青山町駅
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(阿保駅 (2代)から転送)
青山町駅* | |
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駅舎(2015年1月) | |
あおやまちょう Aoyamacho | |
◄D52 伊賀神戸 (2.4 km) (2.7 km) 伊賀上津 D54► | |
所在地 | 三重県伊賀市阿保405 |
駅番号 | D53 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
所属路線 | D 大阪線 |
キロ程 | 77.9 km(大阪上本町起点) |
電報略号 | アオ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗車人員 -統計年度- |
940人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1930年(昭和5年)11月19日 |
備考 | * 1970年に阿保駅から改称。 |
青山町駅(あおやまちょうえき)は、三重県伊賀市
歴史
[編集]- 1930年(昭和5年)
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道との会社合併により、関西急行鉄道の駅となる[1]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:会社合併により近畿日本鉄道の駅となる[1]。
- 1960年(昭和35年)12月27日:当駅から伊賀上津駅まで複線化[2]。
- 1961年(昭和36年)8月21日:伊賀神戸駅から当駅まで複線化[2]。
- 1970年(昭和45年)3月1日:青山町駅に改称[3]。
- 1991年(平成3年)3月19日:駅構内配線変更工事完成。当駅まで10両編成の運転が可能になる。
- 1998年(平成10年)3月17日:青山町車庫が完成。
- 2007年(平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始[4]。
駅構造
[編集]島式ホーム2面4線を持つ、待避可能な地上駅。ホーム有効長は10両。駅舎(改札口)は上り線南側にあり、各ホームへは地下通路で連絡している。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | D 大阪線 | 下り | 伊勢中川・五十鈴川方面[5] |
3・4 | 上り | 名張・大阪上本町方面[5] |
- 偶数番線(2番線と4番線)が主本線、奇数番線(1番線と3番線)が待避線。
特徴
[編集]- ダイヤ面
-
- 特急列車を除いた全一般列車が停車しており、伊勢中川方面からの快速急行は当駅から赤目口駅まで各駅に停車するが、通常ダイヤでは上りの快速急行は当駅より以西のみとなっている[6][7]。
- 大阪線における大阪方面への折り返し拠点であり、当駅折り返し列車が多数設定されている[6]。
- 大阪方面へは、終日にわたって当駅折り返しの快速急行・急行が1時間あたり1本 - 2本、終日当駅折り返しの名張行き普通列車が数本運転されている[6]。
- 伊勢中川方面へは、朝と夕方に当駅折り返し伊勢中川駅発着の列車が運転されている[6]。従来は伊勢中川方面への折り返し普通列車は設定されていなかったが、2012年3月20日ダイヤ変更で快速急行が当駅 - 榊原温泉口駅間で通過運転を行うようになったため、東青山駅折り返し列車を一部延長する形式で当駅折り返しの伊勢中川駅発着列車が設定された。
- 早朝と夕方以降を中心に当駅で特急を待避する列車が設定されており、中には特急待避と当駅始発の急行との接続を同時に行なう普通列車も数本設定されている[6]。
- 朝と夕方以降を中心に、一部の快速急行・急行は当駅にて後部車両の切り離しを行う場合がある。切り離した車両は車庫に入庫または名張駅まで回送されるか、当駅折り返しの普通列車として運転される。
- 早朝に1本当駅始発の五位堂行きが設定されている。
- 当駅には特急列車は停車しないが、平日早朝に当駅始発の回送として発車する伊賀神戸発大阪上本町行き特急1本(2020年ダイヤ変更以前は更に毎日運転の伊賀神戸発大阪難波行き特急1本も含む)に乗車が可能となっている。ただし特急券は当駅では発売されず、乗車には他の特急券発売駅での前売か近鉄特急チケットレスサービスを利用し「伊賀神戸 - 目的地」間の有効な特急券を購入する必要がある。当駅 - 伊賀神戸駅間は臨時特急の扱いで、この特急の時刻は冊子や駅構内の時刻表には掲載されてはいない[8]。
- 駅設備・営業面
- その他
-
- 2004年11月1日に名賀郡青山町を含む周辺市町村と合併し伊賀市となり、自治体名称として青山町は消滅したが、現在に至るまで駅名は改称されていない。
- 1991年の駅設備改良・配線変更工事前は島式ホーム1面2線の設備であった。上下本線間に上下共用の待避線(中線・折返し用にも使用)を有する配線であったが、中線と上り本線のみホームに接しており、下り本線にはホームがなかったため、当駅折返し列車を当時渡り線と引き上げ線のあった伊賀神戸駅まで一度回送することも行われていた。駅改良後も夜間に大阪方面から運行した列車を榛原駅まで回送して夜間滞泊し、翌朝に引き戻して大阪方面へ折り返し運行する必要が生じたため、青山町車庫を設置して朝の大阪方面への運行に備えることとなった。
- 2024年2月現在、エレベーターやエスカレーターが設置されていないバリアフリー設備が整っていない駅となっており、車椅子の移動は複数の人数の補助がないと移動が出来ない構造にもなっている。一部の駅では液晶ディスプレイ(LCD)が普及してきたが、この大阪線では河内山本駅、高安駅、河内国分駅(LED表示機)、大和高田駅、桜井駅、榛原駅、榊原温泉口駅など当駅を含む一部の駅では未だに液晶ディスプレイに置き換えられていない。
当駅乗降人員
[編集]近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[9]。
