長崎県立壱岐商業高等学校
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長崎県立壱岐商業高等学校 | |
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北緯33度49分56.5秒 東経129度42分50.7秒 / 北緯33.832361度 東経129.714083度座標: 北緯33度49分56.5秒 東経129度42分50.7秒 / 北緯33.832361度 東経129.714083度 | |
過去の名称 |
長崎県立壱岐高等学校勝本分校 長崎県立勝本高等学校 長崎県立壱岐北高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
学区 |
全県学区 全国募集あり(6名以内) |
併合学校 |
長崎県立壱岐高等学校勝本分校 長崎県立壱岐高等学校田河分校 |
校訓 | 知性・信義・勇気 |
設立年月日 | 1949年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
商業科 情報処理科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D142210000462 |
高校コード | 42149K |
所在地 | 〒811-5533 |
長崎県壱岐市勝本町新城西触282番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎県立壱岐商業高等学校(ながさきけんりつ いきしょうぎょうこうとうがっこう, 英: Nagasaki Prefectural Iki Commercial High School)は、長崎県壱岐市勝本町新城西触に所在する公立の商業高等学校。通称は「商高」(しょうこう)。
概要
[編集]- 校訓
- 「知性・信義・勇気」
- 理想を高くし、深い知性をもとう
- 礼儀を正しくし、信義を厚くしよう
- 体位を向上し、勇気を養おう
- スローガン
- 「本気で学んで 本気で鍛えて 夢実現」
- 校章
- 校歌
- 作詞は吉田邦治[2]、作曲は山口常光[3]によるもの。作詞者、作曲者ともに長崎県立壱岐高等学校の校歌と同じで[4]、当初壱岐北高等学校という校名であったため、歌詞内に「壱岐北」があったが、壱岐商業高等学校へ改称する際に、「壱岐商」と置き換えられた。3番まであり、それぞれ「壱岐商高校力あれ」「壱岐商高校誉あれ」「壱岐商高校栄あれ」で終わる。なお、校歌と第一応援歌の歌詞は、東京雪州会(壱岐人会)のウェブサイトで閲覧できる。[5]
沿革
[編集]- 1949年(昭和24年)- この年を基準に創立年数が数えられている。
- 5月11日 - 「長崎県立壱岐高等学校勝本分校」(定時制 普通課程1学級、家庭課程1学級)が開校。勝本町立霞翠小学校(かすい)内に仮校舎を設置。
- 12月 - 田河町立芦辺小学校内に「長崎県立壱岐高等学校田河分校」(定時制)が開校。
- 1950年(昭和25年)11月 - 第一応援歌[6]を制定。作詞は広田穣之助、作曲は横山夏子[7]による。
- 1951年(昭和26年)
- 1954年(昭和29年)4月 - 田河分校から勝本分校第3学年に12名が編入。
- 1955年(昭和30年)4月 - 田河分校から勝本分校第3学年に18名が編入。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)9月1日 - 校歌制定。
- 1959年(昭和34年)
- 4月1日 - 「長崎県立壱岐商業高等学校」(現校名)に校名変更。全日制に切り替え、商業科2学級を設置。壱岐北高等学校の募集を停止。
- 6月24日 - 校名変更に伴い、校歌の歌詞「壱岐北」が「壱岐商」になる。
- 1960年(昭和35年)
- 1月4日 - 同窓会が発足。
- 3月31日 - 壱岐北高等学校が閉校。
- 4月1日 - 定時制課程普通科と家庭科を併設。旧・壱岐北高等学校の普通科・家庭科の3・4年生を収容。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)12月10日 - 同窓会からの寄贈で、校旗を制定。
- 1966年(昭和41年)3月20日 - 運動場拡張工事が完了。
- 1973年(昭和48年)~ 1975年(昭和50年) - 鉄筋コンクリートの校舎等が完成。
- 1975年(昭和50年)4月1日 - 女子の制服をセーラー服からブレザーに改定。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 軟式野球部を硬式野球部に変更。
