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関ヶ原合戦前後の徳川家康文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

関ヶ原合戦前後の徳川家康文書

関ヶ原の戦いの前後において徳川家康は各方面に多数の書状を書き、状況の把握や情報の授受、内応や行動の指示をし、各大名に友好を求めている。

一覧

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ここでは慶長5年(1600年)6月から年末までの徳川家康文書を示す。

日付 宛先 使者・副書差出人 家康在地 備考
6月2日 本多康重 なし 大坂 会津攻めについて
松平家信
小笠原広勝
6月14日 溝口秀勝 西尾吉次 (家康家臣)
村上義明
7月7日 最上義光 中川忠重津金胤久(家康家臣) 江戸
秋田実季
秋田実季 田中清六(北陸海運商人)
戸沢政盛
仁賀保挙誠小介川孫次郎
堀秀治 屋代秀正(家康家臣)
青山宗勝 西尾吉次
溝口秀勝
7月10日 山内一豊 西尾吉次
7月16日 京極高次 遠山利景(家康家臣)
7月19日 伊東祐兵 永井直勝(家康家臣) 病気見舞
伊藤石見守 山口直友(家康家臣)
7月20日 加藤貞泰 加藤成之(家康家臣) 上方騒乱の雑説への返書
7月22日 妻木頼忠妻木城主) なし 岩付 21日、鳩谷 上方の情報収集指示
森忠政 近日面談
7月23日 最上義光 なし 古河 上方謀反につき、会津攻め中止を伝達
山崎家盛宮城豊盛 山岡道阿弥板部岡江雪斎 宛先人は在畿内 上方謀反についての返書
7月24日 真田信幸 本多正信(家康家臣) 小山 真田昌幸信繁上田帰城の報に対しての返書
福島正則 黒田長政徳永寿昌 出頭命令(日付については異説あり)
25日小山評定
7月25日 上田清兵衛等(水野忠重遺臣) なし 忠重の死に対し、水野勝成に家督
長束正家 なし 上洛時の兵粮調達を指示
7月26日 田中吉政 なし 佐和山攻撃時の住民宣撫について
堀秀治 榊原康政(家康家臣)・西尾吉次
京極高次 山城忠久
京極高次(追伸) 京極高知井伊直政(家康家臣)
小出吉政 羽田一庵 宛先人は在畿内 東海道先発隊出陣を伝達
上田重安 西尾吉次
7月27日 真田信幸 なし 上田宛行
氏家正元寺西信乗 村越直吉(家康家臣) 宛先人は在伊勢 先発隊出陣を伝達
7月28日 蘆名盛重 本多正信 上方謀反の伝達
織田信雄(推定) なし
7月29日 黒田長政 山本重成犬塚忠次(共に家康家臣・使番) 先発隊状況について
家康、長政を呼び戻して密議
田中吉政
最上義光 なし 秀忠、対会津の大将を伝える
松倉重政 故地還付について
柳生宗厳 柳生宗矩(家康家臣) 筒井定次との協力について
金森長近可重 なし 美濃衆調略を指示
遠藤慶隆胤直 金森長近 加増について
桑山宗栄一晴 山岡道阿弥
7月30日 藤堂高虎 なし (26日〜)先発隊出陣
塩谷孝信 大久保忠隣(家康家臣)
7月 中村一栄横田宗治 なし 中村一氏死に対し領地安堵[1]
8月1日 脇坂安元 城信茂(家康家臣) 内応の返書
木曽諸奉行人 山村良勝馬場昌次千村良重政次
(共に家康家臣・木曾氏遺臣)
挙兵を指示
田中吉政 山岡道阿弥 安濃津への渡海命令
8月2日 伊達政宗 あり
森忠政 なし 近日上洛
8月3日 加藤貞泰 永井直勝 内応の返書
8月4日 浅野幸長 井伊直政 古河 井伊の指示に従うこと
福島正則
福島正則 なし 尾張の無管地宛行
福島正頼 井伊の指示に従うこと
井伊軍監として4日出陣予定
池田輝政長吉九鬼守隆 井伊直政
長岡忠興加藤嘉明・金森可重
中村一栄
市橋長勝
8月5日 福島正則・徳永寿昌 なし 利根川(船行) 即時戦闘を指示
