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鍋島直温

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
鍋島 直温
鍋島直温像(佐賀県立博物館蔵)
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和3年5月7日1766年6月13日
死没 文政8年11月1日1825年12月10日
改名 常丸・直三郎(幼名)、直温
戒名 成簡院殿円明浄智
墓所 佐賀県佐賀市蓮池町西名の宗眼寺
官位 従五位下、朝散大夫、甲斐
幕府 江戸幕府
肥前蓮池藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島直寛、母:千百(甘露寺規長娘・鍋島宗教養女)
兄弟 直温連善
正室:堀河康実の娘(鍋島治茂養女)
実子:なし、養子:直道直与
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鍋島 直温(なべしま なおはる)は、肥前国蓮池藩7代藩主。

生涯

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明和3年(1766年)5月7日、第6代藩主・鍋島直寛の長男として蓮池で生まれる。安永2年(1773年)7月26日に父が死去したため、安永3年(1774年)8月7日に家督を継いだ。天明4年(1784年)に藩校・成章館を創設した。在位中は神田橋門警衛7回、防役5回、勅使饗応3回、河川普請課金2回などの出費に加えて寛政3、4年の火災・蝗害に伴う減租による財政難に苦しめられ、天明8年(1788年)には藩財政を本家の佐賀藩に委託するほどであった。このため本家の影響力を強く受けることになり、文化5年(1808年)のフェートン号事件では本家の藩主・鍋島斉直に連座して謹慎処分に処された。また、海防の重要性が強まり、砲術訓練の定例化が行なわれている。

文化13年(1816年)4月4日、家督を養子の直与に譲って隠居する。文政8年(1825年)11月1日に死去した。享年60。

系譜

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父母

正室

養子