高橋康夫 (実業家)
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高橋 康夫(たかはし やすお、昭和3年(1928年)2月13日 - )は、日本の実業家。
全国朝日放送取締役の高橋義治の弟[2]。電通顧問の高橋治之、イ・アイ・イグループ代表高橋治則の叔父[3]。
来歴
[編集]長崎県出身。高橋猪之助・信の次男。
昭和26年(1951年)法政大学経済学部経済科を卒業[1]。同年東京放送(現:TBS)に入社[1]。
昭和45年(1970年)秘書部長、昭和52年(1977年)総務局次長、昭和58年(1983年)退社[1]。
その後、同社関連会社ジー・アンド・シー常務、昭和62年(1987年)代表社長、平成3年(1991年)相談役に就任。
平成4年(1992年)4月、ジー・アンド・シーをT・B・Sプラザと改称し、翌年退任[1]。
平成6年(1993年)シーコム常勤監査役に就任。
人物
[編集]家族
[編集]高橋家
[編集]→詳細は「高橋治則 § 家族・親族」を参照
- 昭和5年(1930年)3月生 -?
- 長男[1]
- 長女
- 昭和20年(1945年)10月生[3] - 平成17年(2005年)7月没
- 2005年7月18日死去した[6]。死因はくも膜下出血[6]。59歳だった[6]。旧東京協和・安全の2つの信用組合の乱脈融資事件で、背任の罪に問われていた[6]。
親戚
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信錄』人事興信所、1995年 。
- ^ 閨閥学 (2020年3月13日). “高橋家(電通専務・高橋治之・高橋治則の家系図)”. 閨閥学. 2022年7月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『第二十一版 人事興信録 下』(昭和36年)た一二六
- ^ 『真説 バブル』45ページ
- ^ 高橋朝子さん死去/高橋治之電通顧問の母
- ^ a b c d リゾート王・高橋治則氏の死、未完のバブル再検証
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第38版 下』人事興信所、1995年