須藤嘉吉
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須藤 嘉吉(すどう かきち、1858年5月27日(安政5年4月15日[1])- 1925年(大正14年)12月11日[2][注釈 1])は、明治から大正期の農業経営者・実業家・政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]上野国碓氷郡嶺村[3](群馬県[2]碓氷郡嶺村、原市町[4][5][6]大字嶺村[7]、安中町を経て現安中市嶺)で、名主、養蚕・蚕種農家、須藤仲造、たに の長男として生まれた[1][3]。安中藩士・池田豊與知重に師事して漢籍を修めた[2][7]。1889年(明治22年)東京法学院(英吉利法律学校後身、現中央大学)の在外生として法律学を研究した[3][7]。同年9月、家督を相続[1]。農業、製糸業を営んだ[2]。
嶺村副戸長、碓氷郡書記、群馬県収税属を歴任[3][6][7]。原市町会議員を務め[7]、1892年(明治25年)3月、群馬県会議員に選出され連続4期在任し、同常置委員、同副議長、同参事会員も務めた[1][2][3][4][5][6]。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、無所属)で初当選[6][8]。以後、第12回総選挙まで4回再選され、衆議院議員に通算5期在任した[2][5]。この間、憲政会群馬県支部の設立に尽力し、同支部長に就任した[3][6]。
また、群馬県の産業振興にも尽力し、中碓氷製糸社取締役、精糸碓氷社取締役、群馬県農工銀行取締役などを務め[1][2][3][4][5][6][7]、生糸の改良に貢献した[4]。
国政選挙歴
[編集]- 第7回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1902年8月、無所属)当選[8]
- 第8回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1903年3月、無所属)次点落選[8]
- 第9回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1904年3月、無所属)当選[8]
- 第10回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1908年5月、大同倶楽部)当選[9]
- 第11回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1912年5月、中央倶楽部)当選[9]
- 第12回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1915年3月、立憲同志会)当選[9]
- 第13回衆議院議員総選挙(群馬県郡部、1917年4月、憲政会)次点落選[10]
- 第15回衆議院議員総選挙(群馬県第4区、1924年5月、憲政会公認)次点落選[11]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』230頁では12月14日。
出典
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』す1頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』324頁。
- ^ a b c d e f g 『群馬県人名大事典』283頁。
- ^ a b c d 「須藤喜吉」『現代日本の政治家』同志会362-363頁。
- ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』230頁。
- ^ a b c d e f 『群馬新百科事典』438頁。
- ^ a b c d e f 『上毛近世百傑伝 上』376-379頁。
- ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』10頁。
- ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』50頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』86頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第15回』11頁。