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長谷観音 (古河市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長谷寺
本堂
所在地 茨城県古河市長谷町5-1
位置 北緯36度11分26.1秒 東経139度42分0.8秒 / 北緯36.190583度 東経139.700222度 / 36.190583; 139.700222座標: 北緯36度11分26.1秒 東経139度42分0.8秒 / 北緯36.190583度 東経139.700222度 / 36.190583; 139.700222
山号 明観山
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観音
創建年 明応2年(1493年
開基 不明
正式名 明観山 観音院 長谷寺
別称 長谷観音
文化財 十一面観世音菩薩立像(市指定・彫刻)
法人番号 3050005005714 ウィキデータを編集
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長谷観音(はせかんのん)は、茨城県古河市にある真言宗豊山派の寺院。正式には、山号を明観山、院号を観音院、寺号を長谷寺という[1]古河公方ゆかりの寺院である。

歴史

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戦国時代明応2年(1493年)、初代古河公方足利成氏古河城の鬼門除けとして、鎌倉長谷寺から十一面観世音菩薩立像を勧請し、堂舎を建立したことが起源である。江戸時代には、歴代古河城主の祈願所ともなった。文政13年(1830年)頃に書かれた『古河志』には、大和奈良県)および鎌倉にある長谷観音と並び、「三長谷」と呼ばれていると紹介されている。明治初年(1868年)に廃寺となり、八間四面の本堂も破壊されたが、大正3年(1914年)、有志の寄付により元の地に再興された。なお、その間は十一面観音は市内横山町の徳星寺に移されていた[2] [1] [3]

日本三大長谷観音の一つとされる由来としては、一本のから大和・鎌倉・古河の長谷観世音像が彫られたとも口伝されている[4]

文化財

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  • 木造 十一面観世音菩薩立像: 由来については前述の通り。像高206.34cm 寄木造・玉眼。古河市指定文化財(彫刻)[5]

葛飾坂東観音霊場

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長谷寺(長谷観音)は葛飾坂東観音霊場の番外札所である。ご詠歌は 「いつの世も 三国の衆生を すくわんと ちかいもかたき 長谷観音」[6]

葛飾坂東観音霊場では各寺院に「ご詠歌」があり、参拝時にご詠歌を唱えることは、経文読唱と同じ功徳があるとされる[7]

所在地

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  • 茨城県古河市長谷町5-1

交通

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脚注

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  1. ^ a b 広報「古河」No.22(2007年7月1日) 文化財の窓「長谷観音」
  2. ^ 『古河市史 民俗編』 古河市、825-826頁、1983年
  3. ^ 『古河市史 資料 別巻』 古河市、275-276頁、1973年 (『古河志』所収部)
  4. ^ 古河長谷観音ホームページ 長谷観音の歴史
  5. ^ 『古河市の文化財』 20頁
  6. ^ 鈴木印刷所 制作・印刷・製本 『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)、49頁(長谷寺)
  7. ^ 鈴木印刷所 制作・印刷・製本 『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)、11頁(葛飾坂東観音御開帳のあらまし)

参考文献

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  • 古河市公式ホームページ
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料 別巻』 古河市、1973年
  • 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年
  • 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、1993年
  • 鈴木印刷所 制作・印刷・製本 『葛飾坂東札所めぐり公認ガイドブック 葛飾坂東観音御開帳』 平成26年(2014年)

外部リンク

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