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長崎市立東長崎中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎市立東長崎中学校
地図北緯32度46分25秒 東経129度57分08秒 / 北緯32.773719度 東経129.952264度 / 32.773719; 129.952264座標: 北緯32度46分25秒 東経129度57分08秒 / 北緯32.773719度 東経129.952264度 / 32.773719; 129.952264
過去の名称 東長崎町立東長崎中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
併合学校 東長崎町立矢上中学校
東長崎町立古賀中学校
東長崎町立戸石中学校
校訓 自主・親和
設立年月日 1958年(昭和33年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C142210000231 ウィキデータを編集
所在地 851-0133
長崎県長崎市矢上町8番6号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立東長崎中学校(ながさきしりつひがしながさきちゅうがっこう、Nagasaki City Higashi Nagasaki Junior High School)は、長崎県長崎市矢上町に所在する市立中学校である。略称「ひがなが」。

概要

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歴史
1955年昭和30年)2月11日西彼杵郡矢上村北高来郡戸石村・北高来郡古賀村の3町が新設合併し西彼杵郡東長崎町となったことから、その3年後に各村から引き継いだ中学校3校を統合してできた学校である。
校訓
「自主・親和」
校章
3つの円の各一部分を重ね合わせ、3つの中学校の統合を表し、真ん中に「東」の文字を置いている。
校歌
作詞は池田可宵、作曲は磯田有志朗による。歌詞は2番まである。
校区
長崎市立矢上小学校長崎市立高城台小学校長崎市立古賀小学校[1]

沿革

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前史
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 矢上・古賀・戸石の3村にあった国民学校および青年学校が改組され、新制小学校と新制中学校が発足する。
      • 矢上村立矢上中学校
      • 古賀村立古賀中学校
      • 戸石村立戸石中学校
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 矢上・古賀・戸石の3村が合併し、東長崎町が発足する。
    • 以下のように改称。
      • 東長崎町立矢上中学校
      • 東長崎町立古賀中学校
      • 東長崎町立戸石中学校
  • 1958年(昭和33年)3月31日 - 統合のため、3校が閉校。
統合
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 上記3校が統合され、旧矢上中学校の校地に「東長崎町立東長崎中学校」が開校。
  • 1960年(昭和35年)3月31日 - 体育館が完成。 
  • 1963年(昭和38年)4月20日 - 東長崎町が長崎市へ編入合併したことに伴い、「長崎市立東長崎中学校」(現校名)に改称。
  • 1982年(昭和57年)7月23日 - 長崎大水害が発生し、生徒・父兄計8名が犠牲となる。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 東長崎地区の人口増加に伴い、校区の一部を分割し、長崎市立橘中学校が開校し、2・3年生の一部が橘中に転出。
  • 2007年平成19年)11月11日 - 創立50周年記念式典を挙行。

部活動

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運動部
文化部

主な卒業生

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アクセス

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの道路

脚注

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  1. ^ 長崎市立小学校・中学校の通学区域一覧(PDF) - 長崎市教育委員会ウェブサイト

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯32度46分25.388秒 東経129度57分8.15秒