- 2022年11月8日:1,236人
- 2022年11月8日:1,344人
- 2021年11月9日:1,259人
- 2018年11月13日:1,808人
- 2015年11月10日:1,983人
- 2012年11月13日:2,275人
- 2010年11月9日:2,434人
- 2008年11月18日:2,853人
- 2005年11月8日:3,312人
利用状況
[編集]「三重県統計書」によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通り[10]。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 2,048 |
1998年 | 2,059 |
1999年 | 2,075 |
2000年 | 2,069 |
2001年 | 2,061 |
2002年 | 2,019 |
2003年 | 1,985 |
2004年 | 1,930 |
2005年 | 1,845 |
2006年 | 1,739 |
2007年 | 1,659 |
2008年 | 1,556 |
2009年 | 1,438 |
2010年 | 1,352 |
2011年 | 1,297 |
2012年 | 1,253 |
2013年 | 1,208 |
2014年 | 1,126 |
2015年 | 1,065 |
2016年 | 1,024 |
2017年 | 1,020 |
2018年 | 998 |
2019年 | 940 |
2020年 | 745 |
- 青山町駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(青山町駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 170,160 | ←←←← | 130,485 | 300,645 | |||
1951年(昭和26年) | 183,750 | ←←←← | 132,366 | 316,116 | |||
1952年(昭和27年) | 181,590 | ←←←← | 126,354 | 307,944 | |||
1953年(昭和28年) | 182,310 | ←←←← | 138,974 | 321,284 | |||
1954年(昭和29年) | 180,900 | ←←←← | 140,505 | 321,405 | |||
1955年(昭和30年) | 175,770 | ←←←← | 146,166 | 321,936 | |||
1956年(昭和31年) | 207,360 | ←←←← | 140,189 | 347,549 | |||
1957年(昭和32年) | 215,610 | ←←←← | 135,411 | 351,021 | |||
1958年(昭和33年) | 210,990 | ←←←← | 141,506 | 352,496 | |||
1959年(昭和34年) | 216,900 | ←←←← | 137,486 | 354,386 | |||
1960年(昭和35年) | 229,490 | ←←←← | 140,903 | 370,393 | |||
1961年(昭和36年) | 230,400 | ←←←← | 131,651 | 362,051 | |||
1962年(昭和37年) | 249,600 | ←←←← | 138,470 | 388,070 | |||
1963年(昭和38年) | 262,950 | ←←←← | 136,385 | 399,335 | |||
1964年(昭和39年) | 274,170 | ←←←← | 135,825 | 409,995 | |||
1965年(昭和40年) | 287,880 | ←←←← | 135,569 | 423,449 | |||
1966年(昭和41年) | 299,040 | ←←←← | 123,885 | 422,925 | |||
1967年(昭和42年) | 283,200 | ←←←← | 124,184 | 407,384 | |||
1968年(昭和43年) | 280,860 | ←←←← | 121,151 | 402,011 | |||
1969年(昭和44年) | 285,450 | ←←←← | 119,874 | 405,324 | |||
1970年(昭和45年) | 268,320 | ←←←← | 127,286 | 395,606 | |||
1971年(昭和46年) | 256,950 | ←←←← | 138,142 | 395,092 | |||
1972年(昭和47年) | 243,270 | ←←←← | 147,985 | 391,255 | |||
1973年(昭和48年) | 243,450 | ←←←← | 156,127 | 399,577 | |||
1974年(昭和49年) | 254,310 | ←←←← | 142,806 | 397,116 | |||
1975年(昭和50年) | 244,860 | ←←←← | 152,397 | 397,257 | |||
1976年(昭和51年) | 244,050 | ←←←← | 143,882 | 387,932 | |||
1977年(昭和52年) | 242,580 | ←←←← | 145,848 | 388,428 | |||
1978年(昭和53年) | 271,800 | ←←←← | 147,227 | 419,027 | |||
1979年(昭和54年) | 250,830 | ←←←← | 155,549 | 406,379 | |||
1980年(昭和55年) | 240,570 | ←←←← | 144,030 | 384,600 | |||
1981年(昭和56年) | 247,080 | ←←←← | 140,364 | 387,444 | |||
1982年(昭和57年) | 241,590 | ←←←← | 135,465 | 377,055 | 11月16日 | 1,788 | |
1983年(昭和58年) | 221,520 | ←←←← | 137,451 | 358,971 | 11月8日 | 1,705 | |
