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粟生屋源右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

粟生屋 源右衛門(あおや げんえもん、寛政元年?(1789年) - 安政5年?(1858年[注釈 1])は、江戸時代後期の九谷焼陶工[1][2]。父は源兵衛で東郊と号した楽焼の名工[2]。子に同じく陶工の青木栄五郎がいる[3]。号は父と同じく東郊[1][2][4]

経歴・人物

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加賀国小松の人物[2]。加賀能美郡若杉村の若杉窯の本多貞吉のもとで学び、父の死後、文政5年(1822年)小松の材木町で開窯[1][2]。若杉窯では主工を務める[2]。その後文政7年(1824年)に本多貞吉の養子清兵衛らと共に吉田屋窯を開窯、主工を務める[2]。更に蓮代寺窯、小野窯、松山窯などでも指導に当たり再興九谷焼の発展に尽力した[2]。楽焼系の軟陶を能くし、白土を化粧掛けした上に上絵で彩色した木工品のような硯箱、箪笥、机などの作品がある[1][2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 生没年に関しては生年に寛政3年、4年、没年に文久3年と諸説ある[1][2]が本項では『日本人名大辞典』[1]の生没年に従った。

出典

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  1. ^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『粟生屋源右衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『粟生屋源右衛門』 - コトバンク
  3. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『青木栄五郎』 - コトバンク
  4. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 7頁。