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阿保神社 (神川町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿保神社
所在地 埼玉県児玉郡神川町大字元阿保字上六所1
位置 北緯36度13分35.5秒 東経139度06分01.7秒 / 北緯36.226528度 東経139.100472度 / 36.226528; 139.100472 (阿保神社 (神川町))座標: 北緯36度13分35.5秒 東経139度06分01.7秒 / 北緯36.226528度 東経139.100472度 / 36.226528; 139.100472 (阿保神社 (神川町))
主祭神 大己貴命
素盞嗚尊
伊弉冉尊
瓊瓊杵尊
大宮女大神
布留大神
社格 式内社(小)の論社
旧村社
創建 延暦3年(784年)
本殿の様式 流造
別名 六所明神
例祭 10月19日
地図
阿保神社の位置(埼玉県内)
阿保神社
阿保神社
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阿保神社(あぼじんじゃ)は、埼玉県児玉郡神川町神川沿いにある神社。祭神は大己貴命、素盞嗚尊、伊弉冉尊、瓊瓊杵尊、大宮女大神、布留大神の六神。武蔵国賀美郡の式内小社「今城青坂稲実神社」の論社。旧社格は村社。

由緒

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延暦3年(784年)、伊賀国阿保村の阿保朝臣人上が「今城青坂稲実神社」を創祀した。 村名「阿保村」は本国と同名の村から、社号「今城」は一城を築いたこと、社号「青坂」は阿保と音の近かった「青」が起源とされている。[1] なお、阿保朝臣人上は、延暦5年(786年)8月8日には「武蔵守」(武蔵国国司)[2]延暦9年(790年)2月6日には「大学頭」(現在の大学の学長)となっていた。[3] 治承4年(1180年)、阿保二郎実光が社殿を造営した。

天正5年(1577年)、阿保村から関口村が分村した。関口村は、「六所明神社」(当社)の奥に鎮座していた「丹生社」を阿保村から関口村に遷座させて関口村の鎮守(現在の「今城青坂稲実池上神社」)とした。

文政元年(1818年)、村民が荒廃していた当社を再建した。江戸時代には社号を「六所明神社」としていた。 明治43年(1910年)5月3日、式内社「今城青坂稲実荒御魂神社」の論社とされている字稲荷宿の稲荷神社を合祀して、社号を現在の「阿保神社」に改称した。

社格

  • 享保12年(1727年) - 正一位(六所大明神)
  • 大正5年(1926年)12月23日 - 神饌幣帛料供進社

祭神

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摂末社

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  • 古峰社
  • 天満宮
  • 蚕影大神、神明宮、稲荷大神、白山社、八坂社、十二天社

アクセス

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  • JR八高線丹荘駅のバス停「丹荘駅」から朝日バス「本庄神泉線」乗車。バス停「元阿保」下車徒歩20分
  • JR高崎線本庄駅から朝日バス「本庄神泉線」乗車。バス停「元阿保」下車徒歩20分

脚注

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  1. ^ 関口 今城青坂稲実池上神社の古文書『明細帳』より
  2. ^ 『続日本紀』延暦五年(七八六)八月甲子の条より「従五位上阿保朝臣人上為武蔵守。」
  3. ^ 『続日本紀』延暦九年(七九〇)七月戊子の条より「従五位上阿保朝臣人上為大学頭。」