鳥羽市立菅島小学校
鳥羽市立菅島小学校 | |
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北緯34度29分55秒 東経136度53分59秒 / 北緯34.498639度 東経136.899694度座標: 北緯34度29分55秒 東経136度53分59秒 / 北緯34.498639度 東経136.899694度 | |
過去の名称 |
菅島学校 菅島尋常小学校 菅島簡易授業所 菅島尋常高等小学校 菅島国民学校 菅島村立菅島小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 鳥羽市 |
設立年月日 | 1876年7月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B124221120040 |
所在地 | 〒517-0004 |
三重県鳥羽市菅島町1-2 | |
外部リンク | 鳥羽市/菅島小学校 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鳥羽市立菅島小学校(とばしりつ すがしましょうがっこう)は、三重県鳥羽市菅島町に位置する公立小学校。2024年(令和6年)現在の全校児童は4学級17人[1]。
校舎の一部は菅島灯台をモチーフとしたもので、「鳥羽の島遺産100選」に選ばれている[2]。
教育の特色
[編集]- 菅島小エコ・ボランティアクラブ
- 給食の生ごみを処理し、作物を栽培する「菅島小エコ・ボランティアクラブ」が2007年(平成19年)から活動を行っている[3]。活動は児童の自由参加である[3]。2012年(平成24年)11月6日に「第1回みえ環境大賞」(環境活動部門)の受賞が決定、同年12月2日に表彰式が行われる[4]。
- 藻場再生
- 鳥羽磯部漁業協同組合菅島支所と合同で、サガラメ(地元呼称は「アラメ」)の苗を付けたブロックを海底に設置する活動を行っている[5]。
- ちびっこ海女の操業体験
島っ子ガイド
[編集]島っ子ガイドは海島遊民くらぶ[注 1]と小学校が連携して、観光客らに対し児童が菅島のガイドを行うものである[5][6]。2008年(平成20年)に[5]赴任2年目の教員[注 2]が、児童らのコミュニケーション能力の不足[注 3]の解消と菅島を知ってもらおうと総合的な学習の時間を利用して始めた活動である[7]。児童はガイドする場所を選択し、その歴史などを調査し、説明の仕方を工夫して、何度もリハーサルを重ねた上で実際のガイドに臨む[5]。例えば、説明の仕方としてクイズ形式にしたり、川柳を取り入れたりなどの案を出し、試行錯誤する[5]。
年間のガイド回数は5回ほどで、毎年11月に行う「島っ子ガイドフェスティバル」が最大のガイドツアーとなる[5]。2012年(平成24年)11月10日に行われた島っ子ガイドでは、全校児童が5つのコースに分かれて島を案内した[8]。2018年(平成30年)5月には、大阪府から修学旅行で菅島を訪れた児童を5・6年生の児童がガイドした[5]。新型コロナウイルス感染症流行下の2020年(令和2年)は島民のみを対象として実施し、2021年(令和3年)はオンラインツアーの形で実施した[9]。
島っ子ガイドは菅島小学校から始まって鳥羽市立神島小学校でも取り組まれ、三重県外でも真似をする学校が現れるようになり、2018年(平成30年)度刊行の光村図書出版の小学6年生用の道徳の教科書で取り上げられた[5]。この活動を開始した教師の広川清治は、2020年(令和2年)に中日教育賞を受賞した[10]。
沿革
[編集]- 1876年(明治9年)
- 1886年(明治19年) - 菅島尋常小学校に改称、3年制となる[13]。
- 1887年(明治20年) - 菅島簡易授業所に改称[13]。
- 1888年(明治21年)7月 - 教員住宅と新校舎1教室を新築[13]。
- 1892年(明治25年)4月 - 校名が菅島尋常小学校に戻り、4年制となる[14]。
- 1910年(明治43年)
- 1926年(大正15年)
- 1931年(昭和6年)3月 - 3教室を増築[17]。
- 1940年(昭和15年)11月 - 運動場を拡張[17]。
- 1941年(昭和16年)4月 - 菅島国民学校に改称[17]。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、菅島村立菅島小学校に改称[18]。校内に菅島村立菅島中学校を併設[19]。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 鳥羽市の市制施行により、鳥羽市立菅島小学校に改称[20]。
- 1955年(昭和30年)11月15日 - 火災により校舎が全焼[21]。
- 1956年(昭和31年)9月3日 - 新校舎が完成[22]。9月8日に開校式を挙行[22]。
- 1967年(昭和42年) - 文部省のへき地教育研究指定(2年)を受け、研究発表を行う[23]。
- 1968年(昭和43年) - 文部省主催の西日本へき地教育指導者講座社会科部会を開催[23]。
- 1969年(昭和44年) - 教員住宅が完成[24]。
