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阪本昌成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阪本 昌成(さかもと まさなり、1945年8月2日 - )は、日本憲法学者弁護士古典的自由主義者オーストリア学派リバタリアニズムに近い憲法学説で知られる。

学位法学博士京都大学論文博士)。広島弁護士会所属。広島大学教授、広島大学法学部長、九州大学教授、立教大学教授・近畿大学教授を歴任。

経歴

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広島市出身。原爆投下の4日前に生まれたが、母親が県北へ疎開していたため、被災は免れた[要出典]。1964年3月、広島大学教育学部附属高校卒業[1]。同じく憲法学者辻村みよ子長谷部恭男は、広島大学附属高校の後輩である。

1968年3月、広島大学政経学部(現・法学部)卒業[1]。1970年3月、神戸大学大学院法学研究科修士課程修了[1]。1970年5月、京都大学大学院法学研究科博士課程中退[1]。1985年10月、京都大学法学博士[2]学位論文は「プライヴァシーの権利」。

1970年6月、神戸大学法学部助手[1]。1972年3月、広島大学政経学部助手[1]1973年4月、広島大学政経学部講師[1]。1976年8月から1977年7月までフルブライト奨学生としてコロンビア・ロー・スクール客員研究員[1]。1977年4月、広島大学政経学部助教授[1]。1976年8月から1978年6月まで、ACLS(アメリカ学術振興会)奨学生としてUCLAロー・スクール客員研究員[1]。1977年5月、広島大学法学部助教授(改組による)[1]。 1984年1月、広島大学法学部教授[1]。1995年4月から1997年3月まで広島大学評議員。1997年4月から1999年3月まで広島大学法学部第二部主事。1999年4月から2001年3月まで広島大学評議員。 2001年4月から2004年3月まで、広島大学法学部長[1]

2004年7月、九州大学大学院法学研究院教授[1]。2008年04月 - 立教大学法学部教授[1]。2011年04月 - 近畿大学大学院法務研究科教授[1]

2015年3月、弁護士登録、阪本・手島・北村法律会計事務所開設[1]

2016年3月、近畿大学定年退職

学説・主張

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  • 自らを古典的自由主義者と称し、ハイエクに代表されるオーストリア学派の社会理論に強い影響を受けていると述べている[3]。憲法学界の通説に対して批判的な立場をとることもある[3]
  • 選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。「自由というものは選択肢の幅が広ければ広いほどいい。」と述べ、「夫婦別姓にすれば家庭が崩壊するおそれがあるという反対は、論証のない事柄でもっての反対で反対の論拠として非常に弱く、まったく信用ならない主張」と反対派を批判する[3]

著書

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単著

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共著

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編著

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共編著

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 弁護士紹介、阪本・手島・北村法律会計事務所
  2. ^ 弁護士紹介、阪本・手島・北村法律会計事務所
  3. ^ a b c 第154回国会 - 衆議院 - 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 - 3号 平成14年04月11日

関連項目

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外部リンク

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