和田盈
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和田 盈 | |
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生誕 |
1889年7月26日 日本 岡山県 |
死没 | 1974年10月17日(85歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1909年 - 1939年 1941年 - 1943年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
和田 盈(わだ みつる[1]、1889年(明治22年)7月26日[2] - 1974年(昭和49年)10月17日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1889年(明治22年)に岡山県で生まれた[2]。陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第29期(優等)卒業[2]。ドイツ駐在を経て[1]、1933年(昭和8年)1月31日に独立山砲兵第3連隊長に就任し[1]、3月18日に陸軍砲兵大佐に進級した[1]。1934年(昭和9年)8月に野戦重砲兵第9連隊長に転じ[1]、1936年(昭和11年)3月28日に陸軍工科学校教授部長[1]、8月1日に陸軍工科学校幹事を経て[1]、1937年(昭和12年)8月2日に陸軍少将進級と同時に第9師団司令部附となった[1][2]。
1938年(昭和13年)7月15日に陸軍工科学校長に就任し[1]、1939年(昭和14年)10月2日に陸軍中将に進級し待命[1]、10月26日に予備役に編入された[2]。1941年(昭和16年)11月19日に召集され、西部防空旅団長(西部軍)に就任し[2]、1943年(昭和18年)6月10日に召集解除となった[2]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[3]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。