長崎 (流山市)
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長崎 | |
---|---|
長崎一丁目 | |
北緯35度51分51.39秒 東経139度55分58.88秒 / 北緯35.8642750度 東経139.9330222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 千葉県 |
市町村 | 流山市 |
人口 | |
• 合計 | 1,572人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
270-0134[2] |
市外局番 | 04[3] |
ナンバープレート | 野田 |
長崎(ながさき/Nagasaki)は、千葉県流山市の町名。現行行政地名は長崎一丁目および長崎二丁目。郵便番号は270-0134[2]。
地理
[編集]流山市の東部に位置する。町域内は北部から南部にかけて下り坂となっており、住宅街が形成されているほか、自然も多く残る。
歴史
[編集]元は野々下の中に飛地のように点在していた区域であったが、1982年(昭和57年)に野々下と共に大幅な整理が行われ、現在の区域となった。
沿革
[編集]- 1869年(明治2年) 葛飾県葛飾郡長崎村となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により印旛県葛飾郡長崎村となる。
- 1873年(明治6年) 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡長崎村となる。
- 1889年(明治22年) 東葛飾郡市野谷村、思井村、前平井村、後平井村、芝崎村、野々下村、中村、名都借村、古間木村、前ヶ崎村、向小金新田、大畔新田、駒木村、十太夫新田、駒木新田、青田新田、初石新田と合併し、東葛飾郡八木村大字長崎となる。
- 1951年(昭和26年)4月1日 流山町、新川村と合併し、東葛飾郡江戸川町大字長崎となる。
- 1952年(昭和27年)1月1日 江戸川町が流山町に改称。東葛飾郡流山町大字長崎となる。
- 1967年(昭和42年)1月1日 市制施行により、流山市大字長崎となる。
- 1982年(昭和57年) 大字長崎の大部分、大字野々下の一部より長崎一丁目・二丁目を新設。流山市長崎一丁目・二丁目となる。
小字
[編集]長崎一丁目・二丁目には4の小字が存在する。ここでは西から順に列挙する。
- 天形星
- 五枚割
- 長崎(一部は1982年(昭和57年)に野々下二・三丁目に編入)
- アジャリ谷(一部は1982年(昭和57年)に野々下二・三丁目に編入)
消滅した小字
- 梶内(1982年(昭和57年)に野々下一丁目に編入。野々下一丁目の小字として残る)
- 向山(1982年(昭和57年)に野々下二丁目に編入。野々下二丁目の小字として残る)
- 日尻上(1982年(昭和57年)に野々下四・五・六丁目に編入。野々下四・五・六丁目の小字として残る)
- 金クソ(1982年(昭和57年)に野々下五・六丁目に編入。野々下五・六丁目の小字として残る)
- 諏訪腰(1982年(昭和57年)に駒木に編入。駒木の小字として残る)
- 諏訪前(1982年(昭和57年)に駒木に編入。駒木の小字として残る)
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
長崎一丁目 | 494世帯 | 1,163人 |
長崎二丁目 | 167世帯 | 409人 |
計 | 661世帯 | 1,572人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4][5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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長崎一丁目 | 全域 | 流山市立長崎小学校 | 流山市立八木中学校 |
長崎二丁目 | 全域 |
施設
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “町丁字別・男女別人口(世帯数含む) 【各月1日】”. 流山市 (2017年11月2日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “流山市立小学校通学区域 地番別”. 流山市 (2017年9月15日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ “流山市立中学校通学区域 地番別”. 流山市 (2017年9月15日). 2017年11月28日閲覧。