粟生屋源右衛門
表示
粟生屋 源右衛門(あおや げんえもん、寛政元年?(1789年) - 安政5年?(1858年)[注釈 1])は、江戸時代後期の九谷焼の陶工[1][2]。父は源兵衛で東郊と号した楽焼の名工[2]。子に同じく陶工の青木栄五郎がいる[3]。号は父と同じく東郊[1][2][4]。
経歴・人物
[編集]加賀国小松の人物[2]。加賀能美郡若杉村の若杉窯の本多貞吉のもとで学び、父の死後、文政5年(1822年)小松の材木町で開窯[1][2]。若杉窯では主工を務める[2]。その後文政7年(1824年)に本多貞吉の養子清兵衛らと共に吉田屋窯を開窯、主工を務める[2]。更に蓮代寺窯、小野窯、松山窯などでも指導に当たり再興九谷焼の発展に尽力した[2]。楽焼系の軟陶を能くし、白土を化粧掛けした上に上絵で彩色した木工品のような硯箱、箪笥、机などの作品がある[1][2]。