高松琴平電気鉄道1010形電車
高松琴平電気鉄道1010形電車(たかまつことひらでんきてつどう1010がたでんしゃ)は、高松琴平電気鉄道に在籍した電車である。
1960年(昭和35年)製。制御電動客車の1011と制御客車の1012からなる2両編成1本の2両が琴平線に在籍したが、2003年(平成15年)に廃車された。
2023年時点では琴電で最後に作られた自社発注車であるが、2025年に本形式以来65年振りとなる自社発注車による新型車両(形式未定)の導入が計画されている。
車輌来歴
[編集]1955年、帝國車輛工業で車体のみを製造した。高張力鋼を採用した軽量車体で、前面は2枚窓の湘南顔タイプ、側面の窓はいわゆるバス窓で、窓配置はd1D7D1だった。
電装品の手配も済ませてあったが、その直後に設計担当者が変わり艤装は中止。車体はしばらく仏生山工場で保管されていた。その後、カルダン駆動化など計画は紆余曲折したが、結局、1960年にようやく電気品を取り付けて竣工した。
台車は1011がTR14形、1012がTR11形で、いずれも鉄道省制式客車・電車に使用された、球山形鋼を側枠に使用する釣り合い梁式台車である。ただし、各車共にブレーキが台車シリンダー方式とされ、主電動機を搭載する1011は側枠中央上部に、車輪間に空きスペースのある1012は台車内部に、それぞれブレーキシリンダーを取り付け、1011は両抱き式、1012は片押し式のブレーキワークが構成されていた。
1011に搭載された主電動機は国鉄払い下げのMT7で、TR14とセットで払い下げられたと推測されている。このMT7はモハ10系電車用として電機メーカー各社が競作した100kW級吊り掛け式電動機の1つ[1]であった。ただし、これらの定格出力で用いられる端子電圧の相違[2]を考慮すると実効出力は約111kWとなり、急行用として先行した、10000形が搭載したHS-355[3]とほぼ同格であったことがわかる。
制御器は10000形に準じて日立製作所製MMC(超多段自動加速式)を採用したため、HL制御などの在来車との併結はできず、また主電動機特性の相違からか、10000形との併結もできなかった。
車内はクロスシートを備え、「こんぴら2号」の愛称で急行用として使用された。
その後、旅客需要の変化から急行運用は廃止された。しかし、他車と連結ができない当形式は運用が縮小されていた。そのため、1979年(昭和54年)に以下の改造工事を受ける。
- 前面を貫通式に改造。前照灯を2灯シールドビーム化。
- 車内をセミクロスシートからロングシートに改装。
- 台車・主電動機を京急230形の発生品である汽車製造2HEおよび三菱電機MB-115AF[4]に変更。
- 制御機をHL制御、電磁SMEブレーキに改造。これにより他形式との併結が可能になった。
1983年、1011の台車を住友金属FS-522、主電動機を三菱電機MB-3239A[5]に交換して平行カルダン駆動化された(1012はFS-022に交換)。なお、制御器、制動装置は手を加えられていない。
1080形入線以降は、非冷房のため朝のラッシュ時を中心とした運用になる。そして2003年、冷房化推進のため1200形1201 - 1206が入線。これに伴い、同年3月16日の5000形と組んださよなら運転の後運用を離脱、廃車となった。さよなら運転に際しては「こんぴら急行」のヘッドマークが再現された。
廃車後は、直ちに解体されている。
脚注
[編集]- ^ 製造メーカーである日立製作所としての形式はRM-257、端子電圧675V時定格出力100kW/635rpm。
- ^ 鉄道省時代には変電所から1500Vで給電しても途中で電圧降下が発生することを考慮して、実効架線電圧を1350Vとして設計していた。このため、当時の主電動機出力を比較する場合には、各モーターの端子電圧の確認が必須である。
- ^ 端子電圧750V時定格出力112kW/1,050rpm。
- ^ 端子電圧750V時定格出力93.3kW/900rpm。
- ^ 端子電圧340V時定格出力110kW。
参考資料
[編集]- 真鍋裕司「1960年代の琴電のスターたち」、車両研究 鉄道ピクトリアル臨時増刊号、電気車研究会、2003年12月