長崎大学病院
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(長崎大学医学部・歯学部附属病院から転送)
長崎大学病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 国立大学法人長崎大学病院 |
英語名称 | Nagasaki University Hospital |
前身 | 医学伝習所(1857年) |
標榜診療科 | 内科、外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、心臓血管外科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、ひ尿器科、精神科、神経科、小児科、放射線科、麻酔科 |
許可病床数 |
862床 一般病床:812床 精神病床:42床 感染症病床:2床 結核病床:6床 |
職員数 |
2014年現在[1] 常勤:医師310名、歯科医師99名、看護部門841名、歯科技工士4名、歯科衛生士16名、その他362名 非常勤:医師279名、歯科医師64名、看護部門102名、その他168名 |
機能評価 | 一般病院3(主たる機能)、精神科病院(副機能):3rdG:Ver.2.0 |
管理者 | 中尾 一彦(病院長) |
開設年月日 | 1949年 |
所在地 |
〒852-8501 |
位置 | 北緯32度46分11秒 東経129度52分8秒 / 北緯32.76972度 東経129.86889度 |
二次医療圏 | 長崎 |
PJ 医療機関 |
長崎大学病院(ながさきだいがくびょういん、英語: Nagasaki University Hospital)は、長崎県長崎市坂本にある大学病院。医学部と歯学部の附属病院である長崎大学医学部・歯学部付属病院から改称。長崎県内にある唯一の大学病院である。2014年の患者数は、医科外来303,453名、歯科外来100,364名、医科入院263,869名、歯科入院7,958名である[1]。
沿革
[編集]江戸時代
[編集]- 1857年(安政4年)
- 1859年(安政6年)
- 1860年(万延元年)
- 1861年(文久元年) - この年を基準に創立年数が数えられている。
- 1865年(慶応元年)4月 - 奉行服部長門守が養生所を精得館(せいとくかん)と改称。医学所をその附属機関とする。
明治
[編集]- 1868年(明治元年)10月17日 - 長崎府医学校ならびに病院と改称。
- 校長を長与専斎が、教頭をマンスフェルトが務める。
- 大学・小学の2科を設置し、医学校規則・病院規則・薬局掟等を制定。
- 1869年(明治2年)7月9日 - 長崎府から長崎県への改称に伴い、長崎県病院医学校と改称。
- 1870年(明治3年)2月28日 - 長崎県病院医学校が大学所管となる。
- 1871年(明治4年)
- 1872年(明治5年)8月18日 - 長崎医学校が第六大学区医学校と改称。
- 1873年(明治6年)4月10日 - 学区変更に伴い、第五大学区医学校と改称。
- 1874年(明治7年)
- 1875年(明治8年)
- 1877年(明治10年)12月10日 - 長崎病院医学場から長崎医学校への改称が許可される。
- 1878年(明治11年)1月8日 - 長崎病院医学場が長崎医学校に改称。吉田健康院長が校長を兼務。
- 1882年(明治15年)5月27日 - 医学校通則制定により、長崎医学校は甲種長崎医学校(普通の医学科を教授する学校)となる。
- 1887年(明治20年)- 長崎県立長崎病院と改称。
- 1888年(明治21年)4月10日 - 長崎医学校が廃止され、第五高等中学校医学部に改称。
- 1891年(明治24年)9月11日 - 第五高等中学校医学部医学科・薬学科が小島から西彼杵郡浦上山里村(現在地)に移転。小島に分教室[注釈 5]と病院は残る。
- 1901年(明治34年)
- 3月31日 - 第五高等中学校の医学部が独立し、官立長崎医学専門学校となる。
- 12月 - 浦上山里村に本部・薬局・診療所が完成。
- 1902年(明治35年)4月 - 浦上山里村(現在地)に移転し、長崎県立長崎病院開院式を挙行。
大正
[編集]- 1922年(大正11年) 4月1日 - 県立長崎病院の敷地・建物の一切を国へ移管し、 官立長崎医学専門学校附属医院と改称。
- 1923年(大正12年)3月31日 - 長崎医学専門学校の廃止、長崎医科大学新設に伴い、長崎医科大学附属医院と改称。
昭和
[編集]- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1951年(昭和26年)
- 第二医院を医学部附属病院諫早分院と改称。
- 12月25日 - 新興善小学校(興善町15番地)にあった長崎大学本部と附属外来診療所が興善町35番地へ移転し、新興善小学校が復帰。
- 1955年(昭和30年)10月24日 - 長崎大学本部が興善町から大橋町(現 文教キャンパス)に移転。
- 1958年(昭和33年)
- 3月 - 諫早分院を閉鎖
- 6月2日 - 興善町の外来診療所が本館(浦上)に復帰。(本館の外来診療棟が完成したため)
- 1961年(昭和36年)12月3日 - 長崎大学医学部附属病院創立100周年記念式典を挙行。
- 1980年(昭和55年)4月 - 長崎大学に歯学部が新設。
- 1982年(昭和57年)4月17日 - 医学部附属病院敷地内に長崎大学歯学部附属病院を設置。[注釈 8]。
平成
[編集]- 2003年(平成15年) - 医学部附属病院と歯学部附属病院を統合、長崎大学医学部・歯学部附属病院と改称。
- 2004年(平成16年) - 国立大学法人化。
- 2009年(平成21年)4月1日 - 長崎大学病院(現在名)と改称。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 救命救急センターを設置[広報 1]
- 2015年(平成27年)8月26日 - 原子力災害時の被曝医療の中心になる「高度被ばく医療支援センター」に指定[2]。
