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青木 栄五郎(あおき えいごろう、弘化2年(1845年) - 明治39年(1906年))は、幕末から明治時代にかけての陶芸家[1]。号は東郊、栄亭[1][2]。別名は源右衛門[1]。同じく陶芸家の粟生屋源右衛門の子[1][2]。
加賀国の人物[1][2]。父の様式を学び、楽焼を能くした[1][2]。文久2年(1862年)加賀金沢藩主の前田斉泰に招かれ、同国能美郡小松から金沢に移る[1]。養嗣子の中村二三郎は中村と姓し東洸と号し、京都で陶業に従事した[2]。