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閘門橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
弐郷半領猿又閘門

地図
情報
用途 橋梁
旧用途 樋門
構造形式 煉瓦造
竣工 1909年
所在地 125-0031
東京都葛飾区西水元
座標 北緯35度47分42.2秒 東経139度51分35.6秒 / 北緯35.795056度 東経139.859889度 / 35.795056; 139.859889
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閘門橋(こうもんばし)は、東京都葛飾区西水元大場川に架かる人道橋および閘門

葛飾区登録文化財、土木学会選奨土木遺産

正式名称は弐郷半領猿又閘門(にごうはんりょうさるまたこうもん[1])。

概要

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東京都葛飾区と埼玉県三郷市の都県境界至近に所在している。立地は東京都であるが、埼玉県の弐郷半領用悪水路普通水利組合によって1909年明治42年)に建造された橋長30メートル、幅員3メートル[2]、高さは推定で5.5メートル[3]の上路式煉瓦アーチ橋である。

径間数は上流側は3径間、下流側は5径間と異なる。右岸側は築島部を挟み、後年建増しされた1径間のRCTアーチ橋(赤煉瓦仕上)も設置されている。水害による中川古利根川)からの逆流を防止するために設けられた。

周辺は水元公園の一部。「かつしか郷土かるた」にも読まれている[4]

都内唯一の煉瓦アーチ橋である。

2007年(平成19年)11月30日には「東京都葛飾区の赤煉瓦建造物」として経済産業省が認定する近代化産業遺産に認定された[5]。また、2013年(平成25年)度に土木学会の選奨土木遺産に認定された[6]。本橋梁は、土木学会による「近代土木遺産2800選Aランク(国指定文化財クラス)」に選出されている[7]

なお、1970年(昭和45年)に閘門橋のすぐ下流側に東京都道・埼玉県道67号葛飾吉川松伏線の道路橋である葛三橋(かつみばし)が架設され[1]、自動車はそちらを通るようになった。そして1980年(昭和55年)には下流側の大場川と中川の合流点に新大場川水門が完成、以降は水門としての役目を終え、人道橋として使用されている。

アクセス

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周辺

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橋のすぐ北側を流れる下第二大場川に同じ煉瓦造りの「二郷半領用水逃樋」[9]も架けられ、県道67号の道路橋として利用されている。閘門橋付近に県境未確定区域が存在する。閘門橋付近より下流側の流路はかつての中川(古利根川)の一部で、昭和20年頃までは上流側を古利根川、下流側を中川と称していた[10]。なお、上流側は大正年間に行われた河川改修により埋め立てられている(潮止橋も参照)。

  • 葛三橋 - 閘門橋の新橋に当たる。車道として供用されている。
  • 八潮南公園
  • 亀有警察署葛三橋交番
  • 水元給水所

脚注

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  1. ^ a b 閘門橋(旧弐郷半領猿又閘門)”. 土木学会関東支部. 2020年5月4日閲覧。
  2. ^ 閘門橋(弍郷半領猿又閘門・葛三橋)1910- - 土木学会附属土木図書館橋梁史年表。2020年5月5日閲覧。
  3. ^ 第78話 閘門橋”. 東京地方労働組合評議会 (2009年11月15日). 2017年2月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月4日閲覧。
  4. ^ 【め】明治の美 レンガを積んだ 閘門橋”. 葛飾区. 2020年5月4日閲覧。
  5. ^ 近代化産業遺産群33” (PDF). 経済産業省. p. 18. 2020年5月4日閲覧。
  6. ^ 【土木遺産】レンガアーチの閘門橋など 土木学会が13年度作品決定”. 建設通信新聞の公式記事ブログ (2013年10月15日). 2020年5月4日閲覧。
  7. ^ 東京都(23区)”. 土木学会. 日本の近代土木遺産(改訂版) (2008年9月5日). 2020年5月5日閲覧。
  8. ^ 閘門橋 - 亀有上宿商店会.2020年5月4日閲覧。
  9. ^ 二郷半領用水逃樋 - 有限会社フカダソフト.2020年5月4日閲覧。
  10. ^ 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1947 カスリーン台風 第5章 利根川氾濫流の流下と中川流域” (PDF). 内閣府防災部門HP. pp. 121,133 (2010年1月). 2020年4月20日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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