤー (フルタイム) | ||||
アキーレ・ヴァルツィ (フルタイム) | ||||
パウル・ピーチュ | ||||
スクーデリア・フェラーリ | アルファロメオ | ティーポB/P3 8C-35 |
3.2/3.8 L8 3.8 L8 |
タツィオ・ヌヴォラーリ (フルタイム) |
ルネ・ドレフュス (フルタイム) | ||||
ルイ・シロン (フルタイム) | ||||
アティーロ・マリノーニ | ||||
アントニオ・ブリヴィオ | ||||
スクーデリア・スバルピーナ | マセラティ | 6C-34 V8-RI |
3.2 L6 4.2 V8 |
ゴッフレード・ゼンデル |
フィリップ・エトンスラン | ||||
ピエトロ・ゲルシ | ||||
ジュゼッペ・ファリーナ | ||||
エウジェニオ・シエナ | ||||
マルセル・ルー | ||||
ブガッティ | ブガッティ | T59 | 3.3/3.8 L8 | ピエロ・タルッフィ |
ロベール・ベノワ | ||||
ジャン=ピエール・ウィミーユ | ||||
ERA | ERA | Bタイプ | 2.0 L6 | レイモンド・メイズ |
エルンスト・フォン・デリウス |
インディペンデント・チーム
[編集]チーム | コンストラクター | シャシー | エンジン | ドライバー |
---|---|---|---|---|
エスクデリア・ヴィアパディエルナ | マセラティ | 8CM | 3.0 L8 | マルセル・ルー |
グルッポ・サン・ジョルジョ | アルファロメオ マセラティ |
ティーポB/P3 26M |
3.0 L8 2.5 L8 |
レナート・バレストレーロ |
ルイジ・ソフィエッティ | マセラティ | 8CM | 3.0 L8 | ルイジ・ソフィエッティ |
ピエトロ・ゲルシ | ||||
アール・ハウ | ブガッティ マセラティ |
T59 8CM |
3.2 L8 3.0 L8 |
アール・ハウ |
ブライアン・ルイス | ||||
ジーノ・ロヴェレ | マセラティ | 6C-34 | 3.7 L6 | ジュゼッペ・ファリーナ |
フランコ・サルディ | アルファロメオ | ティーポB/P3 | 2.9 L8 | フェルディナンド・バルビエリ |
プライベーター
[編集]チーム名 | コンストラクター | シャシー | エンジン | 参加レース |
---|---|---|---|---|
レイモン・ソメール | アルファロメオ | ティーポB/P3 | 3.2 L8 | BEL, SUI, ESP |
ラズロ・ハルトマン | マセラティ | 8CM | 3.0 L8 | GER, SUI |
ハンス・ルエシュ | マセラティ | 8CM | 3.0 L8 | GER |
ヘナーロ・レオ・サバー | ブガッティ | ? | ESP |
1935年のドライバーズランキング
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外部リンク
[編集]参考文献
[編集]Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 3 (1934–1949)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 6 August 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。
Leif Snellman and Hans Etzrodt. “1935”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 5 July 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。
Galpin, Darren. “1935 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 2007年8月5日閲覧。
脚注
[編集]- ^ ノイバウア, アルフレッド 著、橋本茂春 訳『スピードこそ我が命』荒地出版社、1968年、77頁。
- ^ Etzrodt, Hans. “1935 GRAND PRIX SEASON”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月15日閲覧。
- ^ ノイバウア, アルフレッド 著、橋本茂春 訳『スピードこそ我が命』荒地出版社、1968年、79-80頁。
- ^ Etzrodt, Hans. “1935 CHAMPIONSHIP”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年12月18日閲覧。