霊仙寺跡
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霊仙寺 | |
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乙護法堂 | |
所在地 | 佐賀県吉野ヶ里町松隈 |
位置 | 北緯33度23分21.807秒 東経130度24分14.842秒 / 北緯33.38939083度 東経130.40412278度座標: 北緯33度23分21.807秒 東経130度24分14.842秒 / 北緯33.38939083度 東経130.40412278度 |
山号 | 脊振山 |
宗派 | 天台宗密教派(中世) |
創建年 | 和銅年間 |
開基 | 湛誉上人 |
別称 | 脊振山中宮霊仙寺 |
文化財 | 吉野ヶ里町文化財 |
霊仙寺跡は、佐賀県吉野ヶ里町松隈にある、8世紀初頭の和銅年間から江戸時代にかけて存在した寺院の遺跡。
山岳仏教の修験場として脊振山系千石山の中腹に開山した。中世期(平安 - 鎌倉時代)は付近一体の山地に広まり、一部は肥前国のみならず北方の筑前国側脇山地区[1]にも及ぶほど栄えた。脊振千坊と呼ばれた。
建久2年 (1191年) には臨済宗の開祖、栄西が中国より茶の種を持ち帰り、日本で最初にこの地で栽培したため、日本の茶の栽培の発祥地とされている。
以降、寺院と共に茶園の栽培も盛んになるが、中世に戦国時代の混乱で荒廃し半ば遺棄される。江戸年間には、水上坊の僧仁周が鍋島家の支援を受け再興した。明治維新の廃藩置県により鍋島家の支援が絶たれ、廃絶した。唯一現存する乙護法堂の下などに現存する茶園は、江戸期に経営していた茶園の名残である。
なお、吉野ヶ里町の特産の一つに栄西茶があり、これは開祖栄西の名を頂いたものである。
蹟物
[編集]- 乙護法堂 - 嘉永年間に建立され、唯一現存する。
- 水上坊跡 - 戦国時代 - 江戸時代の中心的坊
- 石上坊跡
その他多数