長明
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ちょうみょう/ちょうめい 長明 | |
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? - 康保元年から3年? ? - 964年から966年? | |
没地 |
信濃国水内郡 戸隠山 (現:長野県長野市) |
宗派 | 天台宗 |
寺院 | 戸隠山 |
廟 | 釈長明火定所(戸隠神社) |
長明(ちょうみょう/ちょうめい、? - 康保元年(964年)から康保3年(966年)の間?)は平安時代の戸隠山の僧。
来歴・人物
[編集]25歳で言語を絶って法華経を読誦し、さらに3年は横にならなかった。康保年間(964年 - 968年)に「私は一切衆生喜見菩薩である。ここに来るまでにすでに三回身を焼いた。今命が尽き、兜率天に上る」と言って、薪を積んで焼身した[1]。『拾遺往生伝』によれば、永保(1081年 - 1084年)年間である[2]。
戸隠神社奥院に「釈長明火定所」と言われる場所があり、「釈長明火定之所」と記された古碑と五輪塔がある[3]。『善光寺道名所図会』(1849年)によれば、五輪塔には「康保三丙子」とのみ記されているとあるが、文政9年(1826年)に戸隠山に登ったという羅渓慈本は「勤行大精進捨所愛之身/康保三丙寅」と記されていたと書いている[4](康保3年は丙寅)。また、二澤旅館(旧宿坊・醍醐坊正智院)の庭に供養塔がある[5]。
伝記
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 虎関師錬『元亨釈書』(禅文化研究所の黒豆データベースよりダウンロード可能)
- 豊田利忠『善光寺道名所図会 巻之4』美濃屋伊六、1849年(リンク先は信州デジタルコモンズ。該当箇所はimage 9)