コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

養老町立養北小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
養老町立養北小学校
地図北緯35度19分25秒 東経136度34分17秒 / 北緯35.32355度 東経136.5715度 / 35.32355; 136.5715座標: 北緯35度19分25秒 東経136度34分17秒 / 北緯35.32355度 東経136.5715度 / 35.32355; 136.5715
国公私立の別 公立学校
設置者 養老町
設立年月日 1873年[注釈 1]
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B121234100068 ウィキデータを編集
所在地 503-1304
岐阜県養老郡養老町大字飯田字南丸内265
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

養老町立養北小学校(ようろうちょうりつ ようほくしょうがっこう)は、岐阜県養老郡養老町にある公立小学校

通学区域

[編集]
  • 通学区域は飯田、蛇持、江月、祖父江、大坪、直江の一部、飯積、金屋の一部であり、公立中学校の進学先は養老町立高田中学校である[1]

沿革

[編集]

養北小HPの沿革では、「1970年に小畑小と多芸小が合併し、養北小と称する」となっているが、養老町史通史編下(養老町 1982年)P.78では、「小畑小は1969年に多芸小を統合し、翌1970年に養北小に改称。」となっている。ここでは養老町史の記載内容を参考として記述する。

  • 1873年(明治6年) -
  • 1873年(明治9年) - 日新義校から大塚村、安久村、高畑村が離脱し、文開学校[注釈 3]を開校する。
  • 1885年(明治18年)11月 - 敬業学校、敬業支校、日新義校、致遠学校が合併し、謙益学校[注釈 4]となる。飯田村に飯田分教場、祖父江に祖父江分教場、江月村に江月分教場を設置。
  • 1886年(明治19年)12月 - 飯田分教場が飯田尋常小学校、祖父江分教場が祖父江簡易科小学校、江月分教場が江月簡易科小学校として独立する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 蛇持村、飯田村、祖父江村、江月村、大坪村が合併し、小畑村が発足。
  • 1893年(明治26年) - 飯田尋常小学校が祖父江簡易科小学校、江月簡易科小学校を統合し、小畑尋常小学校となる。校区は小畑村全域と多芸村から委託された地域(飯積・多岐・金屋)となる。
  • 1906年(明治39年) - 農業補習学校を併設する。
  • 1913年(大正2年) - 現在地に新築移転。
  • 1914年(大正3年) - 多芸村の直江地区の児童を委託する。
  • 1921年(大正10年)4月 - 多芸村に多芸尋常小学校が開校したことにより、多芸村の児童の委託を解消。
  • 1941年(昭和16年) - 小畑国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年) - 小畑村立小畑小学校に改称する。
  • 1954年(昭和29年)11月3日 - 高田町養老村上多度村広幡村池辺村笠郷村、小畑村、多芸村、日吉村合原村の一部と合併し、養老町が発足。同時に養老町立小畑小学校に改称する。
  • 1957年(昭和32年)2月5日 - 新校舎(南舎・鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 1958年(昭和33年)4月26日 - 新校舎(北舎・鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 1969年(昭和44年)4月1日 - 多芸小学校を統合。金屋、直江、飯積の児童が転入する。
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月2日 - 屋内運動場が完成。
    • 4月1日 - 養老町立養北小学校に改称する。
  • 1978年(昭和53年) - 校舎を増築する。
  • 1983年(昭和58年) - 校舎を増築する。
  • 2013年(平成25年) - 現在の体育館が完成する。

注釈

[編集]
  1. ^ 養北小学校に改称は1970年。
  2. ^ 大墳村ともいう。
  3. ^ 養老町立多芸小学校の前身。1901年廃校。
  4. ^ 現・養老町立日吉小学校

脚注

[編集]
  1. ^ 養老町立小・中学校通学区域

参考文献

[編集]
  • 養老町史 通史編 上 (養老町 1982年) P.803 - 892
  • 養老町史 通史編 下 (養老町 1982年) P.76 - 79

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]