コンテンツにスキップ

騎馬武者像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
騎馬武者像(重要文化財、京都国立博物館所蔵)

騎馬武者像(きばむしゃぞう)は、南北朝時代に制作された、抜き身の大太刀を肩に担いで黒毛馬に騎乗する武者肖像画である。従来、室町幕府初代将軍である足利尊氏の肖像画とされてきたが、議論がある。現在は京都国立博物館が所蔵しているが、京都守屋家の旧蔵だったことから、現在でも他の尊氏像と区別する必要もあって「守屋家本」とも呼ばれる。

来歴

[編集]

本像は、江戸時代1749年寛延2年)に西川祐信の『絵本武者備考』で騎馬武者像と足利尊氏の詞書として紹介され、1800年寛政12年)に松平定信編纂の『集古十種』で、尊氏の肖像として紹介された。その後、1920年大正9年)に歴史学者の黒板勝美が論文の中で改めて尊氏像という説を発表したことで定着し、1935年昭和10年)には国宝保存法に基づく国宝(文化財保護法施行後は重要文化財)に指定された[1]。しかし、1937年(昭和12年)に美術史家の谷信一が早くもこの説に疑問を呈しており、1968年(昭和43年)にも、古文書学者の荻野三七彦が尊氏像説を否定する論考を発表している。それらの論拠とは、主に以下のようなものであるが、戦後、レントゲン撮影など科学的調査の発達や新たな記録の発見により、足利尊氏像であるとする説も浮上している。

こうした議論の動きに決着がつかないことから、2000年代頃から学校の歴史教科書では尊氏像として掲載されなくなり、「騎馬武者像」として掲載されるにとどまっている[2]

議論の争点

[編集]

足利義詮の花押

[編集]
否定説

画像上部に書かれた花押は、2代将軍義詮のものである。父の画像の上に子が自らの名を記すのは、即ち親を下に見ていることになり、当時の慣習からして極めて無礼な行為となるため、有り得ない。

肯定説

室町家御案内書案下』に「将又等持院様軍陣御影 幅青地錦御直垂浅黄糸御鎧廿四さしたる御矢重藤御弓大クワカタ打タル御甲、栗毛なる御馬ニ(略)御影ノ上ニホウケウ院様御判居之」との記録があり、等持院の肖像画の上に宝筐院(義詮)の花押が記されていたことが分かっている。

像主の武装

[編集]
否定説

出陣時の整った姿ではなく、兜のない髻の解けたざんばら髪の頭、折れた矢、抜き身の状態の刀など、征夷大将軍という武将として最高位の人物を描いたにしては、あまりにも荒々しすぎる。

肯定説

『梅松論』における多々良浜の戦いに臨む尊氏の出で立ちが本像に近く、京都に凱旋した尊氏がこの時の姿を画工に描かせたという記録が残る[4]ことから、やはり尊氏像で正しいとする意見もある[5]。『太平記』によると、尊氏は後醍醐天皇へ叛旗を翻す直前に、寺に籠もって元結を切り落としたといい、「騎馬武者像」の「一束切」のざんばら髪は、その後翻意して挙兵した際の姿を髣髴とさせるものではあり、その点をもって尊氏像と見なされてきたと考えられている。『太平記』では挙兵の際に味方の武士たちがみな尊氏にならって元結を切り落とした逸話も伝えている。

太刀や馬具の紋

[編集]
否定説

太刀や馬具に描かれている輪違の紋が、足利家ではなく高家の家紋であり、像主は高師直[6][7]、もしくは子の師詮[8]師冬である。

肯定説

戦後、肖像画のレントゲン撮影による科学的な研究がされ、輪違紋と見られる箇所が江戸時代の補修で新たに描き加えられたものと判明した。また、高家の紋と推定された輪違紋(七宝)は、江戸時代の高階家の紋を参考にしたもので、『太平記』に記された輪違紋は「寄懸り輪違」となっている。南北朝時代に馬具に家紋を施した例はなく、また家紋とするには鎧の精密さと比べて描画の丁寧さに欠ける点からも、単に擦れた箇所を補っただけのことと考えるほうが自然である。

脚注

[編集]
  1. ^ 『官報』文部省告示第172号、昭和10年4月30日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、2024年7月8日閲覧。
  2. ^ 見慣れた肖像画は別人?「足利尊氏像」→「騎馬武者像」 源頼朝像の真偽も… - 産経新聞WEST、2013年3月27日
  3. ^ 『雪樵独唱集』収録
  4. ^ 武田左京亮文秀像に寄せた蘭坡景茝の賛文[3]
  5. ^ 宮島新一『肖像画』吉川弘文館、1994年、pp.235-240、ISBN 4-642-06601-2。同『肖像画の視線』吉川弘文館、2010年、pp.29-35、ISBN 978-4-642-06360-9
  6. ^ 藤本正行『鎧をまとう人びと』吉川弘文館、2000年、164-189頁。ISBN 978-4-642-07762-0 
  7. ^ 下坂守「守屋家本騎馬武者像の像主について」(PDF)『京都国立博物館学叢』第4号、京都国立博物館、1982年3月31日、43-63頁。 
  8. ^ 黒田日出男 『肖像画を読む』角川書店、1998年。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]