鍋島直寛
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鍋島直寛像(佐賀県立博物館蔵) | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 延享3年3月18日(1746年5月8日) |
死没 | 安永2年7月26日(1773年9月12日) |
改名 | 虎八・万八(幼名)、直寛 |
戒名 | 幡竜院殿海印道弘 |
墓所 | 佐賀県佐賀市蓮池町西名の宗眼寺 |
官位 | 従五位下、朝散大夫、摂津守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前蓮池藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 |
父:鍋島直恒、母:側室・大隈良雄の娘 養父:鍋島直興 |
兄弟 | 直興、喬良、姉(鍋島中務室)、牟田守尋、姉(諫早石見室)、姉(堀河康実室)、姉(犬塚常芳養女、犬塚某室)、姉(諫早石見養女)、直寛、妹(鍋島主馬室) |
妻 | 正室:千百(甘露寺規長娘・鍋島宗教養女) |
子 | 直温、鍋島連善(次男) |
鍋島 直寛(なべしま なおひろ)は、肥前蓮池藩の第6代藩主。
生涯
[編集]延享3年(1746年)3月18日、第4代藩主・鍋島直恒の四男として生まれる。宝暦7年(1757年)に異母兄で第5代藩主の直興が死去したため、その養子となり家督を相続した。
藩の財政難のため、家臣の俸禄を払い遅れたり、菩提寺である宗眼寺や屋敷の焼失などによる出費が相次ぎ、藩士の献金や借金、大坂藩邸を抵当にかけたり、倹約令を出したりしてしのいでいた。直寛の行なった治績として、学問の奨励などを行なって藩校・成章館創設の基礎を築き上げたことにある。
安永2年(1773年)7月26日、水腫が原因で蓮池で死去した。享年28。跡を長男の直温が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
子女