鳥羽商船高等専門学校
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(鳥羽商船から転送)
鳥羽商船高等専門学校 | |
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正面から(2022年6月撮影) | |
略称 | 鳥羽商船、商船、商船学校 |
英称 | National Institute of Technology, Toba College (NIT, Toba College) |
設置者 | 国立高等専門学校機構 |
種別 | 国立商船高等専門学校 |
設立年 | 1875年 |
学科 |
商船学科 電子機械工学科 制御情報工学科 ---- 2019年度より--- 商船学科 情報機械システム工学科 |
専攻科 |
海事システム学専攻 生産システム工学専攻 |
所在地 | 〒517-8501 |
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北緯34度28分56.02秒 東経136度49分29.46秒 / 北緯34.4822278度 東経136.8248500度座標: 北緯34度28分56.02秒 東経136度49分29.46秒 / 北緯34.4822278度 東経136.8248500度 | |
ウェブサイト | https://www.toba-cmt.ac.jp/ |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
鳥羽商船高等専門学校(とばしょうせんこうとうせんもんがっこう、英称: National Institute of Technology, Toba College)は、三重県鳥羽市にある国立の高等専門学校。
全国に5つある商船高専のうちの1つであり、最も歴史のある高専である。また5つの商船高専のうち、唯一、一級小型船舶操縦士の養成施設としても登録されている(2023年卒業生まで対象)。
地元では「鳥羽商船」もしくは「商船」、「商船学校」と呼ばれている。
また、学生寮である暁寮が存在する。
設置学科
[編集]本科
[編集]- 商船学科(第3学年より航海コースと機関コースにわかれる。コース制。通称 S科)
- 情報機械システム工学科(2019年度から新しく設置された。学生が希望する情報、機械、電気・電子の科目からなるユニット制で学ぶ。通称 J科)
- 電子機械工学科(Mechatronics 通称 M科、2018年度入学生まで)
- 制御情報工学科(Information 通称 I科、2018年度入学生まで)
卒業時には準学士の称号が授与される。
専攻科
[編集]- 海事システム学専攻 (通称KS)
- 生産システム工学専攻 (通称SS)
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)9月14日 - 東京、芝新銭座2番地(現在の東京都港区浜松町)に日本最初の近代海員養成機関である東京攻玉社航海測量習練所(後の商船黌)を創基[1]
- 1881年(明治14年)8月20日 - 商船黌分校、鳥羽商船黌開校
- 1893年(明治26年)3月 - 攻玉社の都合により一時閉鎖
- 1895年(明治28年)10月4日 - 東海商船学校と改称、再興
- 1899年(明治32年)8月17日 - 鳥羽町立鳥羽商船学校となる
- 1911年(明治44年)4月1日 - 三重県立鳥羽商船学校となる
- 1916年(大正5年) - 練習帆船「あまき」(バーク型300総トン・補助機関付き)建造
- 1939年(昭和14年)8月19日 - 官立(文部省直轄)鳥羽商船学校となる
- 1942年(昭和17年)1月1日 - 逓信省に移管される
- 1943年(昭和18年)11月1日 - 運輸通信省所管となる
- 1945年(昭和20年)5月19日 - 運輸省所管となる
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 文部省に再移管され、国立鳥羽商船高等学校となる
- 1960年(昭和35年)3月31日 - 練習船初代「鳥羽丸」(鋼船56.52トン)建造
- 1967年(昭和42年)6月1日 - 航海学科40名、機関学科40名、計80名の入学定員の鳥羽商船高等専門学校となる。昭和42年度入学生が高専1期生となり、鳥羽商船高校は募集停止となる
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 機関学科1学級増により学生入学定員は航海学科40名、機関学科80名、計120名となる
- 1970年(昭和45年)3月14日 - 練習船二代「鳥羽丸」(鋼船325.67トン)建造
- 1971年(昭和46年)6月1日 - 商船高校専攻科閉科に伴い、鳥羽商船高等学校閉校
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 機関学科を分離改組し、機関学科40名、電子機械工学科40名となる
