関藤次郎
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関 藤次郎[1](せき とうじろう、1864年10月15日(元治元年9月15日)[2] - 1931年(昭和6年)[要出典])は、日本の商人(呉服商)[3]、資産家[4][5]、実業家。六十八銀行(現南都銀行)頭取[1][2]。奈良瓦斯監査役[1][2][3]。族籍は奈良県平民[2][3]。
人物
[編集]大和国(現奈良県)出身。関藤右衛門の長男[2][3]。1893年、家督を相続する[1][2][3]。呉服商を営む[3]。依水園の園内は前園と後園に分かれており、後園は藤次郎が作った築山式の池泉回遊式庭園である。住所は奈良県奈良市下御門町[2][3]。
家族・親族
[編集]- 関家
脚注
[編集]- ^ a b c d 『大正人名辞典』835頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第4版』せ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第5版』せ7 - 8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月17日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月18日閲覧。
- ^ 『黄金万能』115頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年12月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 西原芳外『黄金万能』地上社、1917年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。