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長崎市立南小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎市立南小学校
地図北緯32度39分41.472秒 東経129度53分8.11秒 / 北緯32.66152000度 東経129.8855861度 / 32.66152000; 129.8855861座標: 北緯32度39分41.472秒 東経129度53分8.11秒 / 北緯32.66152000度 東経129.8855861度 / 32.66152000; 129.8855861
過去の名称 茂木町立南小学校・中学校
長崎市立南小学校・中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
併合学校 茂木町立大宮小学校
茂木町立千藤小学校
茂木町立茂木中学校千々分校
設立年月日 1952年(昭和27年)4月1日
閉校年月日 【中学校】
2022年令和4年)3月31日
【小学校】
2024年(令和6年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210000304 ウィキデータを編集
所在地 851-0245
長崎県長崎市千々町513番地
外部リンク 小学校 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立南小学校(ながさきしりつ みなみしょうがっこう, Nagasaki City Minami Elementary School)は長崎県長崎市千々町[1]にあった公立小学校

小中併設校であったが、2021年令和3年)4月1日より、中学校は休校し、2022年(令和4年)3月末をもって閉校の上、長崎市立茂木中学校に統合された。

また、小学校も2024年(令和6年)3月末に閉校し、長崎市立茂木小学校に統合された。

概要

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歴史
1952年昭和27年)に西彼杵郡茂木町大崎・千々地区(現・長崎市大崎町・千々町)の2小学校・1中学校分校の統合により開校した。2007年(平成19年)に創立55年を迎えた。2022年(令和4年)3月末をもって中学校は閉校し、小学校単独となったが、小学校も2024年(令和6年)3月末をもって閉校した。
学校教育目標
「自ら学び鍛え、励まし合う、心豊かな児童・生徒の育成」
校章
茂木地区名産の枇杷の葉を背景に、校名の「南」の文字を置いている。
校歌
小中共通。作詞は原口喜久也、作曲は富永博による。歌詞は3番まであり、各番とも「我等の南」で終わる。
校区
住所表記で長崎市の後に大崎町、千々町が続く地区[2]。南中学校の閉校により、中学校区は2022年(令和4年)4月から長崎市立茂木中学校区となった。

