黒住成章
黒住 成章[1](くろずみ せいしょう[1][2][注 1]、前名・佐平治[4]、1875年(明治8年)12月16日[5][6] - 1928年(昭和3年)7月17日[1][7])は、日本の弁護士[8][9]、会社役員、政治家。衆議院議員(当選3回、立憲政友会)[1][7]。族籍は岡山県平民[4][10]。
略歴
[編集]1875年(明治8年)12月、岡山県津高郡一宮村(後の御津郡一宮町一宮、現在の岡山市北区一宮)で生まれる[3][7][11]。黒住秀治の長男[4][10][6]。生家は代々農業を営む[9]。小学校卒業後、家業に従事する[9]。
家が貧しく、学資を得ず、上京して牛乳配達、新聞配達等を勤めながら[6]、1902年(明治35年)、和仏法律学校(現・法政大学)を卒業[3][10][12]。
1903年(明治36年)、判検事登用試験に及第し、この年の12月に司法官試補を命ぜられ函館地方裁判所に勤務する[3]。翌年官を辞し函館に弁護士事務所を開設する[3]。1914年(大正3年)に函館弁護士会副会長となり[3]、後に会長[4][7]に就任する。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する。立憲政友会に所属[1][2]。これまで幾度か落選していた[11]。
1925年(大正14年)4月20日、加藤高明内閣で農林参与官に就任する。
1926年(大正15年)4月、大日本水産会監事となり、1927年(昭和2年)4月、理事となる[3]。
1927年(昭和2年)4月22日、田中義一内閣で司法参与官に就任する。
函館市会議員、函館商業会議所特別議員[1]、寿都鉄道監査役[11]、日魯漁業、函館水電、函館銀行の法律顧問などをつとめる[11]。1928年(昭和3年)7月17日に死去[7]。
人物
[編集]岡山県の黒住秀治の長男[4][10]だが、北海道に渡って土地っ児になった[11]。邪気のない男なので新聞記者仲間では評判が良かった[11]。
処世訓は努力[9]。趣味は撞球、乗馬[3][9]。住所は北海道函館寿町[4][10]、東京市芝区葺手町[13](現・東京都港区虎ノ門四丁目)。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 黒住家
- 父・秀治[4][10]
- 妹・満佐野(1890年 - ?)[10]
- 弟・丈太(1886年 - ?、大阪府人・松林孫三郎の養子)[10]
- 妻・ナカ(1883年 - ?、北海道、大和佐次郎の三女)[9][10]
- 男・眞雄[10](1908年 - ?) - 1929年、静岡高等学校を卒業[15]。1933年、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科を卒業[16][注 2]。
- 女・不二(1909年 - ?)[10]
- 庶子(1905年 - ?、生母、大島キワ)[4][10]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f 『議会制度七十年史 第11』180 - 181頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年2月5日閲覧。
- ^ a b 『日本国・国会全議員名鑑 中』く1644頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『北海道人名辞書 再版』函館市266頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第6版』く25 - 26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月1日閲覧。
- ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、36頁。
- ^ a b c 『水産界(549)』469頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月26日閲覧。
- ^ a b c d e 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』261頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月17日閲覧。
- ^ 『改正日本弁護士名簿』164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 『新日本史 別篇』1110頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第7版』く28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 『新代議士名鑑』168頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月27日閲覧。
- ^ 『法政大学校友名鑑』年度別卒業生名簿14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年3月1日閲覧。
- ^ 『水産界(537)』496頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月26日閲覧。
- ^ 『帝国議会衆議院公報 第55-56回』衆議院公報 号外(三)1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月26日閲覧。
- ^ 『静岡高等学校一覧 昭和12年4月至昭和13年3月』117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月27日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録 昭和8年3月末現在』317頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月27日閲覧。
- ^ 『会員氏名録 昭和36・37年用』ク199頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月27日閲覧。
参考文献
[編集]- 真船多吉編『改正日本弁護士名簿』日本弁護士協会、1908年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 金子信尚編『北海道人名辞書 再版』北海民論社、1923年。
- 加藤紫泉『新代議士名鑑』国民教育会、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 『水産界(537)』大日本水産会、1927年。
- 『水産界(549)』大日本水産会、1928年。
- 万朝報社編『新日本史 別篇』万朝報社、1928年。
- 『帝国議会衆議院公報 第55-56回』衆議院、1928年。
- 東京帝国大学編『東京帝国大学卒業生氏名録 昭和8年3月末現在』東京帝国大学、1933年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 静岡高等学校編『静岡高等学校一覧 昭和12年4月至昭和13年3月』静岡高等学校、1937 - 1940年。
- 法政大学校友名鑑刊行会編『法政大学校友名鑑』法政大学校友名鑑刊行会、1941年。
- 『日本人名大辞典』講談社。
- 『会員氏名録 昭和36・37年用』学士会、1961年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
- 日本国・国会全議員名鑑編纂委員会 編纂『日本国・国会全議員名鑑 中』日本国体研究院、1986年。