黒田直亨
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 享保14年閏9月11日(1729年11月1日) |
死没 | 天明4年閏1月17日(1784年3月8日) |
改名 | 十五郎(幼名)、直亨 |
戒名 | 天栄直亨松樹院 |
墓所 | 埼玉県飯能市の能仁寺 |
官位 | 従五位下、豊前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 上総久留里藩主 |
氏族 | 黒田氏 |
父母 | 父:黒田直邦、養父:黒田直純 |
妻 | 正室:為子(盛陽院。有馬氏久の娘) |
子 |
直英、直方、直清(三男)、津軽親足、黒田泉七郎、九十郎、巳津弥、娘(鳥居成純室)、娘(杉浦正僖正室) 養子:直弘 |
黒田 直亨(くろだ なおゆき)は、上総久留里藩の第2代藩主。久留里藩黒田家3代。
略歴
[編集]享保14年(1729年)閏9月11日、先々代の黒田家の当主・黒田直邦の次男として、江戸常盤橋藩邸において生まれる。
享保20年(1735年)に父が死去したとき、まだ7歳という幼少の上に妾腹の息子で、さらに養子としてすでに直純が迎えられていたため、家督を継げなかった。
延享元年(1744年)12月、従五位下、豊前守に叙位・任官する。
天明4年(1784年)閏1月17日に死去した。享年56。養子の直弘(直純の長男)が家督相続を辞退したため廃嫡し、直亨の長男の直英が跡を継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 為子、盛陽院 ー 有馬氏久の娘
子女
養子
脚注
[編集]- ^ 後に廃嫡。