沿革

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前史
【小学校】
茂木町立大宮小学校(おおみや)- 校区は茂木町崎・[3]地区。
  • 1881年(明治14年)6月 - 大崎名と宮摺名にそれぞれ茂木小学校の分教場が設置される。
  • 1886年(明治19年)4月 - 小学校令の施行により、2つの分教場が「簡易大崎小学校」、「簡易宮摺小学校」となる。
  • 1892年(明治25年)- 「大崎尋常小学校」、「宮摺尋常小学校」と改称。
  • 1899年(明治32年)- 両校を合併し、「大宮尋常小学校」(尋常科4年)と改称(2校の頭文字「大」と「宮」を組み合わせた)。
  • 1908年(明治41年)頃 - 「茂木尋常高等小学校 大宮分教場」となる。
小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長されたため、1年から6年までの児童を収容することが困難となった。これを解決するために、尋常科1~4年の児童を分教場に収容し、尋常科5・6年の児童を茂木尋常高等小学校本校に収容することにした。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「茂木国民学校 大宮分教場」となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、茂木小学校より分離し、「茂木町立大宮小学校」が発足。
  • 1952年(昭和27年)3月31日 - 千藤小学校との統合のため、廃止される。
茂木町立千藤小学校(ちとう)- 校区は茂木町々・田尾[4]地区。
  • 1882年(明治15年)- 千々名と藤田尾名に茂木小学校の分教場が設置される。
  • 1886年(明治19年)4月 - 小学校令の施行により、2分教場がそれぞれ「簡易千々小学校」、「簡易藤田尾小学校」となる。
  • 1892年(明治25年)- 「千々尋常小学校」、「藤田尾尋常小学校」と改称。
  • 1894年(明治27年)- 両校を統合し、「千藤尋常小学校」と改称(2校の頭文字「千」と「藤」を組み合わせた)。
  • 1900年(明治33年)- 校舎を新築[5]し、それまで借用していた千々名木場の民家から移転を完了。
  • 1908年(明治41年)頃 - 「茂木尋常高等小学校 千藤分教場」となる。
小学校令の一部改正により、義務教育期間が尋常科4年から尋常科6年に延長されたため、1年から6年までの児童を収容することが困難となった。これを解決するために、尋常科1~4年の児童を分教場に収容し、尋常科5・6年の児童を茂木尋常高等小学校本校に収容することにした。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「茂木国民学校 千藤分教場」となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、茂木小学校より分離し、「茂木町立千藤小学校」が発足。
  • 1952年(昭和27年)3月31日 - 大宮小学校との統合のため、廃止される。
【中学校】
茂木町立茂木中学校千々分校
  • 1948年(昭和23年)4月 - 千藤小学校に「茂木町立茂木中学校千々分校」が併設される。
  • 1950年(昭和25年)8月 - 大崎・千々地区の中央高地海抜135mを整地し、校地(千々513番地)を設定。
  • 1951年(昭和26年)12月 - 木造2階建ての校舎(13教室)が完成。
正史
  • 1952年(昭和27年)4月 - 茂木町立大宮小学校、茂木町立千藤小学校、茂木町立茂木中学校千々分校を統合し、「茂木町立南小学校・中学校」が開校。
  • 1958年(昭和33年)10月3日 - 音楽室兼講堂(1教室)を増築。
  • 1962年(昭和37年)1月1日 - 茂木町の長崎市編入に伴い、「長崎市立南小学校・中学校」(現校名)と改称。
  • 1964年(昭和39年)11月22日 - 中学校技術科を増築。
  • 1965年(昭和40年)3月2日 - 普通教室を改造し、理科室が完成。
  • 1968年(昭和43年)4月 - 家庭科室を増築。
  • 1973年(昭和48年)3月31日 - 体育館給食室を完成。
  • 1979年(昭和54年)3月31日 - 鉄筋コンクリート造3階建て中学校校舎(第1期)が完成。
  • 1980年(昭和55年)3月30日 - 音楽室と資料室を解体。
  • 1981年(昭和56年)10月1日 - 小学校木造2階建て4教室を解体。
  • 1982年(昭和57年)3月31日 - 鉄筋コンクリート造4階建て小学校校舎(第1期)が完成。
  • 1983年(昭和58年)3月31日 - 小学校校舎(第2期)が完成。
  • 1984年(昭和59年)1月28日 - 校舎落成式を挙行。
  • 1991年(平成3年)4月22日 - 旧職員住宅を解体。
  • 1992年(平成4年)
  • 1994年(平成6年)7月22日 - 技術科室と家庭科室を解体。
  • 1995年(平成7年)3月15日 - 中学校、家庭科室・技術科室・コンピューター室が完成。
  • 1996年(平成8年)
    • 3月14日 - 運動場に複合遊具を設置。
    • 3月31日 - 運動場を拡張。
  • 1997年(平成9年)
    • 2月22日 - 通学路・新館・運動場・プール落成式典を挙行。
    • 3月31日 - 昇降式プールが完成。
  • 2021年令和3年)4月1日 - 中学校を休校とする。
  • 2022年(令和4年)3月31日 - 長崎市立茂木中学校への統合により、南中学校が閉校。小学校単独となる。
  • 2024年(令和6年)

学校行事

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3学期制

1学期
  • 4月 - 始業式、入学式、対面式、歓迎集会、歓迎遠足、避難訓練、授業参観、定期総会
  • 5月 - スポーツテスト、交通安全教室
  • 6月 - 長崎市中学校総合体育大会(中総体)・激励会、びわの収穫、親子給食教育週間、平和キャンドル、全員遊び
  • 7月 - 水泳大会、終業式、海岸清掃
  • 8月 - 平和祈念集会(9日 長崎原爆の日)
2学期
  • 9月 - 始業式、運動会
  • 10月 - 小6 長崎市小学校体育大会(小体会)・激励会、小1・2生活科町探検、全員遊び
  • 11月 - 長崎市小学校音楽会、社会科見学、避難訓練
  • 12月 - なかよし集会、終業式
3学期
  • 1月 - 始業式、持久走大会、給食週間、校内体力アップ運動
  • 2月 - 避難訓練
  • 3月 - 学校保健委員会、送別集会、遠足、卒業式、修了式

部活動

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中学校

過去の部活動  バレー部

交通アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

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脚注

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  1. ^ 「千々」の読みは「ちぢ」。
  2. ^ 長崎市立小・中学校の校区一覧(PDF) - 長崎市教育委員会ウェブサイト
  3. ^ 宮摺(みやずり)地区は現在長崎市立茂木小学校の校区となっている。
  4. ^ 藤田尾(とうだお)地区は1947年(昭和22年)に為石村(後に三和町、現・長崎市為石町)に編入され、藤田尾地区の児童は為石村立為石小学校に転出した。
  5. ^ 現・千藤トンネルのそば。現在は畑になっている。

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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