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 航海学科及び機関学科を改組し、商船学科40名、制御情報工学科40名となり、本校は商船学科、電子機械工学科、制御情報工学科の3学科計120名となった
- 1991年(平成3年)4月8日 - 留学生、編入学生の受け入れを開始
- 1994年(平成6年)8月19日 - 練習船三代「鳥羽丸」(鋼船244トン)建造
- 2004年(平成16年)4月1日 - 独立行政法人国立高等専門学校機構鳥羽商船高等専門学校となる
- 2005年(平成17年)4月1日 - 専攻科設置(海事システム学専攻4名、生産システム工学専攻8名)
- 2019年(平成31年)4月1日 - 電子機械工学科及び制御情報工学科を情報機械システム工学科(定員80名)に改組し、本校は商船学科(定員40名)、情報機械システム工学科(80名)の2学科計120名となる
校長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校 | 官職 | 前職 | 後職 | 備考 |
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鳥羽商船黌 | |||||||
1 | 近藤真琴 | 1881.10 - 1886.9 | 鳥羽藩校尚志館 | 1886年9月4日逝去 | |||
2 | 近藤基樹 | 1886.8 - 1893.3 | 工部大学校 | 海軍造船中将 | |||
東海商船学校 | |||||||
3 | 山内万寿治 | 1895.10 - 1899.7 | 海軍兵学校 | 海軍中将 | 退職 | ||
町立鳥羽商船学校 | |||||||
4 | 角利助 | 1899.8 - 1905.3 | 慶応義塾 | ||||
5 | 鶴田丘一 | 1905.3 - 1913.8 | 県立初代校長 | ||||
県立鳥羽商船学校 | |||||||
6 | 正戸為太郎 | 1913.9 - 1918.8 | 海軍兵学校 | 海軍中佐 | 鹿児島商船水産学校長 | ||
7 | 北村鑅太郎 | 1918.8 - 1924.12 | 官立商船学校 | 鳥羽商船学校教頭 | 休職(病気療養)4月退職 | 元日本郵船社員 | |
8 | 金岡孫三 | 1924.12 - 1927.12 | 官立商船学校 | 富山商船学校教諭 | 富山商船学校長 | 元大阪商船社員 | |
9 | 矢野馬吉 | 1927.12 - 1939.8 | 海軍兵学校 | 海軍少将 | 呉海兵団長 | ||
官立鳥羽商船学校 | |||||||
10 | 富岡外雄 | 1939.8 - 1945.7 | 官立商船学校 | 富山商船学校長 | 大島商船学校長 | 元日本郵船 | |
11 | 大脇泰次 | 1945.7 - 1961.3 | 東京高船 | 粟島商船学校長 | 退職 | 元近海郵船船長 高校初代校長 | |
国立鳥羽商船高等学校 | |||||||
12 | 村野謙二 | 1961.4 - 1967.5 | 神戸高船 | 富山商船高校教諭 | 退職 | 元山下汽船社員 | |
国立鳥羽商船高等専門学校 | |||||||
13 | 小谷信市 | 1967.6 - 1971.3 | 神戸高船 | 神戸商船大学名誉教授 | 退職 | 元神戸商船大学長 | |
14 | 谷川栄一 | 1971.4 - 1979.4 | 北海道帝大 | 北海道大学水産学部長 | 退職 | 農学博士・理学博士 | |
15 | 山門豊文 | 1979.4 - 1984.3 | 東京高船 | 鳥羽商船高専教務主事 | 元日本郵船社員 | ||
16 | 矢島澄夫 | 1984.4 - 1989.9 | 東京商船大 | 鳥羽商船高専教授 | |||
17 | 手塚俊一 | 1989.12 - 1996.3 | |||||
18 | 飯島幸人 | 1996.4 - 2000.3 | 東京商船大 | 東京商船大学名誉教授 | |||
19 | 佐藤修臣 | 2000.4 - 2005.3 | 東京商船大学 | 東京海洋大学名誉教授 | |||
20 | 山田猛敏 | 2005.4 - 2010.3 | 東京商船大学 | 東京海洋大学名誉教授 | |||
21 | 藤田稔彦 | 2010.4 - 2015.3 | 東京大学 | 東京海洋大学名誉教授 | |||
22 | 新田保次 | 2015.4 - 2017.3 | 大阪大学 | 大阪大学名誉教授 | 鈴鹿工業高専校長を兼務、工学博士 | ||
23 | 林祐司 | 2017.4 -2021.3 | 神戸大学 | 神戸大学教授 | |||
24 | 和泉充 | 2021.4- | 筑波大学 | 東京海洋大学名誉教授 |
所在地
[編集]最寄駅
[編集]出身有名人
[編集]対外関係
[編集]- 2016年3月に「高等教育コンソーシアムみえ」を締結。
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 鳥羽商船高等専門学校
- 船員への道 ※日本船主協会主催サイト