8月7日 堀直寄 西尾吉次 江戸
村上義明
伊達政宗 大家小平次
加藤貞泰 大久保長安(家康家臣)
8月8日 黒田長政 なし 吉川広家内応についての返書
(密書として帯の中に縫い込み、服部治兵衛が運ぶ)
石川貞清 田中清六 井伊、急病で本多忠勝が8日に代理出陣
井伊も後日、追走
8月10日 福島正則・徳永寿昌 なし 伏見城落城の報届く(1日落城)
8月12日 伊達政宗 なし 江戸に留まる事を表明
井伊直政・本多忠勝 あり 加藤貞泰の内応について
長岡忠興 金森長近・津田秀政 加増について
加藤清正 津田秀政・佐々行政
8月13日 池田輝政・長吉・九鬼守隆 村越直吉 19日、村越が清洲で家康の伝言として、
先発隊諸将を督戦(22日江戸帰還)
長岡忠興・加藤嘉明
一柳直盛西尾光教・市橋長勝・横井時泰
浅野幸長
堀尾忠氏・山内一豊・有馬豊氏松下重綱
宮部長照木下重堅垣屋光成・田中吉政
堀尾吉晴
福島正頼・稲葉道通古田重勝
中村一栄
前田利長 利長の使者
山村良勝・千村良重 大久保長安
8月14日 九鬼守隆 なし 領地宛行
8月15日 妻木頼忠 永井直勝
山村良勝・千村良重 大久保長安 加勢について
京極高知 板部岡江雪斎
8月16日 金森可重 なし
西尾光教
長岡忠興・黒田長政・藤堂高虎 出馬要請返書
8月17日 堀親良 西尾吉次
伊達政宗 なし
8月19日 南部利直 なし 休息命令
小野寺義直
六郷政乗
8月20日 妻木頼忠 永井直勝 家康、近日出馬
分部光嘉 なし
京極高知 あり
細野藤敦 なし 宛先人は在京 家康、近日出馬
遠藤慶降 金森長近 加増について
8月21日 秋田実季 西尾吉次 休息命令
仁賀保挙誠 本多正純
六郷政重
赤尾津孫次郎
真田信幸 本多正信
森忠政 徳川秀忠 森から秀忠の元に出向き、訪ねる事を命じている
26日出馬予定
森忠政 なし 秀忠、近日到着
山村良勝・千村良重 大久保長安 援軍について
筒井定次 永井直勝 26日出馬予定
8月22日 伊達政宗 なし 知行宛行
8月23日 伊達政宗 あり 家康、出馬延期
黒田長政 米津親勝(家康家臣・使番)
加藤嘉明
浅野幸長
京極高知
福島正頼
先発隊将某
横井時泰
中村一栄
一柳直盛
森忠政 西尾吉次 信州表について秀忠と相談すること
山村良勝・千村良重 大久保長安
原図書助三尾将監千村次郎右衛門
8月24日 浅野長政 本多正純・大久保長安 秀忠信州口出陣の補佐を依頼
前田利長 なし
8月25日 蒲生秀行 なし 家康、出馬延期 上杉出陣時加勢
大田原晴清
福島正則 竹ヶ鼻城落城褒賞(22日落城)
福島正則・池田輝政・浅野幸長・黒田長政・加藤嘉明・
長岡忠興
藤堂高虎・本多俊政生駒一正・桑山元晴
田中吉政・一柳直盛・西尾光教・徳永寿昌・池田長吉
堀尾忠氏・山内一豊・有馬豊氏・松下重綱
井伊直政・本多忠勝・石川康通
8月26日 福島正則 なし 木曽川米野の戦い褒賞(22日)
池田輝政
堀尾忠氏・池田長吉・一柳直盛・山内一豊・有馬豊氏・
松下重綱・浅野幸長
伊達政宗 今井宗薫・村越直吉 美濃戦勝伝達
村井長頼芳春院 なし 利長戦功褒賞、直筆・仮名交じり
8月27日 福島正則 なし 岐阜城落城褒賞(23日落城)
進軍停止、家康・秀忠出馬予定
池田輝政
藤堂高虎・黒田長政・田中吉政・神保相茂秋山光匡
松倉重政・本多俊政・生駒一正・加藤嘉明
池田長吉
妻木頼忠 永井直勝 家康、近日出馬
最上義光 今井宗薫 岐阜城落城伝達
浅野幸長 なし
森忠政 徳川秀忠 森から秀忠の元に出向き、訪ねる事を命じている
8月28日 浅野長政 なし 幸長戦功褒賞、直筆 家康、3日出馬予定
藤堂高虎 合渡の戦い(23日)、赤坂占拠(24日)褒賞
家康、近日出馬
最上義光 美濃戦勝伝達
8月29日 浅野幸長 なし 家康、1日出馬予定
堀秀治
