長野県須坂高等学校
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長野県須坂高等学校 | |
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北緯36度38分57.5秒 東経138度18分35.9秒 / 北緯36.649306度 東経138.309972度座標: 北緯36度38分57.5秒 東経138度18分35.9秒 / 北緯36.649306度 東経138.309972度 | |
過去の名称 |
長野県上高井中学校 長野県須坂中学校 長野県須坂西高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野県 |
学区 | 第1学区(旧第2通学区) |
校訓 | 志操高潔・自主責任・勉学研究 |
設立年月日 | 1923年 |
創立記念日 | 4月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D120220700013 |
高校コード | 20109A |
所在地 | 〒382-0091 |
長野県須坂市須坂1518-2 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長野県須坂高等学校(ながのけん すざかこうとうがっこう)は、長野県須坂市須坂にある県立高等学校。
概要
[編集]1923年に旧制上高井中学として開校。須坂中学、須坂西高等学校を経て現校名となる。水泳が大正期より盛んで、当時からプールがあった。2001年に旧第2通学区→第1通学区に変更。
全日制で普通科設置。授業時間は一コマ50分。高等学校における教養教育を標榜している。月曜日はどの部活動も休みとなっている[1]。
沿革
[編集]- 1923年(大正12年)4月15日 - 長野県上高井中学校として開校。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 長野県須坂中学校に改称。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、長野県須坂西高等学校となる。
- 1956年(昭和31年)4月1日 - 長野県須坂農業高等学校より分校が移管。定時制小布施分校(普通科)として設置。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 長野県須坂高等学校と改称。
- 1976年(昭和51年)3月31日 - 小布施分校を廃止。
- 2004年(平成16年)3月31日 - 定時制の募集を停止。
教育目標
[編集]- 民主的・自治的で平和を愛する人間。
- 真理を愛し、社会と自然の諸事象に対し、科学的認識にもとづいて正しい判断と批判ができる人間。
- 健康で豊かな情操とたくましい行動にあふれ、社会を明るく豊かにする努力を惜しまない人間。
- 現代社会における労働の意義を正しく理解し、広く、創造的実践を通して、社会の発展と向上に寄与できる人間。
基礎データ
[編集]アクセス
[編集]象徴
[編集]- 校歌
- 校歌 - 作詞:臼田紀六、作曲:荻原範次郎
- 他に応援歌、凱歌A、凱歌B、逍遥歌、水泳部エール、りんどう祭賛歌などがある
- 標語
- 「熱、意気、ガリ」
- 初代校長の岩崎長思が「起てよ臥龍の健児」と語りかけた言葉から生まれたとされる標語であり[2]、これら強い気概は「臥龍魂(がりゅうこん[3])」とも呼ばれる[2]。高校付近に臥龍山があることから(臥竜公園参照)、須坂高校は「臥龍」をシンボルとしている[2]。
学校行事
[編集]入学式、卒業式、マラソン大会(男子10km、女子5km)、修学旅行、クラスマッチ、校歌コンクール、りんどう祭(文化祭)などがある。クラスマッチは春と秋の2度あり、両方とも2日間に渡っている。
- 文化祭
- 文化祭は「りんどう祭(龍胆祭)」といい、その名称は校章と近接する臥竜公園(須高城址)に由来する。4日間行われる(一般公開は2日間)。毎年、半年をかけて巨大な龍が生徒達により製作される。龍は設計図とともに後夜祭において弓道部の火矢により燃やされるため、毎年、新たに設計図から掘り起こすことが必要となり、龍の様相は年度ごとに変化を遂げている。またクラス毎に寸劇と合唱を披露する。2006年には、NHKにんげんドキュメントで紹介された[4]。
著名な出身者
[編集]- 芸術
- 学者・研究者
- 遠藤守信 - 物理学者・化学者
- 竹前栄治 - 政治学者、東京経済大学名誉教授
- 市川昭午 - 教育学者、国立大学財務・経営センター名誉教授
- 西原康行 - 教育学者、新潟医療福祉大学教授
- 渡辺澄夫 - 数理情報学者、東京工業大学教授
- 政治経済
- 芸能
- その他