鍋島桂次郎
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鍋島桂次郎 なべしま けいじろう | |
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生年月日 | 1860年6月29日 |
出生地 |
日本 肥前国長崎 (現長崎県長崎市) |
没年月日 | 1933年1月30日(72歳没) |
前職 | 駐ベルギー公使 |
称号 |
従三位 勲二等瑞宝章 王冠第一等勲章 正四位 大礼記念章(大正) 従四位 勲三等瑞宝章 韓国皇帝陛下南西巡幸記念章 勲一等太極章 皇太子渡韓記念章 韓国皇帝陛下即位礼式記念章 双光旭日章 従五位 勲五等瑞宝章 正六位 銀製ジュビリー記念章 従六位 カルロス3世第二等勲章 神聖スタニスラス第二等勲章 勲六等単光旭日章 正七位 正八位 |
在任期間 | 1916年10月5日 - 1933年1月30日 |
鍋島 桂次郎(なべしま けいじろう、1860年6月29日(万延元年5月11日[1]) - 1933年(昭和8年)1月30日[2])は、日本の外交官、貴族院勅選議員。神代鍋島家第16代当主。
経歴
[編集]肥前国長崎出身。1884年(明治17年)、外務省御用掛となり、外務属、交際官試補、外務書記官などを歴任。アメリカ、ドイツ[3]、イギリス[4]で公使館一等書記官として勤務した。1906年(明治39年)、統監府書記官兼外務省参事官に任じられ[5]、統監府参与官、統監府外務総長、同外務部長[6]を歴任した。1909年(明治42年)、駐ベルギー公使に任命され[7]、1914年(大正3年)まで務めた[8]。
1916年(大正5年)10月5日、貴族院議員に勅選され[9]、死去するまで在任した。
栄典
[編集]- 位階
- 1886年(明治19年)11月27日 - 正八位[10]
- 1891年(明治24年)12月21日 - 正七位[11]
- 1897年(明治30年)2月10日 - 従六位[12]
- 1899年(明治32年)6月20日 - 正六位[13]
- 1901年(明治34年)12月10日 - 従五位[14]
- 1911年(明治44年)6月20日 - 従四位[15]
- 1917年(大正6年)6月30日 - 正四位
- 1933年(昭和8年)1月30日 - 従三位(追陞)[16]
- 勲章等
- 1895年(明治28年)10月31日 - 勲六等単光旭日章[17]
- 1899年(明治32年)10月21日 - 勲五等瑞宝章[18]。
- 1902年(明治35年)12月28日 - 双光旭日章[19]
- 1909年(明治42年)4月18日 - 皇太子渡韓記念章[20]
- 1910年(明治43年)6月24日 - 勲三等瑞宝章[21]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章(大正)[22]
- 1924年(大正13年)9月27日 - 勲二等瑞宝章
- 外国勲章佩用允許
- 1896年(明治29年)
- 1897年(明治30年)10月20日 - イギリス帝国:銀製ジュビリー記念章[25]
- 1908年(明治41年)5月19日 - 大韓帝国:韓国皇帝陛下即位礼式記念章[26]
- 1910年(明治43年)2月14日 - 大韓帝国:勲一等太極章[27]
- 1910年(明治43年)3月22日 - 大韓帝国:韓国皇帝陛下南西巡幸記念章[28]
- 1918年(大正7年)3月16日 - ベルギー王国:王冠第一等勲章[29]
脚注
[編集]- ^ 『貴族院議員氏名表』貴族院彙報附録、昭和2年12月20日、26頁。
- ^ 『官報』第1827号、昭和8年2月3日
- ^ 『官報』第5188号、明治33年10月15日
- ^ 外務省月報(明治三十五年七月分)/官員進退 (国立公文書館 アジア歴史資料センター)
- ^ 『官報』第6772号、明治39年1月29日
- ^ 『官報』第7290号、明治40年10月15日
- ^ 外務省月報(明治四十二年十二月分)/職務進退 (国立公文書館 アジア歴史資料センター)
- ^ 外務省月報(大正三年六月分)/職務進退 (国立公文書館 アジア歴史資料センター)
- ^ 『官報』第1256号、大正5年10月6日
- ^ 『官報』第1031号「叙任」1886年12月6日。
- ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
- ^ 『官報』第4081号「叙任及辞令」1897年2月12日。
- ^ 『官報』第4790号「叙任及辞令」1899年6月21日。
- ^ 『官報』第5533号「叙任及辞令」1901年12月11日。
- ^ 『官報』第8398号「叙任及辞令」1911年6月21日。
- ^ 『官報』1933年2月4日「叙任及辞令」。
- ^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。
- ^ 『官報』第4894号「叙任及辞令」1899年10月23日。
- ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
- ^ 『官報』第7771号「叙任及辞令」1909年5月24日。
- ^ 『官報』第8105号「叙任及辞令」1910年6月29日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第3934号「叙任及辞令」1896年8月8日。
- ^ 『官報』第4005号「叙任及辞令」1896年11月2日。
- ^ 『官報』第4301号「叙任及辞令」1897年10月30日。
- ^ 『官報』第7475号「叙任及辞令」1908年5月29日。
- ^ 『官報』第7992号「叙任及辞令」1910年2月16日。
- ^ 『官報』第8025号「叙任及辞令」1910年3月28日。
- ^ 『官報』第1310号「叙任及辞令」1916年12月13日。
参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙) 昭和7年12月増訂』貴族院事務局、1932年。