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長谷川乙彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はせがわ おとひこ

長谷川 乙彦
生誕 (1870-05-20) 1870年5月20日明治3年4月20日
尾張国名古屋(現・愛知県名古屋市
死没 (1939-05-27) 1939年5月27日(69歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 高等師範学校文学科
職業 教育者
肩書き 正四位勲三等
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長谷川乙彦

長谷川 乙彦(はせがわ おとひこ、明治3年4月20日[1]1870年5月20日) - 昭和14年(1939年5月27日[2])は、日本教育者

経歴

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尾張国愛知県名古屋出身。1895年(明治28年)、東京高等師範学校を卒業。広島高等師範学校教授・附属中学校主事を務め、後に東京高等師範学校教授に転じた。その後、東京府青山師範学校校長に就任し、國學院大學教授も兼ねた。

著書

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  • 『新教育学大綱』(文学社、1900年)
  • 『新編女子用教育学』(松村三松堂、1903年)
  • 『戦後に於ける教育思想及方法の革新』(松邑三松堂、1920年)
  • 『最新教授法概論』(英進社、1938年)

脚注

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  1. ^ 大衆人事録 1930.
  2. ^ 『昭和十五年度版 日本人名選』、大阪毎日新聞社、1939年。

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 

関連文献

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  • 『長谷川乙彦先生教育功労記念会誌』 長谷川乙彦先生教育功労記念会、1938年12月
  • 山谷幸司 「明治後期における春山作樹と長谷川乙彦の中学校論争 : 学校体系に占める中学校の位置をめぐって」(『東北大学教育学部研究年報』第37集、1989年3月、NAID 40002642576
  • 三好信浩著 『日本師範教育史の構造 : 地域実態史からの解析』 東洋館出版社、1991年2月、ISBN 4491008248
  • 小山清 「長谷川乙彦 : 徳育・美育・体育の教育」(岡田孝章ほか編 『「先賢の志」に学ぶ』 ジャパンインターナショナル総合研究所、2004年10月)
公職
先代
滝沢菊太郎
東京府青山師範学校長
1925年 - 1938年
次代
三国谷三四郎
先代
塚原政次
(新設)
日本の旗 広島高等師範学校附属中学校主事
1916年 - 1925年
1905年 - 1914年
次代
津山三郎
三沢糾