青菅
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青菅 | |
---|---|
北緯35度44分50.1秒 東経140度9分15.2秒 / 北緯35.747250度 東経140.154222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 佐倉市 |
地区 | 志津地区 |
標高 | 16 m |
人口 | |
• 合計 | 297人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
285-0852[2] |
市外局番 | 043[3] |
ナンバープレート | 千葉 |
※座標・標高は青菅会館付近 |
青菅(あおすげ)は、千葉県佐倉市の大字。郵便番号285-0852[2]。
地理
[編集]北は先崎、東は小竹、ユーカリが丘、南東は井野、南は宮ノ台、西ユーカリが丘、南西は井野、西は八千代市上高野、北西は八千代市下高野に隣接している。
飛び地があり、宮ノ台に隣接している。
小字
[編集]小字は以下の通り[4]。
- 稲荷(いなり)
- 陣屋口(じんやぐち)
- 郷口(ごうぐち)
- 東台(ひがしだい)
- 上の山(かみのやま)
- 栗代台(くししろだい)
- 大塚(おおつか)
- 内野(うちの)
- 西の山(にしのやま)
- 根崎(ねざき)
- 大和田(おおわだ)
- 前野(まえの)
- 門原(もんばら)
- 新山(しんやま)
- 木の宮(きのみや)
- 大割(おわり)
- 木の宮(きのみや)
- 新林(しんばやし)
- 広野(ひろの)
- 下の崎(したのさき)
- 東前田(ひがしまえだ)
歴史
[編集]江戸期は青菅村であり、下総国印旛郡のうち。なお、元禄11年までは葛飾郡のうちと把握された。慶長11年から旗本川口氏領、元禄11年から佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」141石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに151石余。元禄14年差出しによれば、反別田14町余・畑屋敷4町余、家数26、馬29。延享3年明細帳によれば、村内に御林(藩有林)が8か所あった。天保8年の免状によれば、取米は58石余。安政4年「領分村高帳」によれば、小物成として夫役永425文余・野銭永1貫60文・山銭鐚4貫738文が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。明治6年千葉県に所属。神社は稲荷神社、寺院は真言宗正福寺・浄土宗称念寺(印旛郡誌)。明治22年志津村の大字となる[5]。
年表
[編集]世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
青菅 | 170世帯 | 297人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 佐倉市立青菅小学校[6] | 佐倉市立井野中学校[7] |
施設
[編集]- 青菅会館
- 称念寺
- 正福寺
脚注
[編集]- ^ a b “町丁別人口目次”. 佐倉市 (2017年11月1日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月22日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1397頁
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 54頁
- ^ 佐倉市内小学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-03-23閲覧。
- ^ 佐倉市内中学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2014-03-23閲覧。
八千代市下高野 | 先崎 | |||
八千代市上高野 | 小竹 ユーカリが丘 | |||
青菅 | ||||
井野 | 西ユーカリが丘、宮ノ台 | 井野 |
宮ノ台 | ||||
宮ノ台 | 宮ノ台 | |||
青菅(飛び地) | ||||
宮ノ台 |