鳥取為三郎
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鳥取 為三郎(とっとり ためさぶろう、1888年(明治21年)2月16日[1] - 没年不明)は、日本の実業家、地主[2]、香川県多額納税者[1][3]。仁尾塩田(現・仁尾興産)、讃岐煉瓦各取締役[1][4][5]。憲仁親王妃久子は孫、承子女王、千家典子、守谷絢子は曽孫にあたる。
経歴
[編集]香川県三豊郡笠田村(現・三豊市豊中町笠田笠岡)出身。地主・鳥取治郎八の男[2]。1911年、早稲田大学大学部商科(現・商学部)を卒業した[2]。家業を継承した[1]。農業を営んだ[6][7]。1936年、家督を相続した[6]。讃岐煉瓦会社、仁尾塩田会社各取締役となった[2]。
人物
[編集]貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[7]。宗教は真宗[6]。住所は香川県三豊郡笠田村笠岡[2]。
栄典
[編集]家族・親族
[編集]- 鳥取家
- 祖父・為三郎(香川平民)[9]
- 父・治郎八(1853年 - ?、農業[7]、地主、香川県多額納税者[3]、資産家)
- 母・シナ(香川士族、三好源市の長女)[9]
- 姉・マサ(1877年 - ?、香川、浪越鷹太郎の妻)[2]
- 妹・マツ(1898年 - ?、香川、森光の妻)[2]
- 妻・久壽[2]、あるいは久嘉[9](1898年 - ?、香川、岩井徳一の妹)
- 長男・綱太郎(1919年 - 2006年、四国コカ・コーラボトリング社長)
- 二男・滋治郎(1924年 - 2013年)
- 長女、二女、三女、四女[1]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』香川5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』585-586頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月26日閲覧。
- ^ a b 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』69-71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月26日閲覧。
- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第38回』下編508頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月1日閲覧。
- ^ 『日本全国諸会社役員録 第25回』下編977頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月1日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ト69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月26日閲覧。
- ^ a b c 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』74-77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月26日閲覧。
- ^ a b 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』249頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月8日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第6版』と17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第25回』商業興信所、1917年。
- 『早稲田大学校友会会員名簿 大正4年11月調』早稲田大学校友会、1915-1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第38回』商業興信所、1930年。
- 『全国貴族院多額納税者議員互選人名総覧』銀行信託通信社出版部、1932年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。
関連項目
[編集]- 塩田忠左衛門(仁尾塩田社長)