土浮 (佐倉市)
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土浮 | |
---|---|
北緯35度45分19.7秒 東経140度12分42.4秒 / 北緯35.755472度 東経140.211778度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 佐倉市 |
地区 | 佐倉地区 |
標高 | 26 m |
人口 | |
• 合計 | 149人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
285-0001[2] |
市外局番 | 043[3] |
ナンバープレート | 千葉 |
※座標・標高は土浮区民館付近 |
土浮(つちうき)は、千葉県佐倉市の大字。郵便番号285-0001[2]。
地理
[編集]北は土浮干拓、北東は萩山新田干拓、東は萩山新田、南は飯野、南西は萩山新田、飯野町、西は飯野干拓に隣接している。
歴史
[編集]江戸期は土浮村であり、下総国印旛郡のうち。佐倉藩領。村高は「元禄郷帳」213石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに229石余。なお、慶長9年の高207石余、反別田7町3反余・畑7町2反余(佐倉市史2)。享保8年指出帳によれば、反別田14町歩余・畑7町、屋敷5反余、ほかに郷林5町歩、川鳥殺生の運上として鴨を上納。安政4年「領分村高帳」によれば、小物成として林下苅金1両1分・茶園栗代160文。山銭鐚9貫342文が見える(旧佐野家文書/千葉市史史料編2)。なお、印旛沼の舟渡場があったため夫役永などは免除。土浮村~瀬戸村間の渡しは、川幅680間、増水でも舟が止まらず、馬渡舟・小伝馬船核1艘があった。明治5年の渡賃は人1人200文・駄荷1駄500文・馬1疋馬士共500文(佐倉市史2)。佐倉藩の刑罰における領分追放では、土浮~瀬戸間の大川岸を渡り、角田村境まで送り見届けた(堀田藩御仕置)。明治6年千葉県に所属。神社は猿田彦神社など、寺院は真言宗正福寺(印旛郡誌)。明治22年内郷村の大字となる[4]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行し大佐倉村、岩名村、飯野村、飯野町、土浮村、山崎村、下根村、下根町、萩山新田、飯田村が合併し印旛郡内郷村が発足。
- 内郷村大字土浮となる。
- 1937年(昭和12年)2月11日 - 佐倉町・内郷村が合併し、佐倉町が発足。
- 佐倉町大字土浮となる。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 佐倉町・臼井町・弥富村・志津村・根郷村・和田村が合併し、佐倉市が発足。
- 佐倉市土浮となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
土浮 | 63世帯 | 149人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
地域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 佐倉市立内郷小学校[5] | 佐倉市立佐倉中学校[6] |
施設
[編集]- 土浮区民館
- 佐倉市民の森
- 正福寺
- 猿田彦神社
脚注
[編集]- ^ a b “町丁別人口目次”. 佐倉市 (2017年11月1日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月22日閲覧。
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 562頁
- ^ 佐倉市内小学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2013-12-15閲覧。
- ^ 佐倉市内中学校通学区域 - 千葉県佐倉市公式ウェブサイト、2013-12-15閲覧。
土浮干拓 | 萩山新田干拓 | |||
飯野干拓 | 萩山新田 | |||
土浮 | ||||
萩山新田、飯野町 | 飯野 |