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雷電神社 (伊勢崎市境伊与久)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
雷電神社
所在地 群馬県伊勢崎市境伊与久3581
位置 北緯36度18分23秒 東経139度14分6秒 / 北緯36.30639度 東経139.23500度 / 36.30639; 139.23500 (雷電神社 (伊勢崎市境伊与久))座標: 北緯36度18分23秒 東経139度14分6秒 / 北緯36.30639度 東経139.23500度 / 36.30639; 139.23500 (雷電神社 (伊勢崎市境伊与久))
主祭神 大雷命
社格 郷社
創建 建保3年(1215年
別名 雷電様
例祭 3月25日
地図
雷電神社の位置(群馬県内)
雷電神社
雷電神社
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雷電神社(らいでんじんじゃ)は、群馬県伊勢崎市境伊与久にある神社。主祭神は大雷命[1]。『上野国神明帳』の上野国佐位郡「於神明神」の論社。旧社格は郷社[2]

由緒

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建保3年(1215年)、赤石城主・三浦之介義澄が山城国加茂大明神より勧請したとされる。元弘3年(1333年)、新田義貞が鎌倉追討の際に社殿を修理し、戦勝祈願を行った。永禄3年(1560年)、赤石左衛門尉・又次郎が祭供料と神領を寄進した[1]

『上野国神名帳』佐位郡には「従五位 於神明神」が見え、当社がそれにあたる可能性があるものの、尾崎喜左雄は大雷神社(伊勢崎市西久保)をあてている[3]

天正元年(1573年)1月25日、雷が境内の神木に落ち、村の修験者須田峯の坊が神木に隠されていた1寸8分の黄金像を見つけた。新田義貞の弟・脇屋義助の末裔、伊与久弾正正久が、この像を守護神と崇め、悪役災難を救済し、雷鳴の恐れがなくなったと言われた[1]

江戸時代に入ると、領主酒井家の崇敬が篤かった。寛永14年(1637年)に前橋潘主酒井忠行延宝9年(1681年)に伊勢崎藩主酒井忠寛明和4年(1767年)に伊勢崎藩主・酒井忠温が社殿を修理した[1]

社格

合祀神社

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本殿

明治40年(1907年)12月5日、当社境内社や周辺の神社とその境内社を合祀[1]

  • (境内社)衣笠神社、菅原神社、八幡神社、秋葉神社
  • 字西馬場 飯福神社
    • (境内社)神明神社、熊野神社、八幡神社、琴平神社、阿夫利神社、八坂神社、秋葉神社
  • 字館野 稲荷神社
    • (境内社)水神社、三峯神社、八幡神社、天神社、疱瘡神社
  • 字左谷戸 諏訪神社
    • (境内社)秋葉神社、琴平神社
  • 字駒形 稲荷神社
    • (境内社)菅原神社、疱瘡神社
  • 字芝崎 飯福神社
  • 字若宮 稲荷神社

行事

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  • 1月25日 新年祭
  • 2月25日 祈年祭
  • 3月25日 例大祭
  • 7月25日 夏祭り
  • 10月25日 秋季例祭

[1][4]

雷電神社古墳

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雷電神社の社殿は、直径28メートルの円墳、雷電神社古墳の墳丘上に位置する。6世紀末から7世紀初頭の築造で、横穴式石室を有する。伊勢崎市指定史跡[5]

周辺

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 群馬県神職会佐波郡支部 1924, pp. 63–66.
  2. ^ a b 「雷電神社昇格」『上毛及上毛人』第157号、上毛郷土史研究会、1930年5月1日、64頁、doi:10.11501/3567347 (要登録)
  3. ^ 尾崎, 喜左雄『上野国神名帳の研究』尾崎先生著書刊行会、1974年12月10日、342-343頁。doi:10.11501/12266236 (要登録)
  4. ^ 年中行事”. 郷社 伊与久雷電神社|群馬県伊勢崎市境伊与久. 2024年8月22日閲覧。
  5. ^ 雷電神社古墳|伊勢崎市”. www.city.isesaki.lg.jp. 2024年8月22日閲覧。

参考文献

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  • 群馬県神職会佐波郡支部『佐波郡神社誌』群馬県神職会佐波郡支部、1924年12月10日。doi:10.11501/909821 

外部リンク

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