堀親良
堀尾忠氏 家康、1日出馬予定
9月1日 福島正則 加藤成之 神奈川
池田輝政
藤堂高虎・黒田長政・田中吉政・一柳直盛
福島正則・黒田長政 なし
福島正則・池田輝政等 飛脚 三成内状入手に対して
藤堂高虎 村越直吉
真田信幸 なし 秀忠加勢指示
堀直寄 特に飛脚とする
9月2日 福島正則・池田輝政 あり 藤沢
池田輝政 あり(口上)
9月3日 京極高知 なし(直接面談とする) 小田原
徳永寿昌 なし
加藤貞泰・竹中重門 内応について
9月4日 石川貞清 田中清六 三島 内応について
9月5日 加藤貞泰 なし 清見寺 内応について
9月6日 福島正則 なし(直接面談とする) 島田
小笠原兵部豊後守 なし 宛先人在美濃 秀忠との連絡を命じる
(信濃金山に飛脚)
9月7日 稲葉道通 なし(直接面談とする) 中泉
九鬼守隆 なし
九鬼守隆 本多正純
京極高次 京極高知 内応について
伊達政宗 今井宗薫 出馬について
伊達政宗・(最上義光) なし 大津内応について
書状内容を最上にも知らせるよう命令
最上義光
不明
稲葉貞通 永井直勝 内応について
9月8日 前田利長 なし 白須賀 南下命令
妻木頼長 永井直勝
9月9日 福島正頼 なし 岡崎
京極高知
9月10日 藤堂高虎 なし 熱田 呼び出し(11日夜、家康と密議)
9月11日 福島正頼 なし 清洲 清洲で二泊
9月13日 丹羽長重 なし 岐阜 利長との和議について
14日、赤坂
土方雄久
9月15日 伊達政宗 なし 関ヶ原 関ヶ原合戦
9月17日 稲葉正成 村越直吉 佐和山 16日より滞在 佐和山城落城
9月18日 福島正則・黒田長政 なし 八幡山
9月19日 竹中重門 なし 草津 小西捕縛の褒賞
田中吉政 宇喜多秀家・石田三成・島津義久の捜索・捕縛命令
9月21日 堀直政 西尾吉次 大津 20日より滞在
堀親良
9月22日 田中吉政 なし 三成捕縛の褒賞
池田輝政・浅野幸長
前田利長
森忠政 永井直勝 真田の動きに備えるべし
9月23日 長岡忠興 なし 三成捕縛を伝達
福島正則・黒田長政
9月24日 小早川秀秋 井伊直政
黒田長政 なし
9月25日 黒田長政 なし
池田輝政・浅野幸長 大坂城請取褒賞
9月28日 黒田如水 井伊直政 大坂 26日、 27日より滞在
松浦鎮信 なし
大村喜前
10月2日 長岡忠興 なし
伊東祐兵 井伊直政
山村道祐 なし 山村良勝父 木曽奉行補任
10月5日 黒田如水 黒田長政
10月10日 毛利輝元秀就 なし 誓書 防長宛行
10月14日 京極高次 井伊直政
10月15日 伊達政宗 山岡重長(政宗家臣)
10月17日 最上義光 阿部彦将監
10月24日 伊達政宗 今井宗薫・村越直吉
最上義光 なし
諏訪頼長 本多正純 諏訪頼水三男 江戸城守備
11月6日 鍋島直茂 井伊直政
11月12日 黒田如水 井伊直政
11月18日 黒田如水・加藤清正・鍋島直茂 なし
11月20日 秋田実季 田中清六 直筆
12月25日 仁賀保挙誠 本多忠勝

注釈

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  1. ^ 原本では27日付、また宛先人は宗治ではなく横田村詮 資料の概要

参考文献

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  • 中村孝也 『新訂 徳川家康文書の研究 中』 (特)日本学術振興会 1980 ISBN 978-4-8181-8055-0
  • 徳川義宣 『新修 徳川家康文書の研究』 吉川弘文館 1983 ISBN 978-4-6420-3261-2
  • 徳川義宣 『新修 徳川家康文書の研究 第2輯』 吉川弘文館 2006 ISBN 978-4-6420-3418-0