- 2016年(平成28年)4月1日 - 「高度被ばく医療支援センター」と「原子力災害医療・総合支援センター」を設置。
- 2018年(平成30年)4月1日 - 救命救急センターを高度救命救急センターに改編。
診察科
[編集]呼吸器内科、血液内科、消化器内科、麻酔科、呼吸器外科、消化器外科、神経内科、膠原病・リウマチ科、内分泌・代謝内科、皮膚科、泌尿器科、腎臓内科、循環器内科、心臓血管外科、整形外科、形成外科、乳腺・内分泌外科、眼科、脳神経外科、耳鼻咽喉科、放射線科、小児科、小児外科、産科婦人科、精神神経科、救急科、矯正歯科、予防歯科、小児歯科、歯科放射線科、歯科麻酔科、口腔外科など
関連施設など
[編集]- 長崎大学病院 あじさい保育園
医療機関の指定等
[編集]- 救命救急センター
- 特定機能病院
- 災害拠点病院
- 基幹型認知症疾患医療センター
- ISO9001[1]
- 日本顎顔面インプラント学会認定研修施設[広報 2]
- 日本障害者歯科学会 臨床経験施設[広報 3]
- 日本医療薬学会認定がん専門薬剤師研修施設[広報 4]
- (歯科系診療部門虫歯治療室)日本歯内療法学会認定研修施設[広報 5]
- (歯周病治療室)日本歯周病学会研修施設[広報 6]
- (矯正歯科室)日本矯正歯科学会臨床研修機関指定施設[広報 7]
- (口腔顎顔面外科/顎・口腔再生外科室)日本口腔外科学会研修施設[広報 8]
- (口腔顎顔面外科)日本口腔腫瘍学会研修施設[広報 9]
- (口腔顎顔面インプラントセンター)日本口腔インプラント学会指定研修施設[広報 10]
- 公益財団法人日本医療機能評価機構認定病院[3]
不祥事
[編集]- 職員自殺
2015年3月、長崎地方裁判所は2009年4月に過労とパワハラによって自殺した職員の労働災害給付金を遺族に支払うよう、労働基準監督署に命じた[4]。
交通アクセス
[編集]- JR九州長崎本線浦上駅より徒歩約10分(大学病院玄関前・歯学部玄関前行きバス「元気くん」も利用可能)。
- 長崎電気軌道大学病院電停または原爆資料館電停より徒歩約8分。
- 長崎バス8番系統下大橋行き「大学病院前」バス停より徒歩約1分。
- 2008年9月より、大橋とココウォーク茂里町バスセンターより病院玄関前まで直接乗り入れるバス「元気くん」が運行されている。現在は住吉からも「元気くん」が運行されており、北部方面からのアクセスもしやすくなった。
- この他、長崎北郵便局の脇から患者送迎用の無料シャトルバス「すこやかさん」も出ている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 14名という説もある[要出典]。
- ^ もともと陰暦だが、現在の陽暦として9月26日を開校記念日としている[要出典]。
- ^ 「こしま」と読む
- ^ 読み方は「ばんち」。「蛮地」とも書く。広義では「未開の土地」という意味であるが、ここでは「征台(台湾を征する)」とあるため、「台湾」を表す[要出典]。
- ^ 浦上山里村にすべて移転が完了した後の旧分教室校舎には、佐古尋常高等小学校(現 長崎市立佐古小学校)が開校した[要出典]。
- ^ (後の長崎市立新興善小学校、現在は統廃合で廃止され、跡地に長崎市立図書館がある[要出典]。
- ^ 長崎大学誕生前は長崎医科大学の附属機関であった[要出典]。
- ^ 九州の国立大学歯学部附属病院としては、九州大学、鹿児島大学に次いで3番目の開院[要出典]。
出典
[編集]- ^ a b c 三代冬彦 著「第12章 大学附属病院」、日本歯科医学教育学会白書作成委員会 委員長桑田文幸 委員 葛西一貴、佐藤裕二、田口則宏、田中昭男、沼部幸博 編『歯科医学教育白書2014年版(2012~2014年)』(第1版)口腔保健協会、東京都豊島区〈日本歯科医学教育学会雑誌別冊〉、2015年12月20日、139-145頁。ISBN 978-4-89605-315-9。 NCID BB01485336。
- ^ “被曝医療に5機関指定 原子力規制委”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 7. (2015年8月27日)
- ^ “病院評価結果の情報提供”. 公益財団法人日本医療機能評価機構. 2021年2月8日閲覧。
- ^ 【長崎国際テレビ】2014年3月2日「うつで自殺…地裁“業務との因果関係”認定(長崎県)」[リンク切れ]
広報資料・プレスリリースなど一次資料
[編集]- ^ 長崎大学病院救命救急センターの指定書交付式について[リンク切れ]
- ^ “認定研修施設・関連研修施設”. 日本顎顔面インプラント学会. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “一般社団法人日本障害者歯科学会 臨床経験施設”. 日本障害者歯科学会. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “日本矯正歯科学会 臨床研修機関指定施設一覧” (PDF). 日本医療薬学会 (2015年1月22日). 2015年7月11日閲覧。
- ^ “認定研修施設”. 日本歯内療法学会. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “研修施設一覧”. 日本歯周病学会. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “日本矯正歯科学会 臨床研修機関指定施設一覧” (PDF). 日本矯正歯科学会. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “(公社)日本口腔外科学会認定「研修施設」 一覧”. 日本口腔外科学会. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “研修施設一覧”. 日本口腔腫瘍学会. 2015年7月11日閲覧。
- ^ “日本口腔インプラント学会指定研修施設(大学系)”. 日本口腔インプラント学会. 2015年7月11日閲覧。
関連項目
[編集]- 長崎大学 - 長崎医科大学 (旧制) - 長崎医学校 - 長崎養生所