1933年のグランプリ・シーズン
1933年のグランプリシーズン | |||
前年: | 1932 | 翌年: | 1934 |
1933年のグランプリ・シーズン は、AIACRヨーロッパ・ドライバーズ選手権のタイトルが設けられなかった2年間におけるグランプリ・シーズンである。タツィオ・ヌヴォラーリが7つのグランプリに勝利して最多勝を挙げたドライバーとなった。アルファロメオのマシンが開催された36のグランプリのうち19を制し1933年シーズンを席巻した。
シーズン概要
[編集]経済的理由から、アルファロメオのファクトリーチームがグランプリから撤退した。アルファロメオはエンツォ・フェラーリが所有するスクーデリア・フェラーリにマシンを提供することでグランプリでの活動を存続した。当初、アルファロメオがアルファロメオP3の提供を拒否したため、スクーデリア・フェラーリは旧型の8Cモンツァを使用せざるを得ず、不満を覚えたヌヴォラーリとボルザッキーニはマセラティに移籍した[1]。グラン・エプルーヴの初戦モナコグランプリでは、ブガッティのヴァルツィがヌヴォラーリとの最終ラップまで続くマッチレースを制して勝利を挙げた。この年マセラティ8CMをデビューさせたマセラティは、アルファロメオの不在に乗じてグラン・エプルーヴで2勝を挙げた。しかし、シーズン後半にはアルファロメオP3の使用を許されたフェラーリが逆襲に転じ、イタリアグランプリとスペイングランプリを連勝した。他方、1933年は重大事故が多発したシーズンとして記憶されることとなった。ルイ・シロンと共にスクーデリア・CCを設立したカラツィオラは、モナコグランプリに向けた練習走行中に重傷を負ってシーズンを欠場した。9月のモンツァグランプリは、高速オーバルコースを使用して計4レースで争われた。第2レースの南カーブ、カンパーリとボルザッキーニはオイルに乗ってコースを飛び出し、2人は事故死した。続く最終レース、チャイコフスキーがまたも南カーブで大クラッシュを起こし、命を落とした[2]。
グラン・エプルーヴ
[編集]開催日 | レース | サーキット | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | レポート |
---|---|---|---|---|---|---|
4月23日 | モナコグランプリ | モンテカルロ市街地コース | アキーレ・ヴァルツィ | アキーレ・ヴァルツィ | ブガッティ | 詳細 |
6月11日 | フランスグランプリ | リナ・モンレリ | ジュゼッペ・カンパーリ | ジュゼッペ・カンパーリ | マセラティ | 詳細 |
7月9日 | ベルギーグランプリ | スパ・フランコルシャン | タツィオ・ヌヴォラーリ | タツィオ・ヌヴォラーリ | マセラティ | 詳細 |
9月10日 | イタリアグランプリ | モンツァ・サーキット | ルイジ・ファジオーリ | ルイジ・ファジオーリ | アルファロメオ | 詳細 |
9月24日 | スペイングランプリ | ラサルテ・サーキット | タツィオ・ヌヴォラーリ | ルイ・シロン | アルファロメオ | 詳細 |
その他のグランプリ
[編集]シーズン結果
[編集]グランプリ優勝者
[編集]ドライバー
[編集]ドライバー名 | 勝利数 | |
---|---|---|
計 | グラン エプルーヴ | |
タツィオ・ヌヴォラーリ | 7 | 1 |
ルイ・シロン | 3 | 1 |
ルイジ・ファジオーリ | 3 | 1 |
マルセル・ルー | 3 | 0 |
アキーレ・ヴァルツィ | 3 | 1 |
アントニオ・ブリヴィオ | 2 | 0 |
フィリップ・エトンスラン | 2 | 0 |
ユージン・ビョルンスタッド | 1 | 0 |
ルイ・ブライヤール | 1 | 0 |
ジュゼッペ・カンパーリ | 1 | 1 |
スタニスラス・チャイコフスキー | 1 | 0 |
カール・エッブ | 1 | 0 |
ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ | 1 | 0 |
アール・ハウ | 1 | 0 |
マルセル・ジャコブ | 1 | 0 |
ブライアン・ルイス | 1 | 0 |
ウィリー・ロングヴィル | 1 | 0 |
ホイットニー・ストレート | 1 | 0 |
カルロ・フェリーチェ・トロッシ | 1 | 0 |
ホアン・ザネリ | 1 | 0 |
コンストラクター
[編集]コンストラクター名 | 勝利数 | |
---|---|---|
計 | グラン エプルーヴ | |
アルファロメオ | 19 | 2 |
ブガッティ | 13 | 1 |
マセラティ | 3 | 2 |
メルセデス・ベンツ | 1 | 0 |
参考文献
[編集]Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 2 (1919–1933)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 29 June 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。
Leif Snellman and Hans Etzrodt. “1933”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 13 August 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。
Galpin, Darren. “1933 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 8 August 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。
脚注
[編集]- ^ Etzrodt, Hans. “1933 GRAND PRIX SEASON”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月15日閲覧。
- ^ ノイバウア, アルフレッド 著、橋本茂春 訳『スピードこそ我が命』荒地出版社、1968年、58頁。