長谷観音 (古河市)
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長谷寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 茨城県古河市長谷町5-1 |
位置 | 北緯36度11分26.1秒 東経139度42分0.8秒 / 北緯36.190583度 東経139.700222度座標: 北緯36度11分26.1秒 東経139度42分0.8秒 / 北緯36.190583度 東経139.700222度 |
山号 | 明観山 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 十一面観音 |
創建年 | 明応2年(1493年) |
開基 | 不明 |
正式名 | 明観山 観音院 長谷寺 |
別称 | 長谷観音 |
文化財 | 十一面観世音菩薩立像(市指定・彫刻) |
法人番号 | 3050005005714 |
長谷観音(はせかんのん)は、茨城県古河市にある真言宗豊山派の寺院。正式には、山号を明観山、院号を観音院、寺号を長谷寺という[1]。古河公方ゆかりの寺院である。
歴史
[編集]戦国時代の明応2年(1493年)、初代古河公方の足利成氏が古河城の鬼門除けとして、鎌倉の長谷寺から十一面観世音菩薩立像を勧請し、堂舎を建立したことが起源である。江戸時代には、歴代古河城主の祈願所ともなった。文政13年(1830年)頃に書かれた『古河志』には、大和(奈良県)および鎌倉にある長谷観音と並び、「三長谷」と呼ばれていると紹介されている。明治初年(1868年)に廃寺となり、八間四面の本堂も破壊されたが、大正3年(1914年)、有志の寄付により元の地に再興された。なお、その間は十一面観音は市内横山町の徳星寺に移されていた[2] [1] [3]。
日本三大長谷観音の一つとされる由来としては、一本の楠から大和・鎌倉・古河の長谷観世音像が彫られたとも口伝されている[4]。
文化財
[編集]- 木造 十一面観世音菩薩立像: 由来については前述の通り。像高206.34cm 寄木造・玉眼。古河市指定文化財(彫刻)[5]。
葛飾坂東観音霊場
[編集]長谷寺(長谷観音)は葛飾坂東観音霊場の番外札所である。ご詠歌は 「いつの世も 三国の衆生を すくわんと ちかいもかたき 長谷観音」[6]
葛飾坂東観音霊場では各寺院に「ご詠歌」があり、参拝時にご詠歌を唱えることは、経文読唱と同じ功徳があるとされる[7]。
所在地
[編集]- 茨城県古河市長谷町5-1
交通
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 広報「古河」No.22(2007年7月1日) 文化財の窓「長谷観音」
- ^ 『古河市史 民俗編』 古河市、825-826頁、1983年
- ^ 『古河市史 資料 別巻』 古河市、275-276頁、1973年 (『古河志』所収部)
- ^ 古河長谷観音ホームページ 長谷観音の歴史
- ^ 『古河市の文化財』 20頁
- ^ 鈴木印刷所 制作・印刷・製本 『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)、49頁(長谷寺)
- ^ 鈴木印刷所 制作・印刷・製本 『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)、11頁(葛飾坂東観音御開帳のあらまし)
参考文献
[編集]- 古河市公式ホームページ
- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料 別巻』 古河市、1973年
- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年
- 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、1993年
- 鈴木印刷所 制作・印刷・製本 『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)