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高橋康夫 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高橋 康夫(たかはし やすお、昭和3年(1928年2月13日 - )は、日本実業家

シーコム常勤監査役[1]TBS元総務局次長[1]

全国朝日放送取締役の高橋義治の弟[2]電通顧問高橋治之イ・アイ・イグループ代表高橋治則の叔父[3]

平戸市在籍[1]

来歴

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長崎県出身。高橋猪之助・信の次男。

昭和26年(1951年法政大学経済学部経済科を卒業[1]。同年東京放送(現:TBS)に入社[1]

昭和45年(1970年)秘書部長、昭和52年(1977年)総務局次長、昭和58年(1983年)退社[1]

その後、同社関連会社ジー・アンド・シー常務、昭和62年(1987年)代表社長、平成3年(1991年)相談役に就任。

平成4年(1992年)4月、ジー・アンド・シーをT・B・Sプラザと改称し、翌年退任[1]

平成6年(1993年)シーコム常勤監査役に就任。

人物

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趣味は古美術鑑賞、園芸。宗教は曹洞宗

家族

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高橋家

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長崎県平戸市[3]東京都目黒区[4]品川区小山[3]世田谷区用賀[5]
昭和5年(1930年)3月生 -?
昭和31年(1956年)8月生[1] -
  • 長女
昭和35年(1960年)6月生[1] -
大正5年(1916年)6月生 - 昭和61年(1986年)7月没
  • 甥・治之[3](兄・義治の長男、実業家)
昭和19年(1944年)4月生[3] -
  • 甥・治則[3](兄・義治の次男、実業家)
昭和20年(1945年)10月生[3] - 平成17年(2005年)7月没
2005年7月18日死去した[6]。死因はくも膜下出血[6]。59歳だった[6]。旧東京協和・安全の2つの信用組合の乱脈融資事件で、背任の罪に問われていた[6]

親戚

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 人事興信錄』人事興信所、1995年https://books.google.com/books?id=0PBMAQAAIAAJ&newbks=0&printsec=frontcover&pg=PP2587&dq=%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%BA%B7%E5%A4%AB%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%A0&hl=ja 
  2. ^ 閨閥学 (2020年3月13日). “高橋家(電通専務・高橋治之・高橋治則の家系図)”. 閨閥学. 2022年7月31日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j 第二十一版 人事興信録 』(昭和36年)た一二六
  4. ^ 『真説 バブル』45ページ
  5. ^ 高橋朝子さん死去/高橋治之電通顧問の母
  6. ^ a b c d リゾート王・高橋治則氏の死、未完のバブル再検証

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第38版 下』人事興信所、1995年