鍋島直温
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鍋島直温像(佐賀県立博物館蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 明和3年5月7日(1766年6月13日) |
死没 | 文政8年11月1日(1825年12月10日) |
改名 | 常丸・直三郎(幼名)、直温 |
戒名 | 成簡院殿円明浄智 |
墓所 | 佐賀県佐賀市蓮池町西名の宗眼寺 |
官位 | 従五位下、朝散大夫、甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前蓮池藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 | 父:鍋島直寛、母:千百(甘露寺規長娘・鍋島宗教養女) |
兄弟 | 直温、連善 |
妻 | 正室:堀河康実の娘(鍋島治茂養女) |
子 | 実子:なし、養子:直道、直与 |
生涯
[編集]明和3年(1766年)5月7日、第6代藩主・鍋島直寛の長男として蓮池で生まれる。安永2年(1773年)7月26日に父が死去したため、安永3年(1774年)8月7日に家督を継いだ。天明4年(1784年)に藩校・成章館を創設した。在位中は神田橋門警衛7回、防役5回、勅使饗応3回、河川普請課金2回などの出費に加えて寛政3、4年の火災・蝗害に伴う減租による財政難に苦しめられ、天明8年(1788年)には藩財政を本家の佐賀藩に委託するほどであった。このため本家の影響力を強く受けることになり、文化5年(1808年)のフェートン号事件では本家の藩主・鍋島斉直に連座して謹慎処分に処された。また、海防の重要性が強まり、砲術訓練の定例化が行なわれている。
文化13年(1816年)4月4日、家督を養子の直与に譲って隠居する。文政8年(1825年)11月1日に死去した。享年60。
系譜
[編集]父母
正室
養子