1984年(昭和59年) | 241,560 | ←←←← | 125,808 | 367,368 | 11月6日 | 1,833 | |
1985年(昭和60年) | 297,510 | ←←←← | 125,323 | 422,833 | 11月12日 | 2,029 | |
1986年(昭和61年) | 323,340 | ←←←← | 127,493 | 450,833 | 11月11日 | 2,141 | |
1987年(昭和62年) | 338,040 | ←←←← | 116,874 | 454,914 | 11月10日 | 2,157 | |
1988年(昭和63年) | 370,320 | ←←←← | 119,849 | 490,169 | 11月8日 | 2,257 | |
1989年(平成元年) | 415,200 | ←←←← | 125,707 | 540,907 | 11月14日 | 2,558 | |
1990年(平成2年) | 478,830 | ←←←← | 137,237 | 616,067 | 11月6日 | 2,839 | |
1991年(平成3年) | 515,250 | ←←←← | 143,545 | 658,795 | |||
1992年(平成4年) | 528,330 | ←←←← | 141,990 | 670,320 | 11月10日 | 3,257 | |
1993年(平成5年) | 558,000 | ←←←← | 148,331 | 706,331 | |||
1994年(平成6年) | 597,780 | ←←←← | 156,689 | 754,469 | |||
1995年(平成7年) | 616,950 | ←←←← | 155,733 | 772,683 | 12月5日 | 3,486 | |
1996年(平成8年) | 608,280 | ←←←← | 155,011 | 763,291 | |||
1997年(平成9年) | 595,110 | ←←←← | 152,578 | 747,688 | |||
1998年(平成10年) | 602,310 | ←←←← | 149,335 | 751,645 | |||
1999年(平成11年) | 609,960 | ←←←← | 149,549 | 759,509 | |||
2000年(平成12年) | 607,050 | ←←←← | 148,223 | 755,273 | |||
2001年(平成13年) | 605,430 | ←←←← | 146,769 | 752,199 | |||
2002年(平成14年) | 594,540 | ←←←← | 142,248 | 736,788 | |||
2003年(平成15年) | 586,080 | ←←←← | 140,396 | 726,476 | |||
2004年(平成16年) | 575,520 | ←←←← | 128,989 | 704,509 | |||
2005年(平成17年) | 549,390 | ←←←← | 123,985 | 673,375 | 11月8日 | 3,312 | |
2006年(平成18年) | 515,430 | ←←←← | 119,168 | 654,598 | |||
2007年(平成19年) | 489,960 | ←←←← | 117,258 | 607,218 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 2,853 | ||||
2009年(平成21年) | ←←←← | ||||||
2010年(平成22年) | ←←←← | 11月9日 | 2,434 |
駅周辺
[編集]- 高安検車区青山町車庫
- 名張警察署青山町駅前交番
- 日本郵便 青山郵便局
- 青山ガーデンリゾート ホテルローザブランカ (旧名:パーム・ド・夢 ← リゾートパラデュー夢)
- 桜丘中学校・高等学校(旧・日生学園附属中学校・日生学園第一高等学校)
- 愛農学園農業高等学校
- 青山複合施設「アオーネ」
- 伊賀市上野図書館 青山図書室
バス路線
[編集]駅前ロータリーに「青山町駅前」停留所があり、三重交通・青山行政バス・神戸地区地域運行バスの各路線が発着する。
- 三重交通
- 80系統(桐が丘線) - 桐が丘 行 / 羽根東 行
- ※「羽根東 行」は日中時間帯のみ運行。
- 青山行政バス
- 滝線
- 羽根線
- 高尾線
- 霧生線
- 神戸地区地域運行バス「かんべ北斗号」
隣の駅
[編集]- 近畿日本鉄道
- D 大阪線
脚注
[編集]- ^ a b c d 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ a b 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、862-864頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年、24頁。ISBN 978-4-10-790026-5。
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年3月11日閲覧。
- ^ a b “駅の情報|青山町”. 近畿日本鉄道. 2021年5月16日閲覧。
- ^ a b c d e 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.124 - p.147・p.284 - p.306
- ^ 駅掲出時刻表 - 青山町駅 近畿日本鉄道
- ^ “【伊賀】 ダイヤ改正後も運行 近鉄青山町駅始発の“幻特急””. 中日新聞ホームページ (2007年3月17日). 2007年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月15日閲覧。
- ^ 駅別乗降人員 大阪線 - 近畿日本鉄道
- ^ 三重県統計書 - 三重県
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|青山町 - 近畿日本鉄道