宮川清三
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宮川 清三 | |
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生誕 |
1890年1月4日 日本 東京府 |
死没 | 1959年1月7日(69歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1913年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
宮川 清三(みやかわ せいぞう、1890年(明治23年)1月4日[1] - 1959年(昭和34年)1月7日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1890年(明治23年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第25期、陸軍大学校第35期卒業[3]。1937年(昭和12年)に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、野砲兵第20連隊長に就任[2]。日中戦争に出動し、保定会戦、徐州会戦に参加[3]。1940年(昭和15年)2月に陸軍砲工学校砲兵科長に転じ[2]、8月に陸軍少将に進級[2]。
1941年(昭和16年)に陸軍兵器学校長に就任し[1]、1942年(昭和17年)に北支那方面軍兵器部長[1][3]、1943年(昭和18年)6月に支那派遣軍兵器部長を歴任[3]。同年10月に陸軍中将に進級し[2]、1944年(昭和19年)8月に第40師団長に親補される[2]。湘桂作戦、遂韓作戦を指揮し、桂林攻略や敵飛行場攻撃で大なる戦果を収めた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。