陸軍兵器学校
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陸軍兵器学校(りくぐんへいきがっこう)とは、現在の神奈川県相模原市中央区にあった日本陸軍の教育機関のひとつである。1941年(昭和16年)に陸軍科学学校に改組された陸軍砲工学校とは別の学校である。
沿革
[編集]明治5年(1872年)、フランス陸軍のジョルジュ・ルボン(Félix Frédérique Georges Lebon)大尉が東京都の小石川(旧水戸藩邸)で、伝諸工集所が開設された。1885年(明治18年)、砲兵工廠生徒学舎が設置され、1896年(明治29年)4月7日、陸軍砲兵工科学校となった[1]。さらに、1920年(大正9年)8月、陸軍工科学校となり[2]、1938年(昭和13年)10月に神奈川県高座郡大野村(現:相模原市中央区)に移転した。1940年(昭和15年)8月1日、工科学校21期生の時代に陸軍兵器学校に改称され[3]、7期生の時代に終戦を迎える。
最盛期には学生は4000名、軍属1000名にもおよんだ。
- 跡地の一部は現在、麻布大学が使用しており、兵器学校当時の正門が大学の正門として利用されているほか、防衛省防衛装備庁陸上装備研究所、相模原市立大野北中学校などに利用されている。
- 麻布大学の外周の一角に、陸軍兵器学校跡を示す石碑が建てられている。
所在地
[編集]神奈川県高座郡大野村矢部新田(1938年の移転当時。現:相模原市中央区淵野辺)
歴代校長
[編集]砲兵工科学舎長
[編集]- 花形勝則 砲兵少佐:1890年7月7日 -
- (兼)井上正義 砲兵少佐:1892年9月8日 -
- 鶴田貞 砲兵大尉:1893年12月18日 - 1894年9月11日
- 水谷悦造 砲兵大尉:1894年9月11日 -
- 熊谷正躬 砲兵中佐:1895年12月4日 -
砲兵工科学校長
[編集]- 熊谷正躬 砲兵中佐:1896年6月6日 -
- 比留間信良 砲兵少佐:1896年11月5日 - 1898年4月26日
- 山岡重寿 砲兵少佐:1898年4月26日 -
- 水井言介 砲兵少佐:不詳 - 1900年12月19日
- 伊藤亮五郎 砲兵少佐:1900年12月19日 - 1902年11月15日
- 池原熈 砲兵少佐:1902年11月15日 -
- 水谷喜三郎 砲兵少佐:1903年12月1日 - 1904年2月13日
- 鈴木賢吉 砲兵少佐:1904年2月13日 -
- 岩田徳次郎 砲兵少佐:1904年9月4日 -
- (兼)川瀬房四 砲兵少佐:不詳 - 1905年11月2日
- 川瀬房四 砲兵少佐:1905年11月2日 - 1906年3月15日
- 高橋伴文 砲兵少佐:1906年3月15日 -
- 三浦常太郎 砲兵少佐:1914年11月19日 - 1916年11月15日
- 広江虎三郎 砲兵中佐:1916年11月15日 - 1920年8月
工科学校長
[編集]- 広江虎三郎 中佐:1920年8月 -
- 小松八四郎 砲兵大佐:1920年12月1日 - 1922年8月15日[4]
- 三浦常太郎 砲兵大佐:1922年8月15日 -
- 佐藤清勝 少将:1925年5月1日 -
- 安井義之助 少将:1927年7月26日 -
- 上村良助 少将:1928年8月10日 -
- 本庄庸三 少将:1929年8月1日 -
- 黒須辰之助 少将:1930年8月1日 - 1932年8月8日[5]
- 林業 少将:1932年8月8日 -
- 小住七五三 少将:1933年8月1日 -
- 木本益雄 少将:1934年8月1日 - 1935年8月1日[6]
- 伊藤義雄 少将:1935年8月1日[6] -
- 三村友茂 少将:1936年12月1日 -
- 和田盈 少将:1938年7月15日 -
- 椎名正健 少将:1939年10月2日 - 1940年8月1日
兵器学校長
[編集]脚注
[編集]- ^ 砲兵工科学校条例(明治29年4月7日勅令第127号)
- ^ 陸軍工科学校令(大正9年8月9日勅令第238号)
- ^ 陸軍工科学校令ヲ陸軍兵器学校令ト改題シ同令中改正ノ件(昭和15年8月1日勅令第498号)
- ^ 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
- ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
- ^ a b 『官報』第2575号、昭和10年8月2日。