高橋典
たかはし ただし 高橋 典 | |||||
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生年月日 | 1928年 | ||||
没年月日 | 1984年4月 | ||||
職業 | 映画監督、CMディレクター | ||||
ジャンル | 劇映画、テレビコマーシャル | ||||
主な作品 | |||||
劇場用映画 『トップ屋を殺せ』 コマーシャルフィルム 『雨と子犬』 | |||||
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高橋 典(たかはし ただし[1]、1928年 - 1984年4月)は、日本の映画監督、CMディレクターである[2][3][4][5][6][7]。日本映画監督協会会員で[2]、後に同物故会員[1]。コマーシャルフィルムの代表作は『雨と子犬』(1981年)[8]。細かいカットで構成する作風から「カットの典」と呼ばれた。
人物・来歴
[編集]1928年(昭和3年)に生まれる。
第二次世界大戦後、日本大学藝術学部に進学、同学卒業後は、フリーランスの助監督として、おもに東宝、新東宝で活動する。1958年(昭和33年)には、石原慎太郎が原作・脚本を書き、監督を手がけた『若い獣』(同年7月12日公開)で石原の助監督を務め、1960年(昭和35年)9月8日に公開された『トップ屋を殺せ』(製作富士映画、配給新東宝)では、石原の脚本を得て、監督としてデビューしている[4][5][6][7]。1961年(昭和36年)8月31日、新東宝は倒産、大蔵貢が富士映画を改組して大蔵映画を設立した後、大蔵が製作、1962年(昭和37年)4月7日に公開した『太平洋戦争と姫ゆり部隊』(監督小森白)では、小森のもとでチーフ助監督を務めている[3]。新東宝の興行部門が独立した新東宝興業(現在の新東宝映画)が製作、1963年(昭和38年)6月22日に公開した長篇記録映画『日本残酷物語』では、石川甫・大山勝美と共同で構成を担当、中川信夫・小森白と共同で監督を務めている[3][4][5][6][7][9]。同作は、日本各地の奇習や風俗を取材したものであった[9]。
その後はCMディレクターに転向、とりわけ、同じく映画界から転向した撮影技師の池田傳一とのタッグは「典傳コンビ」と呼ばれた[10]。1977年(昭和52年)に発表したデンカ・ハードロックのコマーシャルフィルム『空中ダンプ』ではACC賞を受賞し、現在ではCM殿堂入りしている[11]。1981年(昭和56年)に発表したサントリー・トリスのコマーシャルフィルム『雨と子犬』では、撮影技師に宮川一夫、照明技師に佐野武治といった名匠とともに演出を手がけ、カンヌ国際広告映画祭金賞、ACCグランプリ、ADC賞、TCC特別賞を受賞した[8]。コマーシャルフィルムの歴史においては、映画界から来た演出家として、市川崑・大林宣彦とならぶ評価を受けている[12]。
1984年(昭和59年)4月、死去した[2]。
フィルモグラフィ
[編集]映画
[編集]監督・構成・助監督等のクレジットについては、公開年月日の右側に付した[3][4][5][6][7]。国立映画アーカイブなどの所蔵状況についても記す[3]。
- 『若い獣』 : 監督・原作・脚本石原慎太郎、製作・配給東宝、1958年7月12日公開 - 助監督
- 『私は貝になりたい』 : 監督・脚本橋本忍、製作・配給東宝、1959年4月12日公開 - 助監督
- 『トップ屋を殺せ』 : 脚本石原慎太郎、製作富士映画、配給新東宝、1960年9月8日公開 - 監督(デビュー作)
- 『太平洋戦争と姫ゆり部隊』 : 監督小森白、製作・配給大蔵映画、1962年4月7日公開 - 助監督、133分の上映用プリントをNFC所蔵[3]
- 『日本残酷物語』 : 製作・配給新東宝興業、長篇記録映画、1963年6月22日公開 - 石川甫・大山勝美と共同で構成/中川信夫・小森白と共同で監督、100分の上映用プリントをNFC所蔵[3]
- 『はだかの王様』 : 脚色寺山修司、製作日生劇場映画部、1965年発表 - 監督
コマーシャルフィルム
[編集]おもな演出の一覧である。
- 『王貞治 スライディング』、大正製薬・リポビタンD、1965年
- 『空中ダンプ』、デンカ・ハードロック、1977年
- 『雨と子犬』、サントリー・トリス、撮影宮川一夫、1981年
- 『わんぱくでもいい たくましく育ってほしい』、丸大ハム
脚注
[編集]- ^ a b Directors Guild of Japan (n.d.). “高橋 典 日本映画監督協会 会員情報”. 日本映画監督協会. 2021年12月16日閲覧。
- ^ a b c 柿田[1992], p.198, 233.
- ^ a b c d e f g 高橋典、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年5月12日閲覧。
- ^ a b c d 高橋典、日本映画情報システム、文化庁、2014年5月12日閲覧。
- ^ a b c d 高橋典、日本映画データベース、2014年5月12日閲覧。
- ^ a b c d 高橋典、KINENOTE, 2014年5月12日閲覧。
- ^ a b c d 高橋典、allcinema, 2014年5月12日閲覧。
- ^ a b 『映像の先駆者125人の肖像』志賀信夫、岡田芳郎、吉田秀雄記念事業財団、2014年5月12日閲覧。
- ^ a b 田中[1976], p.359.
- ^ 佐藤[2007], p.332.
- ^ もう一度観たい 日本のCM50年、avex io, 2014年5月12日閲覧。
- ^ 映像をめぐる7夜、東京都写真美術館、2014年5月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本映画発達史 V 映像時代の到来』、田中純一郎、中公文庫、1976年7月10日 ISBN 4122003520
- 『日本映画監督全集』、『キネマ旬報』第698号、キネマ旬報社、1976年12月24日発行
- 『日本映画監督協会の五〇年』、柿田清二、日本映画監督協会、1992年
- 『日本の映画人 - 日本映画の創造者たち』、佐藤忠男、日外アソシエーツ、2007年6月 ISBN 4816920358
外部リンク
[編集]- Ten Takahashi - IMDb
- 高橋典 - 日本映画情報システム (文化庁)
- 高橋典 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 高橋典 - 日本映画データベース
- 高橋典 - KINENOTE
- 高橋典 - allcinema