- 1978年(昭和53年)
- 1月 - 体育館(現・第二体育館)横に「新城尋常高等小学校跡の碑」が新城小学校卒業生有志により建立。
- 2月17日 - 新体育館が完成。旧体育館を第二体育館とする。
- 4月1日 - 普通科を設置。定員2学級80名で募集を行ったが、定員を下回り、1学級編成となる。
- 1979年(昭和54年)
- 1981年(昭和56年)3月31日 - 普通科を廃止。
- 1986年(昭和61年)4月1日 - 制服を改定し、男女とも濃紺色のブレザー・ネクタイとなる。
- 1987年(昭和62年)
- 1989年(平成元年)
- 創立40周年記念式典を挙行。
- 12月24日 - 陸上部が第1回高校女子駅伝競走大会出場。
- 1990年(平成2年)4月1日 - 情報処理科を設置。
- 1990年(平成2年)~1992年(平成4年) - 陸上部が高校女子駅伝競走大会連続出場。
- 1991年(平成3年)3月31日 - 商業科情報処理コースを廃止。
- 1999年(平成11年)
- 4月1日 - 制服を改定。男子ズボン・女子スカートをチェック柄に、女子はネクタイの代わりにリボンを着用。
- 11月5日 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 2007年(平成19年)- 校舎の耐震補強工事が完了。[9]
- 2009年(平成21年)10月24日- 創立60周年を迎えた。
- 2019年(令和元年)11月23日- 創立70周年を迎えた。
学校行事
[編集]- 1学期
- 4月 - 入学式、新入生研修、歓迎遠足
- 5月 - 中間考査、生徒総会
- 6月 - 高総体
- 7月 - 期末考査、クラスマッチ
- 8月 - 平和学習
- 2学期
- 9月 - 新入生研修、体育祭
- 10月 - 中間考査、文化祭
- 11月 - 高総体(駅伝)、人生の達人セミナー、期末考査
- 12月 - ウィンターコンサート
- 3学期
- 1月 - 新入生研修
- 2月 - 耐寒競歩大会(現:マラソン大会)、学年末考査、修学旅行(2年生)
- 3月 - 卒業式、クラスマッチ
部活動
[編集]壱州荒海太鼓部という地域芸能を伝える、日本唯一の部活が正式部活として存在する。元々は創立50周年イベントで当時の3年生が催したものが起源である。3年生が卒業後これを学校の伝統として残そうと、下級生が立ち上がり同好会が設立し、学校に活動が認められ正式部活となった。珍しい部活のため、県から特別に補助金が出ている。
- 体育部
- 文化部
- 報道部
- 吹奏楽部
- 情報メディア部
- 壱州荒海太鼓
モデルとなった作品
[編集]陸上漫画『奈緒子』の主人公壱岐雄介やヒロイン篠宮奈緒子の通う長崎県立波切島高等学校は、壱岐商業高校をモデルとしていて、校舎などの設備は全てそのまま漫画内で描かれている。過去に京都市で行われた高校女子駅伝競走大会に4年連続で出場したことも影響していると思われる。現在、図書室には漫画であるにもかかわらず、『奈緒子』および続編の『奈緒子 新たなる疾風』が全巻置かれている。
周辺
[編集]アクセス
[編集]- 壱岐交通「商高前」、「新城」、「鎌田」バス停
- 長崎県道23号勝本石田線(長崎県の県道一覧)
- 国道382号
脚注
[編集]- ^ 長崎県立諫早商業高等学校の校章とよく似ている。
- ^ 「よしだくにはる」数多くの学校の校歌を作詞している。岡山県の元教諭。
- ^ 「やまぐちつねみつ」1894年(明治27年)生~1977年(昭和52年)没の吹奏楽指揮者・作曲家。壱岐島に生まれ、1912年(大正元年)陸軍戸山学校軍楽科に入学して軍楽隊生活に入り、1920年(大正9年)東京外国語学校(現 東京外国語大学)仏語科卒業。1930年(昭和5年)からフランス、ドイツに留学し、1942年(昭和17年)戸山学校軍楽隊長、翌年(昭和18年)軍楽少佐となる。戦後は皇宮秦楽隊長、警視庁音楽隊長を歴任。1960年(昭和35年)相愛大学女子大学(現相愛大学)教授。著書に「陸軍軍楽隊史」「吹奏楽教本」などがある。出身地の壱岐市勝本町湯本に銅像(胸像)がある。
- ^ ただし、壱岐高校校歌の作詞には山本文夫も携わっている。
- ^ 壱岐商業高等学校 校歌 - 東京雪州会ウェブサイト
- ^ 3番まであり、各番とも「勝本高校」(=勝本分校)で終わる。
- ^ 壱岐市立勝本中学校の旧校歌も作曲している。
- ^ 4年間存続した。
- ^ 校舎・体育館などの建築・耐震改修 - 長崎県ウェブサイト