- 1979年(昭和54年)4月1日 - 菅島中学校が鳥羽中学校・桃取中学校および加茂中学校の学区であった安楽島地区と統合され、鳥羽市立鳥羽東中学校が開校[20]、菅島小学校単独校舎となる。
- 1984年(昭和59年)3月27日 - 新校舎が落成[25]。
- 2012年(平成24年)3月17日 - 3月20日まで6年生が北海道上川郡下川町を訪問、下川町立下川小学校の児童らと雪遊びなどを行う[26]。
- 2024年(令和6年)2月14日 - 学校給食を食べた児童・教職員13人がノロウイルスを原因とする集団食中毒となる[27]。
通学区域
[編集]- 菅島町[28]
児童数が少なく、複式学級が設置される教育環境であるため、鳥羽市教育委員会は2019年(平成31年)度に本土の学校へ統合することを発表したが、住民の反対署名運動を経て延期された[5]。(完全撤回ではない。)
進学先中学校
[編集]脚注
[編集]- 注釈
- 出典
- ^ 三重県教育委員会事務局教育総務課『学校名簿 令和6年度』三重県教育委員会、2024年7月 。
- ^ 鳥羽市観光課"島遺産一覧PDF - 鳥羽市"<ウェブ魚拓>(2012年11月11日閲覧。)
- ^ a b 三重県環境学習情報センター(2009):6ページ
- ^ 三重県環境生活部地球温暖化対策課"三重の教育 三重県教育委員会:第1回みえ環境大賞の受賞者が決定しました"<ウェブ魚拓>三重県教育委員会事務局、平成24年11月6日(2012年11月11日閲覧。)
- ^ a b c d e f g h i j k l 西山和宏「教科書に載ったよ 鳥羽・菅島小 島っ子ガイド」中日新聞2018年8月14日付朝刊、三重総合19ページ
- ^ 海島遊民くらぶ"遊民くらぶのとりくみ - 海島遊民くらぶ"(2012年11月11日閲覧。)
- ^ 林一茂 (2012年9月12日). “島っ子ガイド:子どもたちが島をガイド 漁港や灯台、漁村探訪など5コース 鳥羽・菅島小が参加者募集−−11月10日”. 毎日新聞. 2020年3月29日閲覧。 “ウェブ魚拓による2012年11月11日時点のアーカイブページ。”
- ^ 公益社団法人伊勢志摩観光コンベンション機構"お知らせ|美し国伊勢志摩 公益社団法人伊勢志摩観光コンベンション機構"<ウェブ魚拓>(2012年11月11日閲覧。)
- ^ “鳥羽・菅島の魅力、児童が紹介 「島っ子ガイド」開催 オンラインでおもてなし”. 毎日新聞 (2021年11月5日). 2024年10月6日閲覧。
- ^ “中日教育賞 受賞者 鳥羽市立菅島小学校教頭 広川清治さん”. 中日新聞 (2020年5月27日). 2024年10月6日閲覧。
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):162ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):150ページ
- ^ a b c 鳥羽市史編さん室 編(1991):170ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):171ページ
- ^ a b 鳥羽市史編さん室 編(1991):172ページ
- ^ a b 鳥羽市史編さん室 編(1991):244ページ
- ^ a b c 鳥羽市史編さん室 編(1991):316ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):354ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):1305ページ
- ^ a b 鳥羽市史編さん室 編(1991):460ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):1312ページ
- ^ a b 鳥羽市史編さん室 編(1991):1313ページ
- ^ a b 鳥羽市史編さん室 編(1991):469ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):464ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室 編(1991):1335ページ
- ^ 北海道下川町"下川の森ニュース|町と森と木の一生 - 環境未来都市 北海道下川町"
- ^ “ノロウイルスによる食中毒と断定…小学校で給食を食べた児童ら13人に下痢や嘔吐等の症状 当面提供中止に”. ニュースONE. 東海テレビ放送 (2024年2月20日). 2024年10月6日閲覧。
- ^ 鳥羽市HP:小学校・中学校一覧
参考文献
[編集]- 鳥羽市史編さん室 編『鳥羽市史 下巻』鳥羽市役所、平成三年三月二十五日、1347pp.
- 三重県環境学習情報センター『環境学習みえ2009年冬号』三重県環境学習情報センター、2009年12月、8p.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鳥羽市/菅島小学校
- 菅島小学校の校歌 - 菅島紅つげの会
- 小学生のガイドと島めぐりin菅島。 - OTONAMIE